隣にいる理由を、毎日選びたい
第15章:“好き”の定義を変えた日
春が、街に満ち始めていた。
駅前の桜は、まだつぼみを残しながらも、少しずつ色を帯びている。
季節は、変わろうとしていた。
有栖川凛は、ノートパソコンを閉じて、窓の外を見つめた。
一人きりのコワーキングスペース。
その中で、ずっと手を付けられなかったメールに、ようやく返信を書く決心がついた。
「今の私が、誰かと“つながっている”と感じられるようになったのは、あの人のおかげです」
文面は、社内のインタビュー企画への寄稿だった。
テーマは「誰かとの関係で、自分が変わった経験はありますか?」
凛は、筆を止めたまま、ふとスマホに目を落とす。
通知はなかった。
けれど、心はやけに騒がしかった。
(今日、会おうと連絡が来るかもしれない)
(来なかったら、こちらから送るか?)
そんな逡巡を繰り返すうち、画面が震える。
一之瀬悠人:
「今日、話がしたいです。
“好き”について、ちゃんと定義し直したいと思っています」
思わず吹き出す。
やっぱり彼は、最後までロジカルだった。
午後五時、再びあのカフェ。
もう何度も使った、窓際の席。
ふたりは座って、静かにコーヒーを挟んでいた。
「……“好きの定義”って、重いな」
凛が先に口を開く。
「でも、それを避けてきたから、ずっとここまで言葉にできなかったんです。だから、あえて論理的に言ってみようかと」
「じゃあ、どうぞ。定義、聞かせて」
悠人は一息置いて、口を開いた。
「“好き”とは、相手を通して自分を肯定できる感情。
そして、“一緒にいたい”と願ったとき、相手の意志を尊重できる心のこと。……たとえ、その結末が、自分の期待と違っていても」
しばらく、沈黙。
それを破ったのは、凛の穏やかな笑みだった。
「……そういうの、嫌いじゃない」
「ありがとうございます」
「じゃあ、私も定義を一つ」
凛はゆっくりと、言葉を選ぶ。
「“好き”って、“その人がいないと、言葉に詰まる”ことだと思う。
いなくても生きてはいけるけど、“伝えたい”と思った瞬間に、“一番伝えたい相手”が浮かぶこと」
悠人は、その言葉を聞いて、初めて視線を落とした。
「じゃあ、有栖川さんにとって、僕は“それ”ですか?」
凛は、頷いた。
「……はい。たぶん、ずっと前から」
「僕もです。ようやく、言葉にできた」
「でも、“恋愛”って言葉を使うと、まだちょっと照れるね」
「なら、“新定義・相互選択型関係”でいきますか?」
「長いわ!」
ふたりは声を合わせて笑った。
そしてそのあと、ごく自然に、目を見て言った。
「好きです」
「私も、好きです」
“恋愛禁止”から始まった関係は、
誰にも強制されず、誰にも媚びず、
ただふたりだけの定義で、“好き”という言葉にたどり着いた。
これが、
“好きにならないって決めた”ふたりが、“好きになった”物語。
──完──
駅前の桜は、まだつぼみを残しながらも、少しずつ色を帯びている。
季節は、変わろうとしていた。
有栖川凛は、ノートパソコンを閉じて、窓の外を見つめた。
一人きりのコワーキングスペース。
その中で、ずっと手を付けられなかったメールに、ようやく返信を書く決心がついた。
「今の私が、誰かと“つながっている”と感じられるようになったのは、あの人のおかげです」
文面は、社内のインタビュー企画への寄稿だった。
テーマは「誰かとの関係で、自分が変わった経験はありますか?」
凛は、筆を止めたまま、ふとスマホに目を落とす。
通知はなかった。
けれど、心はやけに騒がしかった。
(今日、会おうと連絡が来るかもしれない)
(来なかったら、こちらから送るか?)
そんな逡巡を繰り返すうち、画面が震える。
一之瀬悠人:
「今日、話がしたいです。
“好き”について、ちゃんと定義し直したいと思っています」
思わず吹き出す。
やっぱり彼は、最後までロジカルだった。
午後五時、再びあのカフェ。
もう何度も使った、窓際の席。
ふたりは座って、静かにコーヒーを挟んでいた。
「……“好きの定義”って、重いな」
凛が先に口を開く。
「でも、それを避けてきたから、ずっとここまで言葉にできなかったんです。だから、あえて論理的に言ってみようかと」
「じゃあ、どうぞ。定義、聞かせて」
悠人は一息置いて、口を開いた。
「“好き”とは、相手を通して自分を肯定できる感情。
そして、“一緒にいたい”と願ったとき、相手の意志を尊重できる心のこと。……たとえ、その結末が、自分の期待と違っていても」
しばらく、沈黙。
それを破ったのは、凛の穏やかな笑みだった。
「……そういうの、嫌いじゃない」
「ありがとうございます」
「じゃあ、私も定義を一つ」
凛はゆっくりと、言葉を選ぶ。
「“好き”って、“その人がいないと、言葉に詰まる”ことだと思う。
いなくても生きてはいけるけど、“伝えたい”と思った瞬間に、“一番伝えたい相手”が浮かぶこと」
悠人は、その言葉を聞いて、初めて視線を落とした。
「じゃあ、有栖川さんにとって、僕は“それ”ですか?」
凛は、頷いた。
「……はい。たぶん、ずっと前から」
「僕もです。ようやく、言葉にできた」
「でも、“恋愛”って言葉を使うと、まだちょっと照れるね」
「なら、“新定義・相互選択型関係”でいきますか?」
「長いわ!」
ふたりは声を合わせて笑った。
そしてそのあと、ごく自然に、目を見て言った。
「好きです」
「私も、好きです」
“恋愛禁止”から始まった関係は、
誰にも強制されず、誰にも媚びず、
ただふたりだけの定義で、“好き”という言葉にたどり着いた。
これが、
“好きにならないって決めた”ふたりが、“好きになった”物語。
──完──

