イケメンIT社長に求婚されました─結婚後が溺愛本番です!─
○水野大輔は恋をやめられない
社長の身体は、正直だった。
猫背気味な姿勢、張り出した僧帽筋、腹部にわずかに乗った脂肪。パソコンの前で何十時間も過ごしている人間の典型的なラインだった。
──そして、意外なことに、肩甲骨の可動域は広く、インナーマッスルの反応が悪くない。
(ポテンシャルはある。基礎からやり直せば、化ける)
マシンの前で呻きながら重りを持ち上げる葉山律を、俺はプロの目で見ていた。
社長としての威厳は消えていたが、そこにあるのは、目の前の「課題」に本気で挑む一人の男の姿だった。
「社長、今日は上腕二頭筋と腹直筋のコンパウンドメニューです。あと、有酸素を20分。プロテインも摂ってください。ザバスじゃなくて、マイプロテインのEAA配合のやつ、覚えてます?」
「……ああ。EAA、うまくない」
「甘えないでください」
律は、机に向かっているときにすぐチョコレートに手を出す。砂糖、脂肪、そして依存性。
気づけば糖質過多になり、せっかくの筋肉も脂肪に覆われて台無しだ。
*
葉山社長の身体が、明らかに変わってきていた。
厚みの出てきた広背筋、無駄なく引き締まった腹部、姿勢を支える脊柱起立筋まで、理想的なバランスに近づいている。
陸上部で培った基礎、大学で学んだスポーツ科学、日々の実践。誰かの身体を変えるって、こんなにも手応えのあることだったのか。
(……僕、もしかしたらプロのパーソナルトレーナー、向いてるかもしれない)
そんな思いが、胸の奥に灯りはじめていた。
誰かの身体を変えるという実感。信頼され、応援され、結果が目に見えて表れる手応え。
なにより──陽菜さんのために、ではなく、陽菜さんの隣にいる人のために自分が尽くしているという現実に、そっと終止符を打ちたかった。
(……もう、いなくなった方がいいのかもしれない)
だから、思い切って、昼休みに声をかけた。彼女が給湯室でカップをゆっくり洗っていたときだった。
「陽菜さん、あの……僕、転職するかもしれません」
彼女の手が、ふっと止まった。
泡のついた指先から、ポタリと水滴が落ちた音が、やけに耳に残る。
「えっ……?」
くるりとこちらを向いた彼女の瞳は、驚きと戸惑いに揺れていた。
それだけで、胸がしめつけられた。
「水野さんがいなくなったら、わたし……本気で困ります。ずっと助けてもらってばかりで……そんなの、やだ」
──その瞬間。
心臓が、跳ねた。
どうして、そんな顔をするの。どうして、そんな声で言うの。
僕はただ、背中を押してほしかっただけなのに。
なのに今、踏み出そうとしていた一歩が、たったひと言で、ぐらついてしまった。
(陽菜さんって……やっぱり、ずるいな)
優しくて、無防備で、誰にでも笑顔を向ける人。
分かってた。何度も、諦めようとした。でも、それでも──
まだ、好きだと思ってしまう。
──結局、退職願は出せなかった。
だって、彼女の「困ります」を、僕はずっと覚えていたいから。
猫背気味な姿勢、張り出した僧帽筋、腹部にわずかに乗った脂肪。パソコンの前で何十時間も過ごしている人間の典型的なラインだった。
──そして、意外なことに、肩甲骨の可動域は広く、インナーマッスルの反応が悪くない。
(ポテンシャルはある。基礎からやり直せば、化ける)
マシンの前で呻きながら重りを持ち上げる葉山律を、俺はプロの目で見ていた。
社長としての威厳は消えていたが、そこにあるのは、目の前の「課題」に本気で挑む一人の男の姿だった。
「社長、今日は上腕二頭筋と腹直筋のコンパウンドメニューです。あと、有酸素を20分。プロテインも摂ってください。ザバスじゃなくて、マイプロテインのEAA配合のやつ、覚えてます?」
「……ああ。EAA、うまくない」
「甘えないでください」
律は、机に向かっているときにすぐチョコレートに手を出す。砂糖、脂肪、そして依存性。
気づけば糖質過多になり、せっかくの筋肉も脂肪に覆われて台無しだ。
*
葉山社長の身体が、明らかに変わってきていた。
厚みの出てきた広背筋、無駄なく引き締まった腹部、姿勢を支える脊柱起立筋まで、理想的なバランスに近づいている。
陸上部で培った基礎、大学で学んだスポーツ科学、日々の実践。誰かの身体を変えるって、こんなにも手応えのあることだったのか。
(……僕、もしかしたらプロのパーソナルトレーナー、向いてるかもしれない)
そんな思いが、胸の奥に灯りはじめていた。
誰かの身体を変えるという実感。信頼され、応援され、結果が目に見えて表れる手応え。
なにより──陽菜さんのために、ではなく、陽菜さんの隣にいる人のために自分が尽くしているという現実に、そっと終止符を打ちたかった。
(……もう、いなくなった方がいいのかもしれない)
だから、思い切って、昼休みに声をかけた。彼女が給湯室でカップをゆっくり洗っていたときだった。
「陽菜さん、あの……僕、転職するかもしれません」
彼女の手が、ふっと止まった。
泡のついた指先から、ポタリと水滴が落ちた音が、やけに耳に残る。
「えっ……?」
くるりとこちらを向いた彼女の瞳は、驚きと戸惑いに揺れていた。
それだけで、胸がしめつけられた。
「水野さんがいなくなったら、わたし……本気で困ります。ずっと助けてもらってばかりで……そんなの、やだ」
──その瞬間。
心臓が、跳ねた。
どうして、そんな顔をするの。どうして、そんな声で言うの。
僕はただ、背中を押してほしかっただけなのに。
なのに今、踏み出そうとしていた一歩が、たったひと言で、ぐらついてしまった。
(陽菜さんって……やっぱり、ずるいな)
優しくて、無防備で、誰にでも笑顔を向ける人。
分かってた。何度も、諦めようとした。でも、それでも──
まだ、好きだと思ってしまう。
──結局、退職願は出せなかった。
だって、彼女の「困ります」を、僕はずっと覚えていたいから。