眠れぬ夜は、優しすぎる刑事の腕の中で。
午前9時34分。
花音は個室の通話ブースに入り、業務用スマートフォンの履歴から「川野美咲」の番号をタップした。
呼び出し音が二度鳴ったあと、少し間を置いて、
くぐもった女性の声が電話口に出た。
「……はい」
「杉並児童相談所の佐原と申します。川野美咲さんでお間違いないでしょうか?」
「ああ……はい。何か?」
どこか警戒するような、硬い声色。
花音はテンプレートではなく、状況に合わせて丁寧な説明を始める。
「昨夜、アパート近隣からお子さんに関する通報が入りました。私どもも現場に向かい、インターホンを押させていただきましたが、お休み中だったご様子で、お話しできませんでした。お時間をいただけますか?」
「ああ……あれ、ね。うるさかったって言われた。泣き止まなくて」
花音はメモを取りながら、淡々と返す。
「はい、お子さんが泣くことは自然なことですが、通報があった以上、当所としてはお子さんの安全確認を行う必要があります。本日、そちらへ伺わせていただきたいのですが……いかがでしょうか?」
一瞬の沈黙のあと、美咲の声が、明らかに不満をにじませて返ってくる。
「今日? いや……ちょっと今日は……。買い物とかあるし、午後は実家に行く予定で……」
花音はカレンダーを見ながら、冷静に問いかける。
「それでは、午前中の早めの時間帯であればいかがでしょうか? 15分ほどで構いません。お子さんの状態を確認し、特に問題がなければすぐに退室いたします」
「いや……その、部屋が今、散らかってて……そういうの見られるのも困るっていうか……」
(回避しようとしている)
花音はそう直感した。
それでも、表情も声も変えない。
「お気持ちはわかります。ですが、私たちが確認すべきは“お部屋の状態”ではなく、“お子さんの安全”です。もし訪問にご都合が合わない場合、警察・保健師と連携して再度対応することもございます。ご協力いただける時間を、改めてご提案いただけますか?」
「………………」
電話の向こうで、テレビの音がした。
数秒の沈黙の後、美咲はため息交じりに言った。
「じゃあ……11時とか。いいですか」
花音は、かすかに息を整えてから答える。
「はい。ありがとうございます。それでは、本日11時に訪問させていただきます。どうぞよろしくお願いいたします」
「……はいはい」
通話が切れると、花音はスマートフォンを置き、静かにメモを閉じた。
(ギリギリの同意。でも、面会できる)
それだけで状況はまるで違う。
まだ手続き段階ではあるが、「次の一歩」が開いたのだ。
隣のデスクでは、同僚がケースファイルを抱えて駆けていく。
この建物の中にいる全員が、今日も誰かの未来をつなごうと走っている。
花音も、その一人だった。
花音は個室の通話ブースに入り、業務用スマートフォンの履歴から「川野美咲」の番号をタップした。
呼び出し音が二度鳴ったあと、少し間を置いて、
くぐもった女性の声が電話口に出た。
「……はい」
「杉並児童相談所の佐原と申します。川野美咲さんでお間違いないでしょうか?」
「ああ……はい。何か?」
どこか警戒するような、硬い声色。
花音はテンプレートではなく、状況に合わせて丁寧な説明を始める。
「昨夜、アパート近隣からお子さんに関する通報が入りました。私どもも現場に向かい、インターホンを押させていただきましたが、お休み中だったご様子で、お話しできませんでした。お時間をいただけますか?」
「ああ……あれ、ね。うるさかったって言われた。泣き止まなくて」
花音はメモを取りながら、淡々と返す。
「はい、お子さんが泣くことは自然なことですが、通報があった以上、当所としてはお子さんの安全確認を行う必要があります。本日、そちらへ伺わせていただきたいのですが……いかがでしょうか?」
一瞬の沈黙のあと、美咲の声が、明らかに不満をにじませて返ってくる。
「今日? いや……ちょっと今日は……。買い物とかあるし、午後は実家に行く予定で……」
花音はカレンダーを見ながら、冷静に問いかける。
「それでは、午前中の早めの時間帯であればいかがでしょうか? 15分ほどで構いません。お子さんの状態を確認し、特に問題がなければすぐに退室いたします」
「いや……その、部屋が今、散らかってて……そういうの見られるのも困るっていうか……」
(回避しようとしている)
花音はそう直感した。
それでも、表情も声も変えない。
「お気持ちはわかります。ですが、私たちが確認すべきは“お部屋の状態”ではなく、“お子さんの安全”です。もし訪問にご都合が合わない場合、警察・保健師と連携して再度対応することもございます。ご協力いただける時間を、改めてご提案いただけますか?」
「………………」
電話の向こうで、テレビの音がした。
数秒の沈黙の後、美咲はため息交じりに言った。
「じゃあ……11時とか。いいですか」
花音は、かすかに息を整えてから答える。
「はい。ありがとうございます。それでは、本日11時に訪問させていただきます。どうぞよろしくお願いいたします」
「……はいはい」
通話が切れると、花音はスマートフォンを置き、静かにメモを閉じた。
(ギリギリの同意。でも、面会できる)
それだけで状況はまるで違う。
まだ手続き段階ではあるが、「次の一歩」が開いたのだ。
隣のデスクでは、同僚がケースファイルを抱えて駆けていく。
この建物の中にいる全員が、今日も誰かの未来をつなごうと走っている。
花音も、その一人だった。