イケメンIT社長に求婚されました─結婚後が溺愛本番です!─

○美容室は、律とともに

 久しぶりの、美容院。

 「陽菜さん、今日はどんな感じにしますか~? 今はロングですけど、長さどうします?

 軽やかな声で問いかけてくるのは、美容師の遠藤さん。
 いまどきの男の子で、ちょっとチャラいけれど、腕は確か。
 カットコンテストでは常連の入賞者で、髪を任せるならこの人しかいないと信頼していた。

 「えっと……思いきって切ろうかな。肩までの長さにしてください」
 「了解っす! 絶対かわいくしますね!」

 ほんの思いつきだった。
 いつもと違う自分になれたら、少し気分も変わるかもしれない。
 それに、律ならどんな私でも「かわいい」って言ってくれるはず──そう信じていた。

 まさか、たった十五センチ髪を切っただけで、あんな嵐が起こるなんて。

 ***

 「律! ただいま!」

 リビングのドアを開けると、パソコンに向かっていた律が、デスクチェアごとくるりと振り返る。

 その瞬間、固まった。

 「……陽菜? どうしたんだ、それ」
 律の口元が、わなわなと震えている。

 え? その反応、なに。
 私の胸がドクンと鳴った。

 似合ってない? それとも──律ってロング派だった?

 じわりと背中に嫌な汗がにじむ。

 「え……どう、かな?」
 おそるおそる尋ねると、沈黙。

 律ならいつものように「かわいい」って言ってくれるはず。
 どこかで、それを当然のように期待していた。

 短くなった髪先を、指先でいじる。
 不安が胸の奥に広がっていく。

 ほんの少し視界が滲んだ、そのとき。
 律がゆっくりと息を吸い、低く、呟いた。

 「……かわいすぎる」
 「へ?」

 嬉しい言葉のはずなのに、どこか様子がおかしい。
 私がきょとんとしている間に、律は音もなく立ち上がり、ずんずんと近づいてくる。

 (ちょ、なに……? 怖い怖い怖い!)

 「最近、やっと陽菜のかわいさに慣れたつもりだった」
 「は、はぁ?」
 「結婚してから毎日見て、ようやく俺も『夫』として落ち着いてきたと思っていた」
 「な、何が言いたいの?」

 律は私の困惑などお構いなしに、低い声で続ける。

 「──なのに、だ。何だ、このかわいさは!」
 「えっ」
 「新しい陽菜。アプリで言うなら、致命的な魅力を持つバージョンアップ。こんな陽菜が見られるなんて聞いてないぞ!」
 言うや否や、がばっと抱きしめられた。

 「ぎゃっ!!」
 潰れる! 思わず悲鳴が出る。

 「せっかく目が慣れたと思ったのに、これじゃ仕事にならない! どうしてくれる!」
 「いや、仕事はしてよ!? 髪が変わっただけでしょ!」
 「『だけ』? 陽菜のかわいさが最大限に引き出されている。この技術は何だ? 美容師にチップを弾まなければ気が済まない」

 真剣すぎる表情に、さっきまでの不安が霧散して、ふっと笑いがこぼれた。

 「あはは、遠藤さん、喜ぶよ」

 ──その一言が、マズかった。

 律の眉が、ぴくりと動く。
 「……遠藤さん?」

 「うん。いつも切ってもらってるの。コンテストにも入賞してて、ほんと上手なんだよ」
 いい美容師を見つけた自分、ちょっと誇らしくて鼻を鳴らした。

 「なるほどな。どおりで、完璧な仕上がりだ」
 律はうなずいて、静かに尋ねた。

 「その美容師、男か?」
 「……え? そうだよ?」

 その瞬間。律が止まった。
 まるで時間が凍ったように、動かない。

 「オ、ト、コ」
 カタカタと震える声。

 (やば……!)

 「だ、だからなんなの? 遠藤さんはただの美容師さんで……」
 私が慌てて笑おうとした次の瞬間──

 「うがあああああああ!!」
 「きゃああああああ!」
 「知らん男が! 陽菜の、この! 髪を! 触ったのかぁぁぁぁっ!」
 「ちょ、ちょっと! 律!?」
 「俺の妻だぞ! 俺の陽菜だ! 許可もなく触るなぁぁぁ!!!」

 床が震えるほどの声。
 (きた……律のジェラシー発作……!)

 「……大げさだよ、律。お仕事なんだから」
 「陽菜は自分のかわいさにもっと自覚を持つべきだ! 妻が他人に触れられたという事実がつらい!」

 とうとう頭を抱えてしゃがみこむ律。
 わなわなと震える背中を見て、思わずため息が漏れた。
 ……もう、誰もこの人をIT企業の社長だなんて信じない。

 でも。

 「かわいすぎる」って本気で思ってくれて、ここまで真剣に嫉妬してくれる。
 それは、当たり前じゃない。

 「……ありがとう、律」

 私も隣にしゃがみこみ、笑いかける。
 律が、はっと顔を上げた。

 激情の残る澄んだ瞳が、まっすぐ私を見た。

 「……陽菜」
 見つめ合う時間。

 彼が私だけを見ている。
 私が彼だけを見ている。

 ただそれだけで、胸の奥がじんわり温かくなった。

 ──と思った、その次の瞬間。

 「……陽菜。これからの美容院は、俺も一緒に行く。カレンダーで日付を共有しておいてくれ」
 「へ?」
 冷静すぎる業務連絡に、私はぽかんとした。

 ***

 二ヶ月後、美容室。

 「え、遠藤さん。今日は、よろしくお願いします……」

 私の背後。
 セット椅子に座る私のすぐ後ろで、律が仁王立ちしていた。

 「妻のヘアスタイリング、任せました」
 律は低い声で圧をかける。

 思わず心の中で「ごめんなさい!」と叫んでいた。

 しかし意外にも、遠藤さんは笑顔で言った。
 「ハイ、お任せください! ……っていうか、陽菜さんの旦那さん、めちゃイケメンっすね!」

 「……ん? そうか?」

 鏡越しに、頬がゆるんでいる。
 完全にご機嫌モード。

 ……ちょろい。

 くだらない、でも愛しい。
 こんな日常が、私にはたまらなく幸せだった。
 きっとこれからも、私の溺愛夫との日々は、こうして続いていく。
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