眠れぬ夜は、優しすぎる刑事の腕の中で。
マンションの階段を、一段ずつ、慎重に足を運ぶ。
さっきの突き飛ばされた瞬間の衝撃が、右足首に響いている。
手すりを握る手にじんわりと汗がにじんだ。

時間をかけて、ようやく地上階へとたどり着いた頃には、辺りはすっかり夕闇に包まれかけていた。
その様子を見ていた新田と、そばにいた若い警察官――交番勤務の川口巡査が、苦笑いを浮かべながら声をかけてきた。

「それじゃ、帰れるのいつになるんですか? 病院行ったほうがいいですよ、マジで」
「はい、病院には行くつもりです……でも、ここに公用車置いていくわけにはいかないので……」

そう答えた花音の言葉に、新田が少し眉を上げ、すぐにうなずいた。

「ああ、じゃあうちの川口に運転させて、署に一旦置いときますか。あとから児相の職員に取りに来てもらえばいいし」

「ありがとうございます。すみません……」

深く頭を下げた花音に、新田は「いやいや」と手を振って返した。

すると、傍で腕を組んでいた早瀬が一歩前に出て、端的に言った。

「とりあえず、パトカー乗りましょう。足、つらそうですし」

「作戦会議だな」と新田が軽口を叩きながら、車のドアを開けてくれる。

花音は少し顔をしかめながらも、「すみません、助かります」と声を絞り、早瀬たちの手を借りながら慎重に車に乗り込んだ。

シートに深く身を沈めた瞬間、どっと疲れが押し寄せてくる。
さっきまで気を張っていた分、足の痛みが余計に鮮明になる。

ドアが閉まり、パトカーのエンジンが静かにかかった。
ほんのわずか、車内に安堵の空気が満ちる。

だがそれでも、花音の中に芽生えた焦りと痛み、そしてどこか切り離されたような孤独感は、まだ消えなかった。
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