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○陽菜はグラビアアイドル!?


日曜日の午後。私は、表参道の歩道を歩いていた。

少し先におしゃれなカフェが見えて、ウィンドウ越しに映る自分の姿に目を留める。

白いワンピースにカゴバッグ。自分で言うのも変だけど、今日はちょっとだけいい感じかもしれない。

律にかわいいって言われたくて、鏡の前で何度も確認してきた。

そのときだった。

「すみません!」

若い男性の声。ビジネススーツに肩から大きなバッグを提げた彼が、私の前に立ちはだかった。

「モデル、興味ありませんか?」

「え……?」

「本当に、絶対売れると思います。保証します! お名前、なんておっしゃいますか?」

そう言って差し出された名刺には、金色の箔押しで「ポリプロ」の文字。えっ……ポリプロ? あの大手芸能事務所? 宮瀬はるかや、岩原さとみが所属してる、あの──?

私は、思わず受け取った名刺を食い入るように見つめた。

「グラビアの枠を超えられる逸材だと思ってます。ぜひ!」

──グラビア。

その言葉に、心が一瞬だけざわついた。

……そうだ、私は昔から胸が大きくて、それが原因で変な視線を浴びることも多かった。ナンパ、スカウト、キャバクラの名刺。夜道を歩くのが怖くて、大学時代はアルバイトを辞めたこともある。

でも今日だけは、ちょっと違った。

まっすぐ目を見て話してくれたスカウトマンに、私は不思議と悪い気がしなかったのだ。

──律に話したら、どんな顔するかな。

名刺を家に持ち帰って、テーブルの上にそっと置いてみた。律には内緒にしようかな、と思ったけれど、彼にだけは正直にいたいから。

夕方、玄関のドアが開く音がした。

「ただいま」

いつもの穏やかな声に、私はキッチンから「おかえり」と微笑む。だけど、次の瞬間。

「……これは、何だ?」

律が、名刺を手にしていた。

「えっと……今日、表参道でスカウトされて。モデルの、みたいな……」

「…………」

律の表情が、さっと険しくなる。眉が寄り、瞳が静かに鋭く光っている。無言で名刺を見つめたかと思えば、そのままスマホに番号を打ち込み始めた。

えっ、律? 電話、かけるの……!?

「もしもし。中田さんという方から、妻が名刺をいただいたようなのですが」

声に張りがある。社長モードだ。

「はい! 本日、表参道でお声がけさせていただいた中田です! 奥さま、抜群のプロポーションでして! グラビアアイドル界に革命を起こすと、本気で──」

「……グ、グラビアアイドルだと……?」

律の声が明らかに低くなった。次の瞬間、ブチッと電話を切る音が響いた。

そして──

「陽菜。君はこんなものに惑わされてはいけない。君の身体は……商品ではない」

律の真剣なまなざしに、私は目を見開いた。

なんだろう。怒ってる、というより、すごく真っ直ぐに私を守ろうとしてくれている。そう感じて、胸の奥がじんと熱くなる。

「……ありがとう」

そう呟いた私に、律は小さく頷いたあと、手元の名刺を……ばりばりばり、と粉々に破いた。

──いや、そこまでしなくても!

「でも、陽菜の写真集……いいかもしれないな」

「え?」

唐突な言葉に、私の思考が止まった。

写真集? え? グラビアの話じゃなくて……律が? 私の?

返事を返す暇もないまま、律はスマホを取り出し、何かを検索しはじめた。

この時はまだ知らなかった。

彼が翌日、プロ仕様の一眼レフカメラを買ってくるとは──。





翌朝。

リビングのテーブルに、黒くてごついケースがどん、と置かれていた。

「え、なにこれ……?」

「開けてごらん」

そう言った律の顔は、なぜか得意げだった。蓋を開けると、中にはピカピカの一眼レフ。

聞いたことのないメーカー名に、やたらと分厚いレンズがふたつ。取扱説明書はまるで辞書みたいだった。

「これ、買ったの?」

「君を撮るために」

「は?」

あまりにも真顔で言うものだから、私の思考が止まる。

「……律、グラビアって、わかってる?」

「わかっている。だからこそ、俺が撮る。陽菜は俺だけのグラビアアイドルだ」

「ええええっっ!!?」

思わず声が裏返った。

それからの律は早かった。

本業の合間を縫って、プロ向けの写真講座に通いはじめ、週末には貸切のスタジオを予約してくる。被写体は、もちろん私。最初はちょっとしたポートレート撮影だと思っていたのに──

「もっと角度を変えて……そう、光が君の鎖骨を照らす感じで……!」

「いやいやいや、何その注文!!」

「リラックスして、微笑んで」

「笑えないってば!恥ずかしすぎて!」

「君のその恥じらいも、また美しい」

この男、すっかりグラビアカメラマン気取りである。

衣装は律がすべて用意した。

「今回は『純白の天使』をテーマにした」

「いや、テーマとか要らないから!」

ふわふわのレースと透け感のある生地のワンピースに、私は顔を真っ赤にしながら袖を通す。鏡に映る自分は──うん、確かにちょっと可愛い。……けど!

「律、これ、ほぼ下着じゃない!?」

「大丈夫。俺以外には見せないから」

その言葉に、ずきゅんと胸が跳ねた。

ずるい。そういうときだけ甘くて、真剣な顔するの、ずるい。

撮影のたびに、律はシャッター音を止めなかった。まるで、光の粒に私の存在を刻みつけるように。

「俺は、君のすべてを知っていたい。形にして残しておきたいんだ」

その瞳があまりにも切実で、私はふと黙ってしまう。

──ああ、この人は本気なんだ。私の姿を、記憶だけじゃなく、写真としてずっと残したいって、本気で思ってくれてる。

「律、そんなに撮っても、どうするの?」

「フォトブックを作ろうと思う。俺の、ためだけの」

「……あのねぇ」

呆れたように笑いながらも、胸の奥はやっぱりあったかい。

──グラビアアイドルにならなくても、私はもう誰かにとっての「特別」になれていたんだ。

だから、これでよかったのかもしれない。律がシャッターを切るたび、私はすこしずつ、過去のコンプレックスから自由になれている気がした。



「はい、ラストカット。陽菜、少しあごを引いて……」

「こ、こう?」

「そう。完璧だ」

スタジオにシャッター音が響く。ストロボのまぶしい光の中、私は白いレースの衣装を身にまとい、そっと微笑んでいた。

──撮影なんて、最初は冗談だと思ってた。

まさか律が、あんな高級なカメラを買ってきて、本気で講座に通って、スタジオを貸し切ってまで「グラビア写真集」を作ろうとするなんて。

「……ふぅ。終わった?」

「お疲れさま。今日も最高だった」

照れくさそうに律が私の頭を撫でる。その手のひらの温かさに、胸がじんわりと満たされていく。

「これ、本当に作るの? 写真集……」

「もちろん。俺の専属モデルとして、契約は永久不滅だからな」

「もう、律ったら……」

頬を染めながら、私はそっと笑った。

スタジオの片隅には、これまでの撮影データが入ったノートパソコンが置かれている。

チラリと覗き込んだら、フォルダ名が『Hina_001』から『Hina_037』までズラリと並んでいた。

「律……まさか、シリーズ化する気?」

「当然だ。次は『夏の麦わら帽子編』を構想中だ」

「えええっ!? まだやるの!?」

私が頭を抱えると、律はいたずらっぽく笑って、肩を抱き寄せた。

「……けど」

「ん?」

「ありがとう、律」

「何が?」

「昔は、この身体がずっと嫌だった。見られるのも、声をかけられるのも。恥ずかしくて、怖くて……」

律は黙って、私の言葉を待っている。

「でもね、律に『きれいだ』って言ってもらえるたびに、少しずつ好きになれた。グラビアアイドルじゃなくてもいい。あなたのなかで、私が一番でいられるなら、それでいいって思えるの」

静かに見つめ合ったまま、しばらくの間、時間が止まったようだった。

「陽菜」

「うん?」

「君は、誰がなんと言おうと、俺の永遠のミューズだ」

律の言葉に、心がふわっとほどけていく。

「……写真集、一冊くらいなら、作ってもいいかもね」

「本当か!?」

「ただし。絶対に、誰にも見せないこと」

「もちろん」

そのあと、律は満面の笑みでノートパソコンに向かい、写真のセレクト作業を始めた。

画面の中の私は、少し照れて、でも確かに笑っていた。

レンズ越しの世界で、私は律にしか見せない顔をしている。

──この人と出会って、本当によかった。

私は心の中で、そっとつぶやいた。

きっと、世界で一番幸せなグラビアアイドルは、今日もこのスタジオで、愛を写し続けている。
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