眠れぬ夜は、優しすぎる刑事の腕の中で。
玄関の方で、ドアが開く音がした。

花音がリビングの奥から様子を窺うと、男が遠慮のかけらもなく、ズカズカと部屋に上がってきた。

身なりはラフで、足元は泥のついた靴下。
頬が赤く、酒気が漂ってくる。顔つきはまだ若いが、どこか粗雑さを纏っていた。

男の視線が部屋の奥の花音に向く。

「え?……こいつ、だれ?」

美咲は一瞬言葉を詰まらせ、低く答えた。

「……児相の人。絡まないで」

男は口元を歪め、鼻で笑った。

「へぇ。児相ねぇ。あんたが美咲に付きまとって説教ばっかりしてる偉そうなヤツね?」

まっすぐ花音を見て、あからさまに挑発するような口ぶり。

花音は即座に、結咲ちゃんと男の間にそっと立ち位置を移した。

視線を下げると、ユニコーンのぬいぐるみを抱いたまま、結咲ちゃんが眠ったままかすかに身じろぎしている。目覚めるのは、時間の問題だった。

「……うるさいっ!!」
突然、美咲が叫んだ。

その声に驚いて、結咲ちゃんがはっと目を覚ました。

「まま……?」

小さな声でつぶやきながら、布団から身を起こす。

それを見た男は、舌打ち混じりに顔を歪めながら、一歩前へ出た。

「おいおい……お前、誰のおかげで結咲育てられてんのか分かってんのか?」
口調は低く、しかしその目には苛立ちが露骨に浮かんでいた。

男の足が、花音の目の前までにじり寄ってくる。
詰め寄るというより、狭い空間の空気を圧迫してくるようだった。

結咲ちゃんは、不安そうに花音の背後から覗き込むように男を見ている。

――介入すべきか。

花音の胸が強く脈打つ。
「今ここで一線を越えたら、どうする。通報か。連れ出すか。だが、物理的接触がないうちは……」

冷静な判断と、子どもを守りたいという本能的な感情が、脳内でせめぎ合う。

そのとき、花音の手はすでにスマートフォンを握っていた。
親指は、通話ボタンの直前で止まっている。

そして、心の中で静かに問う。

――「次の一手は、“守る”か、“信じる”か。」

玄関のドアは閉まっていた。
けれど、ここが密室であってはならない。
ここは、誰かの目と手が届く場所でなければならない。

花音の視線は、美咲に向いた。
彼女はどうする?
この状況で、何を選ぶか。
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