眠れぬ夜は、優しすぎる刑事の腕の中で。
料理もそろそろ半分ほど減ってきた頃。自然と話題は、いつしかまた仕事のほうへと戻っていた。
「佐原さんって、どうして児相に?」
早瀬がそう訊いたとき、花音の箸がわずかに止まった。
「……高校の時の友達が、家庭環境のことで苦しんでて。結局、その子……非行に走っちゃったんです。ちゃんと助けられなかったって、ずっと後悔してて」
「……」
「それから、“子どもを守る仕事”をやろうって決めました。けど……現場に入ってわかったんです。正義とか理想じゃどうにもならないこともあるって」
花音は、水の入ったグラスを手に取り、ほんの少し口を潤した。
「親の事情、子どもの心、周囲の無関心……全部が絡んでて、何が正解かなんて、いつも見えなくて」
早瀬は、黙って耳を傾けていた。遮るでもなく、気休めを言うでもなく。
「……でも、やっぱり一度関わった以上、最後まで“見届けたい”んです。見放すのが、どうしてもできない」
言い終えたあと、ふっと息を吐き、少し笑って付け加えた。
「……だから、疲れるんですけどね」
「それ、すごいと思います」
「そうですか?」
「うん。……俺も、似たような感覚ありますから。全部救えなくても、せめて一人ずつでも何か変えたいって思うのは、同じかなって」
花音は、早瀬の言葉にほんのわずかに目を細める。そして、少し間を置いて、ポツリとこぼした。
「だから……恋愛とかって、あんまり考えなくなっちゃって」
「……」
「仕事が大事だし、うまくいく保証なんてないし。……子ども時代に、家庭が壊れていくところを見てきたから」
そこで、初めて早瀬が花音の表情をしっかりと見る。
「それでも、寂しくないですか?」
その言葉に、花音は目を伏せた。
「……そう思うときもあります。でも……私みたいなのが誰かを幸せにできるなんて、ちょっと思えないんです」
一瞬だけ、テーブルの上に静寂が流れた。
けれど早瀬は、ほんのわずかに笑みを浮かべた。
「俺は、そうは思いませんけどね」
花音は、不意を突かれたように顔を上げた。
「いつも全力で子どもに向き合ってて、怪我しても誰のせいにもせず、まだ現場に立ってる。そういう人がそばにいたら、救われる人って、きっといると思います」
それは、慰めやお世辞ではなく、ただ淡々とした事実のように聞こえた。
花音の胸の奥に、じんわりと何かが広がる。
「……ありがとうございます。そう言ってもらえるのは、嬉しいです」
でも、と心の中で続けた。
(それでも、“そうじゃない”っていう自分が、どこかにいるんだ)
それでも——
目の前で静かにコーヒーを口に運ぶ早瀬の姿が、不思議と心に引っかかる。
この人なら、少しくらい予防線を下げてもいいのかもしれない。
……そんな思いが、ほんの小さな種のように、心の隅に芽を出し始めていた。
「佐原さんって、どうして児相に?」
早瀬がそう訊いたとき、花音の箸がわずかに止まった。
「……高校の時の友達が、家庭環境のことで苦しんでて。結局、その子……非行に走っちゃったんです。ちゃんと助けられなかったって、ずっと後悔してて」
「……」
「それから、“子どもを守る仕事”をやろうって決めました。けど……現場に入ってわかったんです。正義とか理想じゃどうにもならないこともあるって」
花音は、水の入ったグラスを手に取り、ほんの少し口を潤した。
「親の事情、子どもの心、周囲の無関心……全部が絡んでて、何が正解かなんて、いつも見えなくて」
早瀬は、黙って耳を傾けていた。遮るでもなく、気休めを言うでもなく。
「……でも、やっぱり一度関わった以上、最後まで“見届けたい”んです。見放すのが、どうしてもできない」
言い終えたあと、ふっと息を吐き、少し笑って付け加えた。
「……だから、疲れるんですけどね」
「それ、すごいと思います」
「そうですか?」
「うん。……俺も、似たような感覚ありますから。全部救えなくても、せめて一人ずつでも何か変えたいって思うのは、同じかなって」
花音は、早瀬の言葉にほんのわずかに目を細める。そして、少し間を置いて、ポツリとこぼした。
「だから……恋愛とかって、あんまり考えなくなっちゃって」
「……」
「仕事が大事だし、うまくいく保証なんてないし。……子ども時代に、家庭が壊れていくところを見てきたから」
そこで、初めて早瀬が花音の表情をしっかりと見る。
「それでも、寂しくないですか?」
その言葉に、花音は目を伏せた。
「……そう思うときもあります。でも……私みたいなのが誰かを幸せにできるなんて、ちょっと思えないんです」
一瞬だけ、テーブルの上に静寂が流れた。
けれど早瀬は、ほんのわずかに笑みを浮かべた。
「俺は、そうは思いませんけどね」
花音は、不意を突かれたように顔を上げた。
「いつも全力で子どもに向き合ってて、怪我しても誰のせいにもせず、まだ現場に立ってる。そういう人がそばにいたら、救われる人って、きっといると思います」
それは、慰めやお世辞ではなく、ただ淡々とした事実のように聞こえた。
花音の胸の奥に、じんわりと何かが広がる。
「……ありがとうございます。そう言ってもらえるのは、嬉しいです」
でも、と心の中で続けた。
(それでも、“そうじゃない”っていう自分が、どこかにいるんだ)
それでも——
目の前で静かにコーヒーを口に運ぶ早瀬の姿が、不思議と心に引っかかる。
この人なら、少しくらい予防線を下げてもいいのかもしれない。
……そんな思いが、ほんの小さな種のように、心の隅に芽を出し始めていた。