隣にいる理由を、毎日選びたい
金曜日の午後。
いつも通り、会議室で資料の擦り合わせをしていた悠人と凛。
その静かな空気を破ったのは、ひときわ明るい声だった。
「こんにちは〜! 一之瀬さん、例のキャンペーン動画の件でちょっとお時間いいですか?」
その声の主は、広報部の白石 彩芽(しらいし あやめ)。
愛嬌のある顔立ちに、社内でも“あざと可愛い”と評判の人物。
誰に対してもフレンドリーで、笑顔を武器に仕事を進めていくタイプだった。
「こんにちは、白石さん。はい、今大丈夫ですよ」
悠人が落ち着いた調子で応じると、彩芽は嬉しそうに彼の隣の椅子に腰を下ろした。
そして、凛の存在を一拍置いてからようやく認識したように、小首をかしげる。
「あっ……有栖川さんもご一緒だったんですね〜! 邪魔しちゃったかな?」
「いえ、業務ですから。お気になさらず」
凛は丁寧に応じたものの、その声色にはわずかな硬さがあった。
「一之瀬さん、いつも手際よくて助かっちゃいます。ほんと、こういう男性が職場にいると安心感ありますよね〜」
「ありがとうございます。そう言っていただけると、励みになります」
「もし一之瀬さんがうちのチームにいたら、絶対毎日楽しいのにな〜、なんて」
「それは光栄ですが……僕は“楽しい”より“静か”が好みなので、少し浮くかもしれませんね」
「え〜、そんなことないですって! あ、今度よかったらランチとかどうですか?」
唐突な誘いに、悠人は一瞬だけ言葉を止めた。
凛は、その一瞬の沈黙を見逃さなかった。
「ありがとうございます。でも、今はこのプロジェクトに集中していて……有栖川さんと毎日確認することも多いので」
悠人の断り方は理性的で角が立たなかったが、はっきりと“今はふたりで動いている”という意思が含まれていた。
「そっか〜、残念っ。でもまたタイミングあったら!」
彩芽は軽やかに笑って立ち去った。
会議室に再び静けさが戻ると、しばらく誰も口を開かなかった。
「……なんか、ごめん」
先に沈黙を破ったのは凛だった。
「え?」
「なんか、私がいつも隣にいるから、声かけづらいとか思われてたら、悪いなって」
「そうは思ってませんよ」
「でも、もしかしたらあなたにとって、“私との関係”が、他の人から見て変に見えてる可能性ってあるでしょ」
「それは……否定できません。でも、問題ないです」
「どうして?」
「あなたと組むことで、仕事がうまく進んでいる。それ以上に評価されることはないと思っているからです」
凛は、小さく笑った。
その笑みは、どこか疲れているようでもあり、ほんの少し──安心しているようにも見えた。
「……ありがと。そう言ってくれると、救われる」
「こちらこそ。変に気を遣わずにいてくれるあなたに、助けられてますから」
ふたりは再びパソコンに目を戻した。
作業はいつも通り進み、会話は最小限。
でもその内側では、確かに──少しずつ、気持ちが変わり始めていた。
“ただの同僚”というラベルを保ちながら、
“それ以上ではない”という認識を繰り返しながら、
それでも、誰かが少しでも近づいたときに芽生える違和感を、もう無視できなくなりつつあった。
──第4章・了──
いつも通り、会議室で資料の擦り合わせをしていた悠人と凛。
その静かな空気を破ったのは、ひときわ明るい声だった。
「こんにちは〜! 一之瀬さん、例のキャンペーン動画の件でちょっとお時間いいですか?」
その声の主は、広報部の白石 彩芽(しらいし あやめ)。
愛嬌のある顔立ちに、社内でも“あざと可愛い”と評判の人物。
誰に対してもフレンドリーで、笑顔を武器に仕事を進めていくタイプだった。
「こんにちは、白石さん。はい、今大丈夫ですよ」
悠人が落ち着いた調子で応じると、彩芽は嬉しそうに彼の隣の椅子に腰を下ろした。
そして、凛の存在を一拍置いてからようやく認識したように、小首をかしげる。
「あっ……有栖川さんもご一緒だったんですね〜! 邪魔しちゃったかな?」
「いえ、業務ですから。お気になさらず」
凛は丁寧に応じたものの、その声色にはわずかな硬さがあった。
「一之瀬さん、いつも手際よくて助かっちゃいます。ほんと、こういう男性が職場にいると安心感ありますよね〜」
「ありがとうございます。そう言っていただけると、励みになります」
「もし一之瀬さんがうちのチームにいたら、絶対毎日楽しいのにな〜、なんて」
「それは光栄ですが……僕は“楽しい”より“静か”が好みなので、少し浮くかもしれませんね」
「え〜、そんなことないですって! あ、今度よかったらランチとかどうですか?」
唐突な誘いに、悠人は一瞬だけ言葉を止めた。
凛は、その一瞬の沈黙を見逃さなかった。
「ありがとうございます。でも、今はこのプロジェクトに集中していて……有栖川さんと毎日確認することも多いので」
悠人の断り方は理性的で角が立たなかったが、はっきりと“今はふたりで動いている”という意思が含まれていた。
「そっか〜、残念っ。でもまたタイミングあったら!」
彩芽は軽やかに笑って立ち去った。
会議室に再び静けさが戻ると、しばらく誰も口を開かなかった。
「……なんか、ごめん」
先に沈黙を破ったのは凛だった。
「え?」
「なんか、私がいつも隣にいるから、声かけづらいとか思われてたら、悪いなって」
「そうは思ってませんよ」
「でも、もしかしたらあなたにとって、“私との関係”が、他の人から見て変に見えてる可能性ってあるでしょ」
「それは……否定できません。でも、問題ないです」
「どうして?」
「あなたと組むことで、仕事がうまく進んでいる。それ以上に評価されることはないと思っているからです」
凛は、小さく笑った。
その笑みは、どこか疲れているようでもあり、ほんの少し──安心しているようにも見えた。
「……ありがと。そう言ってくれると、救われる」
「こちらこそ。変に気を遣わずにいてくれるあなたに、助けられてますから」
ふたりは再びパソコンに目を戻した。
作業はいつも通り進み、会話は最小限。
でもその内側では、確かに──少しずつ、気持ちが変わり始めていた。
“ただの同僚”というラベルを保ちながら、
“それ以上ではない”という認識を繰り返しながら、
それでも、誰かが少しでも近づいたときに芽生える違和感を、もう無視できなくなりつつあった。
──第4章・了──