天才画家に描かれて、毎晩とろけそうです ―スイートルームで始まる、芸術と恋の独占契約
「今日は、横たわってみて」

レオンの声に、咲良は少し戸惑った。

「……横に?」

「うん。背中を見たい。君が休んでる姿を、ちゃんと描きたいんだ」

スイートルームのベッドの上。
シーツの端にバスタオルを敷いて、咲良はそっと身体を横たえた。

下着姿のまま、背中を見せる。
すべてを差し出すみたいで、自然と呼吸が浅くなる。

(レオンは、見てるだけ。……それだけなのに)

なのに、こんなにも心臓がうるさい。
レオンの視線が、肌に触れるわけでもないのに、
なぜだかふれてくるみたいに熱い。

「背中、すごくきれい。肩甲骨のラインと腰のカーブが、自然でいい」

「……また、そういうこと言う……」

「本当だよ。描く側としては、最高のモチーフだ」

シャッ──。

スプレーの細い音が、静寂に溶けるように響いた。
レオンの右手がキャンバスに滑るたびに、咲良の胸の奥が、すこしずつ、震える。

(レオン……今、わたしを描いてる)

この身体の曲線を、光の反射を、まるごと目でなぞっているのに──
彼は、触れてこない。

そのことに、ふと気づいたとき、咲良の中に、得体の知れない感情が生まれた。

──どうして、触れてこないの?

羞恥でも、不安でもない。
そのやさしさが、むしろ切なくて。

思わず、言葉になっていた。

「……触れないの?」

レオンの手が、止まった。

筆を持ったまま、彼はそっと咲良の方へ目を向ける。
そのまなざしは、少し驚いて、それでも静かだった。

「触れた方が、いい?」

問いかけられた瞬間、心臓がひときわ跳ねた。

「……わかんない」

自分でも、その答えに戸惑った。
わからないはずがない。触れてほしいと思った。そう思ってしまった。

でも、それを言うには、まだ自分の気持ちが整っていなかった。

空気が、ぴたりと止まった。

けれど、レオンはただ静かに微笑んで、言った。

「でも、君を『見る』って決めたから。
触れなくても、ちゃんと伝えたい。君が、どれだけ美しいか」

その声が、筆先のようにやわらかくて──
咲良の胸に、ふわりと、熱が広がっていく。

(触れてないのに……なんで、こんなに伝わってくるんだろう)

息がゆっくりと深くなり、
シーツの上に身を沈めながら、そっと目を閉じた。

彼の視線が、やさしく肌をなぞっていく。
触れられていないはずなのに、
心の奥の、もっと奥まで、何かが届いてくる。

──そんなこと、いままでなかった。

誰かに触れてほしいと思ったことなんて、なかった。
むしろ、触れられないことにほっとしていた。
でも今は違う。

(……わたし、触れてほしいって、思ってる)

そのことに気づいて、自分で驚いた。
でも、それを怖いとは思わなかった。

ただ、不思議だった。
やさしさが、こんなにも深く人を揺らすなんて──。

レオンの指が描く音がまた静かに始まる。
そのたびに、咲良の奥にある何かが、少しずつ、ほどけていった。
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