眠れぬ夜は、優しすぎる刑事の腕の中で。
杉並警察署・生活安全課。
そのドアをくぐった瞬間、早瀬は、いつもとは違う空気に気づいた。
静まり返っているわけではない。
けれど、どこか皆の動きが慎重で、言葉選びに迷いがあるような、そんな重さが漂っていた。
彼が戻ったことに、周囲はすぐ気づいた。
それでも課内の誰もが、すぐに声をかけることはしなかった。
書類に目を落とす者、電話で応対する者、パソコンの画面に向かう者。
皆、日常の業務を装いながら、どこかで彼の表情を探っていた。
ようやく、岡田が立ち上がり、早瀬の元に歩み寄る。
「……佐原さん、無事だったんですよね?」
「ああ。医師の説明でも、命に別状なし。一酸化炭素中毒だったけど、今日一日は念のため入院って。ちゃんと意識もあった」
「よかった……」
岡田の表情に、はっきりと安堵が浮かぶ。
新田からは既に病院での報告を受けていたはずだが、それでも本人の口から聞くことには、別の重みがあった。
「三宅さんからも児相には報告いってるけど……佐原さんのこと、やっぱりみんな心配してたんで」
「……ああ、わかってる。ありがとう」
早瀬はそう言って、小さく息をついた。
ようやく椅子に腰を下ろすと、背中から重力がのしかかるような感覚に襲われる。
「早瀬さん、少し休んでください。今日一日、長かったですよね」
岡田の声は穏やかだったが、そこにはどこか、言葉以上の感情がにじんでいた。
(長かった……本当に)
早瀬は心の中で、そう呟いた。
花音が電話越しに訴えた、掠れた声。
団地の階段を駆け上がった時の、胸が潰れそうな焦り。
意識を取り戻した彼女が、まだ悠真の名を口にしたときの、自分のどうしようもない感情。
(何で……彼女ばかり、こんな目に……)
そんな思いが胸の奥にわだかまる。
守りたい。
そう願っていた相手に、また何もできなかった。
その無力さが、ずっと早瀬を締めつけていた。
ふと、新田が向こうの机からこちらを見ていた。
何も言わず、ただ一度、深く頷いた。
(……わかってる。まだ、終わってない)
彼女の「無事」は、始まりにすぎない。
これから、彼女がまた現場に戻れるかどうか――それを支えることが、今の自分のすべきことなのだと、早瀬は強く思った。
蛍光灯の光が、妙に眩しく感じられた。
彼は一度だけ、そっと目を閉じた。
気持ちを整えるために。
そして、再びゆっくりと、目を開けた。
そのドアをくぐった瞬間、早瀬は、いつもとは違う空気に気づいた。
静まり返っているわけではない。
けれど、どこか皆の動きが慎重で、言葉選びに迷いがあるような、そんな重さが漂っていた。
彼が戻ったことに、周囲はすぐ気づいた。
それでも課内の誰もが、すぐに声をかけることはしなかった。
書類に目を落とす者、電話で応対する者、パソコンの画面に向かう者。
皆、日常の業務を装いながら、どこかで彼の表情を探っていた。
ようやく、岡田が立ち上がり、早瀬の元に歩み寄る。
「……佐原さん、無事だったんですよね?」
「ああ。医師の説明でも、命に別状なし。一酸化炭素中毒だったけど、今日一日は念のため入院って。ちゃんと意識もあった」
「よかった……」
岡田の表情に、はっきりと安堵が浮かぶ。
新田からは既に病院での報告を受けていたはずだが、それでも本人の口から聞くことには、別の重みがあった。
「三宅さんからも児相には報告いってるけど……佐原さんのこと、やっぱりみんな心配してたんで」
「……ああ、わかってる。ありがとう」
早瀬はそう言って、小さく息をついた。
ようやく椅子に腰を下ろすと、背中から重力がのしかかるような感覚に襲われる。
「早瀬さん、少し休んでください。今日一日、長かったですよね」
岡田の声は穏やかだったが、そこにはどこか、言葉以上の感情がにじんでいた。
(長かった……本当に)
早瀬は心の中で、そう呟いた。
花音が電話越しに訴えた、掠れた声。
団地の階段を駆け上がった時の、胸が潰れそうな焦り。
意識を取り戻した彼女が、まだ悠真の名を口にしたときの、自分のどうしようもない感情。
(何で……彼女ばかり、こんな目に……)
そんな思いが胸の奥にわだかまる。
守りたい。
そう願っていた相手に、また何もできなかった。
その無力さが、ずっと早瀬を締めつけていた。
ふと、新田が向こうの机からこちらを見ていた。
何も言わず、ただ一度、深く頷いた。
(……わかってる。まだ、終わってない)
彼女の「無事」は、始まりにすぎない。
これから、彼女がまた現場に戻れるかどうか――それを支えることが、今の自分のすべきことなのだと、早瀬は強く思った。
蛍光灯の光が、妙に眩しく感じられた。
彼は一度だけ、そっと目を閉じた。
気持ちを整えるために。
そして、再びゆっくりと、目を開けた。