眠れぬ夜は、優しすぎる刑事の腕の中で。
「佐原さん」

名前を呼ばれて、花音は振り返る。
早瀬が、どこか迷うように、でも意を決したような顔で立っていた。

「……この後、時間ありますか? あの、もしよかったらご飯でも。僕、もう上がりなんで。佐原さんも……今日は直帰で大丈夫って聞いてます」

予想外の誘いに、一瞬、思考が止まる。

え? ご飯? 仕事じゃなくて?
そう思った瞬間、胸の奥がざわっと騒めいた。

「……意外ですね。早瀬さんから、そういうお誘いがあるとは」

そう返すと、彼は少し照れたように笑った。

「たぶん、今だけ勇気出てます。断っても全然大丈夫なんで」

花音は、ほんのわずかに笑ってから言った。

「じゃあ……行きましょうか。たまには外で夕飯もいいかもしれません」

早瀬の顔に、明らかな安堵の色が浮かぶ。
ほっとしたように目を伏せ、一度頷いた。

「ありがとうございます。ちょっとだけ、待っててください。荷物、置いてきますから」

そう言って、署内に戻っていく彼の背中を見送りながら、花音はふっと息をついた。

なんで、こんなにドキドキしてるんだろう。

仕事上の付き合い。情報共有。
何度も顔を合わせて、必要な会話をしてきただけ。
それだけだったはずなのに、今、胸の奥が妙な高鳴り方をしている。

期待と、不安。
そのどちらかひとつに決めることができない、曖昧な感情が、胸の内を静かに揺らしていた。
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