眠れぬ夜は、優しすぎる刑事の腕の中で。
病院の自動ドアが静かに開き、早瀬は光の中へ一歩を踏み出した。
昼過ぎの陽射しは強く、さっきまでの緊張と薄暗い処置室が嘘のように感じられる。

ポケットからスマートフォンを取り出し、新田に発信。
すぐに繋がった。

「新田さん、早瀬です。佐原さん――命に別状はありません。一酸化炭素中毒の診断でしたが、現在は安定しています。医師の判断で、今日一日入院して経過観察になる見込みです」

電話越しに、新田の声が短く返る。

「……わかった。よくやったな。ありがとな。――児相にもすぐ伝えろ。こっちには三宅さんが来てる。みんな、すごく心配してる」

その言葉の調子は、いつもの無骨で変わらない口調だったが、そこには確かな安堵と、現場を預かる者としての静かな信頼が滲んでいた。

「……了解しました」

電話を切ると、早瀬は続けて児童相談所の朝岡へ連絡を入れる。

「……はい、杉並署の早瀬です。佐原さんの件で――」

名前を告げた瞬間、受話器の向こうから息を呑むような気配が伝わってきた。

「早瀬さん……っ、佐原さんは……?」

「命に別状はありません。現在は安静にしていて、今日一日入院となります。医師の判断で経過観察です」

その瞬間、朝岡の声がわずかに震えた。

「……ありがとうございます、本当に……。いつも、うちの職員を……支えてくださって……っ」

早瀬は黙ってその言葉を受け止めた。
朝岡の声は、涙を堪えるように途切れ途切れで、緊張が限界を超えていたのだと、彼にもすぐに分かった。

「いえ……もっと早く、私たちも一緒に踏み込むべきでした」

それは、職務上の反省でも責任でもなかった。
早瀬自身の、どうしようもない感情――

あのとき、花音が一人で危険の中に飛び込んでいたことが、悔しかった。
苦しんでいる姿を見て、胸が裂けそうだった。
守るべきだったのは、被害者や子供だけじゃない。
彼女自身だった。

(彼女が前を向いている時、隣にいたい。守りたい。手を、離したくない)

「……佐原さんが目を覚ましたら、あなたにも連絡させます」

朝岡の声が、やや落ち着きを取り戻していた。

「……お願いします。ほんとうに……ありがとうございました」

「いえ。こちらこそ」

電話を切ると、早瀬は空を見上げた。

昼の陽射しは変わらず眩しい。
けれどその中に、ようやく確かな一歩が刻まれた気がした。
< 201 / 247 >

この作品をシェア

pagetop