隣にいる理由を、毎日選びたい

第4章:一緒にランチなんて、仕事の一部です

 出張から戻った翌週。
  オフィスには、どこか微細な変化があった。
 特別な言葉が交わされたわけではない。
  むしろ、ふたりのやり取りは以前にも増して簡潔で、業務的だった。
 なのに、どこか──空気の温度だけが違う。
 「一之瀬さん、今日ランチ一緒に行きます? 資料の確認がてら」
 「了解です。12時ぴったりにロビーで」
 凛が声をかけたのは、それだけのことだった。
  だが、社内では“珍しい光景”だったらしい。
 昼。
  社員食堂の隅。テーブル席に並んで座るふたりに、他部署の女子がひそひそと目をやっていた。
 「最近、あの二人、よく一緒にいるよね」
 「え、付き合ってるとか?」
 「いや、恋愛しないプロジェクトの人たちでしょ?」
 「でも、あの距離感は完全に“それ”っぽくない?」
 ──本人たちは、至って無自覚だった。
 「さっきのトップページ、スライドアニメーション削ると読み込みスピードが0.8秒改善されます」
 「よし。UX優先で調整しましょう。あ、唐揚げ半分いります?」
 「……もらう」
 当たり前のように取り分けられた小皿。
  迷いも気遣いもない動作が、かえって“親密”に見えた。
 「……ねえ」
 「なんです?」
 「これ、普通の仕事仲間の会話、だよね?」
 「はい。むしろ、仕事以外の話、してません」
 「だよね。……なんか、周りの視線が気になってきた」
 「なら、次回は別の階にあるカフェテリアにしましょう」
 「それはそれで“こそこそしてる風”になりそうだけど」
 ふたりとも、どこまでも真面目だった。
 けれど、「恋愛しない」という前提のもとで交わされる“ささいな共有”が、周囲には妙に浮いて見える。

 その日の午後。
  会議室の予約ミスで、急遽オープンスペースで打ち合わせすることになった。
 「この開放感、慣れませんね……人目があると、つい距離を測っちゃう」
 「わかる。私はプライベートと業務で声のトーンすら変えたい派だから」
 「僕は逆です。すべて“職務用トーン”で統一します」
 「……徹底してるね」
 「徹底してないと、揺れることがあるので」
 「……そっか」
 その言葉が、ふと心に刺さった。
 「でも、たまには揺れた方が、人間らしいと思うけどね」
 「それを制御するのが、大人の理性かと」
 「うん、そうだね。──でも、私はあんまり、理性で固めすぎたくない」
 そう言ったあと、凛は口元をぴくりと引き結んだ。
  何かが、“思ったより本音っぽく”出てしまったような、そんな顔。
 「……ごめん、なんか変なこと言った?」
 「いえ。貴重な意見として、保存しておきます」
 「それ、保存しなくていい」
 二人は苦笑し合い、視線をそらした。
  だが、そらした視線の先に映るお互いの姿が、ほんの少しだけ“気になる”ようになっていた。
 ──ただの仕事仲間。
  ──ただのプロジェクト相手。
 けれど、「ただの」が続くほど、感情は静かに、けれど確かに揺れていく。
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