うちのかわいい愛猫が、満月の夜にイケメンに!? 主従関係になるなんて聞いてません!
今日は、満月の夜だ。
あれからアネモネは、拗ねたまま店のソファにうずくまっていて。
それでも、アネモネはキノ・キランになると確信しているのか、みんな店から離れない。
わたしも、今日は友達の家に泊まるといって、親から外泊の許可をもらった。
だって、アネモネが心配だよ。
わたしの気持ちをよそに、モクレンがぷかーっとキセルを吹かしている。
「下弦の森のころから、強情なんは変わらんなあ」
「……飼い主から、突き放されたんだ。あんな態度にもなるだろう」
レンゲが、ぽつりという。
すると、モクレンが「くふっ」と笑う。
「さっき、あいつに素っ気なくしてたわりに、お優しいこって」
「……おれは、そのとき思ったことをいっているだけだ。他人のご機嫌なんて、知らないな」
「へえ」
いじわるく笑うモクレンを、レンゲがジロリとねめつける。
「こーら。モクレン」
ナズナさまが着物の袖を揺らしながら、モクレンの頭をこつん、と小突いた。
「せっかく能力が成長したのを褒めたろ、思っとんのに、後輩いじめて楽しいんか?」
「……すません」
ナズナさまが、仕方なさそうに息をつく。
やっぱりモクレンは、ナズナさまには敵わないらしい。
しかし、それだけ騒いでいても、アネモネは反応なし。
外の満月も、ぽっかりと明るくなってしまった。
ほんとうに今夜、アネモネはキノ・キランになるのかな。
「ねえ、見て」
そのとき、シロツメが興奮したように、アネモネを指さした。
「目が、紫色に光ってる」
これは——。
満月色の光に包まれながら、アネモネの体がスラリとした人型になっていく。
これが、動物がキノ・キランになる瞬間。
レンゲのときも見たけれど……なんて、神秘的なんだろう。
アネモネのからだから、月色の光がパアッと散る。
アネモネは、ブリティッシュショートヘアという猫だ。
そのふんわりとしたブルークリームの体毛が生かされ、人型のときは、くるんとまかれたツインテールになっている。
しっぽも同じ色合いだ。
ナズナさまが用意しておいてくれた、水色のロリータ服を身に纏っている。
月の光を浴びながら、アネモネがわたしたちに向き合う。
「これが、キノ・キランのわたくしのすがた」
納得がいかなさそうに、腰の頭であるツインテールを撫でる、アネモネ。
「んふふっ」
アネモネが、怪しく笑う。
その瞳は、紫色に輝いていた。
さっきまでの猫のすがたのアネモネの瞳は、オレンジ色だったはずなのに。
キノキランになっても、レンゲの瞳の色は変わらなかった。
ただ、三日月祭の伝説。
あのお話に出てくる猫は、瞳の色が紫色に変わった、と言い伝えられている。
なぜだろう。
——胸騒ぎがする。
「ああ。雇っていたツララとかいう幽霊は、あっさりやられてしまって。こんな小汚い店に連れ去られてしまうとは、わたくしはなんて可哀想なの」
アネモネのようすが、おかしい。
「おまえ、ほんとうにアネモネか?」
モクレンがいうと、アネモネは花が咲くような、笑顔で言った。
「おかしな質問ですわね。この瞳を見て、わかりませんの?」
アネモネは、ぎらりと光る紫の瞳を宝石のように、わたしたちに見せつけた。
「わたくしは、満月の力によってよみがえった――三日月祭のはじまりの猫の『魂』を受けつぐもの」
「え……」
わたしは、息を飲んだ。
ここにいるみんなも、言葉が出ないみたいだ。
続けて、アネモネは天をあおいだ。
「わたくしは、自分がキノ・キランになるとわかったとき、マスターとしてウキネさまにお願いしました」
「そんな……どうして? アネモネのマスターは飼い主さんなんじゃ……」
「わたくしを捨てた飼い主のことなんて、どうでもいいですわッ!」
アネモネが絶叫する。
そうか。
アネモネの飼い主さんは……キノ・キランになった、アネモネを……。
「ウキネさまが、わたくしを救ってくれた。これから、いっしょに生きようと、手を差し伸べてくれた。だから、一刻も早く、キノ・キランになりたかったのです。キノ・キランになりたくなかったんじゃない。あなたがたの仲間になるつもりがなかったのです」
だから、ヤクモが作った食事に、手をつけなかったっていうの? アネモネ……。
レンゲは、ただ黙って、アネモネの紫色の瞳を見つめていた。
しかしアネモネは、もう何も見えていないといった素振りで、猫の牙を見せながら笑う。
「わたくしは、ウキネさまのためだけに戦います」
すさまじい跳躍力で、アネモネは店の天窓へと飛んでいく。
「アネモネ! どこへ行くの」
わたしは、叫んだ。
しかし、アネモネは振り返らない。
「もちろん、霜月の宿ですわ」
そういって、アネモネは窓から飛びあがり、満月の光の中へと消えて行った。
■
アネモネのことが、頭から離れない。
あれから、数日。
アネモネの足取りも、霜月の宿の調査も、なかなか進まないでいた。
それでも、十六夜堂には、色んなキノ・キランが来店する。
インコにトカゲ、ザリガニ、カブトムシに、金魚。
さまざまなキノ・キランが人型のまま、人間社会に溶けこんでいるみたい。
わたしは保護活動のほかに、店のことも少し手伝い出した、わたし。
いったん、アネモネのことは頭の片隅にしまい、接客に集中する。
常連のキノ・キラン、ハコベラさんはいつもメニューにある、雨水を注文する。
ケローネ・キノという、ミドリガメのキノ・キランらしい。
ハコベラさんは、お決まりの窓際にある日当たりのいい席についた。
「どうぞ、雨水です」
ウッドコースターに、底の丸いスインググラス。
そこに、天然雨水。
ハコベラさんの、いつものオーダー。
ぺこり、と頭を下げて、お礼をするハコベラさん。
片目を隠すくらい長い前髪。
大きくてハデなアロハシャツに、黒のスキニーパンツ。
左腕には、色とりどりのパワーストーンのブレスレットを何本もつけていて、なんだか神秘的な人だ。
「ハコベラさんって、ふだんは何をされてるんですか?」
「庭師をしています。依頼者のもとへ行って、庭木の剪定――えっと、枝の手入れをしています」
「このお店によく来てくれるってことは、三日月通りのお客さんが多いんですか?」
「そうですね。最近、このへんにある大きなお宿のご注文が入ったので、嬉しいです。キノ・キラン専用のお宿らしくて」
「――え?」
いま、ハコベラさんがいった言葉を、何度も頭のなかでくり返す。
そのお宿、わたし、知っている気がする。
もしかして――。
「そのお宿の名前ってもしかして、『霜月の宿』……じゃないですか?」
「ご存知でしたか? 今度、見積もりなどを相談しに伺う予定なんですよ。お高そうな外観なので、ちょっと緊張してるんですよね」
照れくさそうにいう、ハコベラさん。
だけど、わたしの心臓のほうが、緊張でドクンドクンと暴れまわっていた。
もしかしたらそれって、霜月の宿の作戦なんじゃない?
庭師のハコベラさんのことを嗅ぎつけて、宿に呼び寄せて、捕獲しようとしているんじゃ。
でも前に、花かずらアパートで会ったタルヒさんがいっていた。
霜月の宿は、ウキネさまの強力な結界に守られていて、招待されていないものには、見つからないようになっているって。
だけど、招待されているハコベラさんに着いていけば、霜月の宿に潜入できるんじゃないかな。
「ハコベラさん!」
わたしは思わず、ハコベラさんの手を取った。
「霜月の宿に、いっしょに連れて行ってくれませんか?」
■
ハコベラさんが帰ったあと、わたしはホッと息をついた。
これってもしかして、わたしいい仕事したんじゃない?
はやく、みんなにこのことを教えてあげないと……。
「チカナ」
メインクーンのクッションのようなしっぽが、スッと腰に巻きつけられ、わたしは進行を妨げられてしまった。
レンゲに耳元で名前を呼ばれ、思わずわたしは耳をふさいだ。
「ちょ、ちょっと何なの。レンゲってば。どこから出てきたの?」
「おまえ、さっきまで、何をしていたんだ」
「えっ。ハコベラさんの接客をしてたんだけど」
「接客? あれが?」
ぐいっと、レンゲの整った顔が目の前にせまる。
おでこがくっつきそうなほどの近距離に、わたしは一歩、後ずさる。
「手を取りあっていたな」
「そ、それがなに?」
「あれが、接客なのか?」
「いや、違うの。あれはね、つい興奮して……」
「勝手に、霜月の宿のことを探っていたな」
レンゲが、グッと眉間にしわを寄せ、辛そうにいう。
なんで、そんな顔するの?
「勝手にじゃないよ。ハコベラさんとの会話で偶然、知ったの。みんなに知らせないとって、おもって」
「……おまえがやりたいことを、おれは止めたくない。でも、おまえが危険な目にあうことをわかっているのに、何もいわないでいることも、おれはできない」
「……レンゲ?」
それは、何かと葛藤しているような、辛そうな表情で。
わたしは、レンゲにこんな顔をさせているのが、パートナーのわたしなんだとおもうと、胸がぎゅっと締めつけられた。
「わたし、レンゲのパートナーなのに……やっぱり、役立たずなのかな」
「ん……? なんで、そんな話になるんだ」
不可解そうに首をひねるレンゲに、わたしはいままで思っていたことが、するすると口からこぼれていってしまう。
「ずっと、わたしはレンゲのパートナーにふさわしいのかなって、悩んでたんだ。ヤクモみたいに、器用じゃないし。ナズナさまみたいに、強くないのに……レンゲのパートナーがわたしでいいのかなって」
すると、レンゲはフッと、表情をゆるめた。
そして、大きな手のひらで、わたしの頭を優しく撫でてくれる。
「おかしなことをいう。おれのパートナーは、チカナ以外にいるはずがない。おまえ以外、パートナーだとは認めない」
「……そこまで?」
つい、わたしもつられて、笑いそうになる。
レンゲのしっとりとした手が、わたしの頬をさする。
「おれを檻のなかから救ってくれたのは、おまえだろう」
「檻……? ああ、ペットショップのこと? メインクーンは大きすぎるから飼えないって理由で、レンゲだけ、ずっとあそこにいたんだよね」
「ああ……」
他の猫よりも数倍大きなメインクーンが、せまいショーケースのなか、悲しそうな目でわたしを見つめていた。
わたしは、これからずっと誕生日プレゼントもお小遣いもいらないから、この子を飼いたいと頼んだんだ。
無事に、レンゲを家にお迎えできてからは、幸せの連続だった。
レンゲは賢くて、かっこよくて、わたしの自慢の家族になったんだ。
「だから、そんなふうに感謝なんて、感じなくていいのに」
「いや、おれにとっては、何よりも大事なことだ。だから、おまえが危険な目にあうことは耐えられない」
真剣な、猫の瞳で、レンゲは噛みしめるようにいう。
「……どうしても、霜月の宿に行くっていうのか?」
「わたしは、十六夜堂の一員だよ。キノ・キランのみんなを救うために、できることはなんでもやりたいの」
「……どうして、そこまで? おまえには、関係のないことだろう」
「レンゲがキノ・キランになって、わたしを何度も助けてくれたからだよ」
満月みたいな瞳を、レンゲはさらに丸くし、しっぽをピンと立てた。
その反応に、わたしはへらっと、くちもとをゆるめてしまう。
「だから、わたしもキノ・キランのみんなのことを、守りたい。レンゲが、わたしを守ってくれたみたいに、わたしもみんなのことを、守りたいっておもったんだ」
「忘れていた……。おまえは、そういうやつだったな」
レンゲが、あきらめたように息をつく。
そして、メインクーンの長いしっぽをわたしに絡ませながら、いい聞かせるように続けた。
「だが、忘れるな。おまえを守るのは、おれだけだ」
あれからアネモネは、拗ねたまま店のソファにうずくまっていて。
それでも、アネモネはキノ・キランになると確信しているのか、みんな店から離れない。
わたしも、今日は友達の家に泊まるといって、親から外泊の許可をもらった。
だって、アネモネが心配だよ。
わたしの気持ちをよそに、モクレンがぷかーっとキセルを吹かしている。
「下弦の森のころから、強情なんは変わらんなあ」
「……飼い主から、突き放されたんだ。あんな態度にもなるだろう」
レンゲが、ぽつりという。
すると、モクレンが「くふっ」と笑う。
「さっき、あいつに素っ気なくしてたわりに、お優しいこって」
「……おれは、そのとき思ったことをいっているだけだ。他人のご機嫌なんて、知らないな」
「へえ」
いじわるく笑うモクレンを、レンゲがジロリとねめつける。
「こーら。モクレン」
ナズナさまが着物の袖を揺らしながら、モクレンの頭をこつん、と小突いた。
「せっかく能力が成長したのを褒めたろ、思っとんのに、後輩いじめて楽しいんか?」
「……すません」
ナズナさまが、仕方なさそうに息をつく。
やっぱりモクレンは、ナズナさまには敵わないらしい。
しかし、それだけ騒いでいても、アネモネは反応なし。
外の満月も、ぽっかりと明るくなってしまった。
ほんとうに今夜、アネモネはキノ・キランになるのかな。
「ねえ、見て」
そのとき、シロツメが興奮したように、アネモネを指さした。
「目が、紫色に光ってる」
これは——。
満月色の光に包まれながら、アネモネの体がスラリとした人型になっていく。
これが、動物がキノ・キランになる瞬間。
レンゲのときも見たけれど……なんて、神秘的なんだろう。
アネモネのからだから、月色の光がパアッと散る。
アネモネは、ブリティッシュショートヘアという猫だ。
そのふんわりとしたブルークリームの体毛が生かされ、人型のときは、くるんとまかれたツインテールになっている。
しっぽも同じ色合いだ。
ナズナさまが用意しておいてくれた、水色のロリータ服を身に纏っている。
月の光を浴びながら、アネモネがわたしたちに向き合う。
「これが、キノ・キランのわたくしのすがた」
納得がいかなさそうに、腰の頭であるツインテールを撫でる、アネモネ。
「んふふっ」
アネモネが、怪しく笑う。
その瞳は、紫色に輝いていた。
さっきまでの猫のすがたのアネモネの瞳は、オレンジ色だったはずなのに。
キノキランになっても、レンゲの瞳の色は変わらなかった。
ただ、三日月祭の伝説。
あのお話に出てくる猫は、瞳の色が紫色に変わった、と言い伝えられている。
なぜだろう。
——胸騒ぎがする。
「ああ。雇っていたツララとかいう幽霊は、あっさりやられてしまって。こんな小汚い店に連れ去られてしまうとは、わたくしはなんて可哀想なの」
アネモネのようすが、おかしい。
「おまえ、ほんとうにアネモネか?」
モクレンがいうと、アネモネは花が咲くような、笑顔で言った。
「おかしな質問ですわね。この瞳を見て、わかりませんの?」
アネモネは、ぎらりと光る紫の瞳を宝石のように、わたしたちに見せつけた。
「わたくしは、満月の力によってよみがえった――三日月祭のはじまりの猫の『魂』を受けつぐもの」
「え……」
わたしは、息を飲んだ。
ここにいるみんなも、言葉が出ないみたいだ。
続けて、アネモネは天をあおいだ。
「わたくしは、自分がキノ・キランになるとわかったとき、マスターとしてウキネさまにお願いしました」
「そんな……どうして? アネモネのマスターは飼い主さんなんじゃ……」
「わたくしを捨てた飼い主のことなんて、どうでもいいですわッ!」
アネモネが絶叫する。
そうか。
アネモネの飼い主さんは……キノ・キランになった、アネモネを……。
「ウキネさまが、わたくしを救ってくれた。これから、いっしょに生きようと、手を差し伸べてくれた。だから、一刻も早く、キノ・キランになりたかったのです。キノ・キランになりたくなかったんじゃない。あなたがたの仲間になるつもりがなかったのです」
だから、ヤクモが作った食事に、手をつけなかったっていうの? アネモネ……。
レンゲは、ただ黙って、アネモネの紫色の瞳を見つめていた。
しかしアネモネは、もう何も見えていないといった素振りで、猫の牙を見せながら笑う。
「わたくしは、ウキネさまのためだけに戦います」
すさまじい跳躍力で、アネモネは店の天窓へと飛んでいく。
「アネモネ! どこへ行くの」
わたしは、叫んだ。
しかし、アネモネは振り返らない。
「もちろん、霜月の宿ですわ」
そういって、アネモネは窓から飛びあがり、満月の光の中へと消えて行った。
■
アネモネのことが、頭から離れない。
あれから、数日。
アネモネの足取りも、霜月の宿の調査も、なかなか進まないでいた。
それでも、十六夜堂には、色んなキノ・キランが来店する。
インコにトカゲ、ザリガニ、カブトムシに、金魚。
さまざまなキノ・キランが人型のまま、人間社会に溶けこんでいるみたい。
わたしは保護活動のほかに、店のことも少し手伝い出した、わたし。
いったん、アネモネのことは頭の片隅にしまい、接客に集中する。
常連のキノ・キラン、ハコベラさんはいつもメニューにある、雨水を注文する。
ケローネ・キノという、ミドリガメのキノ・キランらしい。
ハコベラさんは、お決まりの窓際にある日当たりのいい席についた。
「どうぞ、雨水です」
ウッドコースターに、底の丸いスインググラス。
そこに、天然雨水。
ハコベラさんの、いつものオーダー。
ぺこり、と頭を下げて、お礼をするハコベラさん。
片目を隠すくらい長い前髪。
大きくてハデなアロハシャツに、黒のスキニーパンツ。
左腕には、色とりどりのパワーストーンのブレスレットを何本もつけていて、なんだか神秘的な人だ。
「ハコベラさんって、ふだんは何をされてるんですか?」
「庭師をしています。依頼者のもとへ行って、庭木の剪定――えっと、枝の手入れをしています」
「このお店によく来てくれるってことは、三日月通りのお客さんが多いんですか?」
「そうですね。最近、このへんにある大きなお宿のご注文が入ったので、嬉しいです。キノ・キラン専用のお宿らしくて」
「――え?」
いま、ハコベラさんがいった言葉を、何度も頭のなかでくり返す。
そのお宿、わたし、知っている気がする。
もしかして――。
「そのお宿の名前ってもしかして、『霜月の宿』……じゃないですか?」
「ご存知でしたか? 今度、見積もりなどを相談しに伺う予定なんですよ。お高そうな外観なので、ちょっと緊張してるんですよね」
照れくさそうにいう、ハコベラさん。
だけど、わたしの心臓のほうが、緊張でドクンドクンと暴れまわっていた。
もしかしたらそれって、霜月の宿の作戦なんじゃない?
庭師のハコベラさんのことを嗅ぎつけて、宿に呼び寄せて、捕獲しようとしているんじゃ。
でも前に、花かずらアパートで会ったタルヒさんがいっていた。
霜月の宿は、ウキネさまの強力な結界に守られていて、招待されていないものには、見つからないようになっているって。
だけど、招待されているハコベラさんに着いていけば、霜月の宿に潜入できるんじゃないかな。
「ハコベラさん!」
わたしは思わず、ハコベラさんの手を取った。
「霜月の宿に、いっしょに連れて行ってくれませんか?」
■
ハコベラさんが帰ったあと、わたしはホッと息をついた。
これってもしかして、わたしいい仕事したんじゃない?
はやく、みんなにこのことを教えてあげないと……。
「チカナ」
メインクーンのクッションのようなしっぽが、スッと腰に巻きつけられ、わたしは進行を妨げられてしまった。
レンゲに耳元で名前を呼ばれ、思わずわたしは耳をふさいだ。
「ちょ、ちょっと何なの。レンゲってば。どこから出てきたの?」
「おまえ、さっきまで、何をしていたんだ」
「えっ。ハコベラさんの接客をしてたんだけど」
「接客? あれが?」
ぐいっと、レンゲの整った顔が目の前にせまる。
おでこがくっつきそうなほどの近距離に、わたしは一歩、後ずさる。
「手を取りあっていたな」
「そ、それがなに?」
「あれが、接客なのか?」
「いや、違うの。あれはね、つい興奮して……」
「勝手に、霜月の宿のことを探っていたな」
レンゲが、グッと眉間にしわを寄せ、辛そうにいう。
なんで、そんな顔するの?
「勝手にじゃないよ。ハコベラさんとの会話で偶然、知ったの。みんなに知らせないとって、おもって」
「……おまえがやりたいことを、おれは止めたくない。でも、おまえが危険な目にあうことをわかっているのに、何もいわないでいることも、おれはできない」
「……レンゲ?」
それは、何かと葛藤しているような、辛そうな表情で。
わたしは、レンゲにこんな顔をさせているのが、パートナーのわたしなんだとおもうと、胸がぎゅっと締めつけられた。
「わたし、レンゲのパートナーなのに……やっぱり、役立たずなのかな」
「ん……? なんで、そんな話になるんだ」
不可解そうに首をひねるレンゲに、わたしはいままで思っていたことが、するすると口からこぼれていってしまう。
「ずっと、わたしはレンゲのパートナーにふさわしいのかなって、悩んでたんだ。ヤクモみたいに、器用じゃないし。ナズナさまみたいに、強くないのに……レンゲのパートナーがわたしでいいのかなって」
すると、レンゲはフッと、表情をゆるめた。
そして、大きな手のひらで、わたしの頭を優しく撫でてくれる。
「おかしなことをいう。おれのパートナーは、チカナ以外にいるはずがない。おまえ以外、パートナーだとは認めない」
「……そこまで?」
つい、わたしもつられて、笑いそうになる。
レンゲのしっとりとした手が、わたしの頬をさする。
「おれを檻のなかから救ってくれたのは、おまえだろう」
「檻……? ああ、ペットショップのこと? メインクーンは大きすぎるから飼えないって理由で、レンゲだけ、ずっとあそこにいたんだよね」
「ああ……」
他の猫よりも数倍大きなメインクーンが、せまいショーケースのなか、悲しそうな目でわたしを見つめていた。
わたしは、これからずっと誕生日プレゼントもお小遣いもいらないから、この子を飼いたいと頼んだんだ。
無事に、レンゲを家にお迎えできてからは、幸せの連続だった。
レンゲは賢くて、かっこよくて、わたしの自慢の家族になったんだ。
「だから、そんなふうに感謝なんて、感じなくていいのに」
「いや、おれにとっては、何よりも大事なことだ。だから、おまえが危険な目にあうことは耐えられない」
真剣な、猫の瞳で、レンゲは噛みしめるようにいう。
「……どうしても、霜月の宿に行くっていうのか?」
「わたしは、十六夜堂の一員だよ。キノ・キランのみんなを救うために、できることはなんでもやりたいの」
「……どうして、そこまで? おまえには、関係のないことだろう」
「レンゲがキノ・キランになって、わたしを何度も助けてくれたからだよ」
満月みたいな瞳を、レンゲはさらに丸くし、しっぽをピンと立てた。
その反応に、わたしはへらっと、くちもとをゆるめてしまう。
「だから、わたしもキノ・キランのみんなのことを、守りたい。レンゲが、わたしを守ってくれたみたいに、わたしもみんなのことを、守りたいっておもったんだ」
「忘れていた……。おまえは、そういうやつだったな」
レンゲが、あきらめたように息をつく。
そして、メインクーンの長いしっぽをわたしに絡ませながら、いい聞かせるように続けた。
「だが、忘れるな。おまえを守るのは、おれだけだ」