サルビアの育てかた
 フラフラと歩き出すと、女は力なく建物から離れていく。

(この辺の住民ではなさそうだな? 何なんだ……?)

 フラットのエントランスドアを開け、中へ入ろうとしたその瞬間。閑静な住宅街の真ん中で、その女がボソッと何かを呟いているのを俺は聞いてしまった。

「ここって、レイが住んでいるはずよねぇ……」

 掠れた声で放たれた女の言葉が、俺の耳の中を通過していく。
 絶句の文字が俺の全身に駆け巡った。

 恐る恐る振り返ると──女はこちらを眺めてニヤリと奇妙な様で笑っているんだ。乱れた黒い長髪が風に揺られ、気味の悪さが倍増される。

(ちょっと待て。今、レイの名を口にしていたか……?)

 話をする勇気なんてない。何も出来ずに俺が固まっていると、エントランスの扉はぱたりと閉まった。

 別の角度からそっと外の様子を窺ってみるが、女は諦めたようにすぐその場から立ち去っていった。
 俺は直感で事態を把握する。

 あれは間違いなくレイの……。

 住んでいる場所がバレてしまったのか。いつの間にか後をつけられていたのか……? とにかく雰囲気そのものが正気じゃない。
 背後がゾクッとすした。振り向いても誰もいないと分かっているはずなのに、全く寒気が止まらないんだ。
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