氷壁エリートの夜の顔
 そう言って踵を返した彼の背に、「行きませんてば」と返す。
 だけど、彼は振り返って軽く手を挙げた。

「予約だけしておくよ。たとえ独りでも、グラスは2つ頼んでおくから」

「……強引なお方だこと」

 八木さんが去って、思わずそうつぶやく。
 その瞬間、すぐ近くから思いがけない声が返ってきた。

「ストウブ料理、いいですね」

 驚いて振り向くと、芝生の木陰から静かに人影が起き上がる。

「……結城さん?」

 私は慌てて立ち上がった。

 昨日、古美多のバイトを代わってもらって以来、彼とはまだ顔を合わせていなかった。
 今朝は社外で打ち合わせだと聞いていたので、まさかこんなところで会うとは……。

「昨日は、本当にありがとうございました」

 ありったけの感謝を込めて、深く頭を下げる。
 うたた寝をしていたのだろうか、結城さんは少し眠たそうに目をこすり、小さく頷いた。

「いえ。思ったとおり、山本さんも喜んでくれました。『百寿もここで祝わなきゃな』って──その時も、給仕は僕にお願いしたいそうです」

 照れくさそうに口元をゆるめた結城さんにつられて、私もふっと笑った。
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