眠れぬ夜は、優しすぎる刑事の腕の中で。
佐原花音が杉並警察署に到着すると、夕刻の空はすでに群青に染まりはじめていた。

終業時間ぎりぎりでの呼び出しに、胸の奥がじんわりと警戒色を灯していたが、警察からの「直接話がしたい」という依頼は滅多にない。

無視できるものではなかった。

受付前には生活安全課の新田が待っていた。

「佐原さん、わざわざありがとうございます。急で申し訳ありません。ちょっと、急ぎ確認したいことがありまして……」

深刻な声色と、どこか張りつめた空気に、佐原は軽くうなずくだけで言葉を返さなかった。

新田に先導され、警察署内の奥まった会議室へと通される。

中では、早瀬を含む警察官4人がテーブルを囲んでいた。
生活安全課のメンバーだろう。

何やら真剣な表情で意見を交わしていたが、佐原が入室するとすぐに空気が動いた。

「佐原さん、すみません。お疲れのところ、ありがとうございます」
早瀬が立ち上がり、申し訳なさそうに会釈した。

「何かありましたか?」

佐原の問いに、早瀬ではなく新田が説明を始めた。

「実は……昨日の深夜、うちの交番勤務の隊員が、川野家の周辺で不審な動きをしている男を確認しまして。職務質問を行ったところ、早苗雄貴だったんです」

佐原は、自然と背筋が伸びた。

「特に違法な行為はなかったんですが、民家の方を何度も見上げたり、敷地の近くを彷徨いたりしていたと。本人は“近くに友達が住んでいて、待っていた”と話していましたが、裏付けは取れていません。正直、何かを企んでいるような気配を感じています」

「……それは……結咲ちゃんや、美咲さんにとっても危険な兆候では?」

花音の声に、別の男性警察官が言葉を継ぐ。

「その可能性も踏まえて、事前に共有しておいた方がいいと思いました。現状、接近禁止命令などの法的拘束力はないため、こちらとしても動きが限定されてしまっているのが実情です。ただ、児相側で何か変化があれば、すぐに教えてほしい」

花音は、少し考え込んでから口を開いた。

「現時点では、母親の美咲さんから早苗との再接触についての話は出ていません。家庭内の状況も電話では安定している印象です。仮に接触があっても、それを隠している可能性もありますし、早苗が一方的に行動しているだけかもしれません」

一同が黙り、会議室に一瞬の静寂が落ちる。

「母親に対して、再度それとなく確認してみます。ただ、警戒は必要だと思います」

早瀬が口を開いた。

「……佐原さんに怪我をさせた相手ですし、今度こそ何か起きたら取り返しがつかない。こっちでも引き続き警戒態勢を強めます。もし何か小さなことでも気になる変化があれば、すぐ連絡ください」

その言葉に、花音はしっかりとうなずいた。

「わかりました。こちらも注意深く様子を見ます」

不穏な空気は拭えないまま、会議は20分ほどで終了した。
どんな兆候も見逃さず、目を凝らすしかない。
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