眠れぬ夜は、優しすぎる刑事の腕の中で。
パトカーの静かな走行音の中、花音がぽつりと言った。

「タクシーで病院行ってもよかったんですけど……」

新田がすぐに苦笑混じりに返す。

「いやいや、その足で一人でタクシー乗って、病院までちょっとでも歩くの、正直キツいと思いますよ。
下手したら、途中で“路上でハイハイしてる大人がいます”って通報されますからね」

「……」

「それに、こっち覆面パトだし、僕らも私服ですし。ぱっと見じゃ警察ってわからないですから。変に目立ちません。気にしないでください」

花音は思わず顔を赤らめながら、視線を落とした。

「……わかりました。ありがとうございます」

ふと、ミラー越しに運転席の早瀬と目が合った。
すぐに目を逸らしたが、その行動自体がなんだか気まずくて、余計に自分の不器用さが刺さる。

沈黙を破ったのは早瀬だった。

「佐原さん、怪我してるのに、よく冷静に対応されましたね。僕らが気づかないほどに」

その声は、責めるものではなく、どこか敬意すら含んでいた。

「確かにね」と、新田も同意する。
「でも、我慢のしすぎは禁物ですよ。あの手の人たちは何してくるかわからないし。今回は交際相手?がいたってのは、想定外だっただろうけど」

花音は小さく息を吐いてうなずいた。

「……ああいう現場は、初めてじゃないです。でも、交際相手がいることを把握していませんでした。その認識の甘さがリスクの過小評価につながって……一人で対応したのは、私の落ち度です」

新田がふと思い出したように言う。

「おっ、あそこ、先週か?男女の言い争いで通報入ってたよね?」

「入ってましたね」早瀬が淡々と返す。「ご存知なかったですか?佐原さん」

花音は一瞬、答えを飲み込んだ。だがすぐに、苦い表情でうなずく。

「警察から、その件に関する共有は、受けていませんでした」

そう言ったあと、間を置いて付け加える。

「……でも、それは警察のせいじゃない。私が確認すべきだったんです。川野家に関する通報内容は、子どもに関わるもの以外も含めて、定期的に履歴を照会するべきでした」

言いながら、胸の奥にじわりと広がる落胆。
痛む足よりも重いのは、自分自身への悔しさだった。
大切な判断を誤った、その重みが静かにのしかかっていた。
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