眠れぬ夜は、優しすぎる刑事の腕の中で。
保護所の静かなプレイルーム。
午後の陽が窓越しに柔らかく差し込んでいた。

花音は、プレイルームの隅で見守っていた保育士に声をかける。

「最近の様子はどうですか?」

保育士は、玩具を片付けながら答えた。

「大きく情緒が乱れるようなことはありません。食事も睡眠も比較的落ち着いていて……ただ」

花音が視線で続きを促す。

「ときどき、“ここいや”って言って隅っこに行くんです。夜は“ママ”って何度も呟いて……
“どこ?”“ママ どこ?”って。」

花音の胸がわずかにきしむ。

「言葉の遅れなどは……?」

「今のところは、1歳5ヶ月として妥当かなという印象です。感情表出も豊かですし、反応もいいです。
ただ、言葉の発達はこの年齢は本当に個人差が大きいので、今後も継続的に見ていく必要はあります。」

花音は小さくうなずいた。

そのとき、少し離れたところにいた結咲がこちらに気づいた。

一瞬、花音の顔を見て――ぴたりと動きを止める。
目の奥に、何かを測るような、怯えとも困惑ともとれる色が浮かんだ。

(……やっぱり、私のこと、“ママから引き離した人”って思ってるのかもな。)

花音はゆっくりとしゃがみ、優しい声で呼びかけた。

「結咲ちゃん、こんにちは。明日ね、ママのところに戻るんだよ。
ママ、ちょっとおやすみしてたの。でも、もう大丈夫だからね。」

結咲は、じっと花音の顔を見つめ――ふいに、にこっと笑った。
それから、小さな手で一冊の絵本を持ってきた。

『100万回生きたねこ』
表紙のねこを、そっと指でなぞっている。

花音は、思わず微笑んだ。

「この本、好きなの?」

結咲はこくんとうなずく。
内容の意味はまだ分からなくても、色彩や猫の表情に惹かれているのだろう。

花音は静かに座り、結咲をそっと膝に乗せた。

「じゃあ、一緒に読もうか。」

ページをめくるたびに、結咲の指が猫の姿をなぞる。
その細い指先に、ふと、花音の視線が止まる。

(この小さな子の未来に、どうか、少しでも穏やかな時間が訪れますように――)

そう願いながら、花音はゆっくりと、物語の続きを読み進めていった。
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