眠れぬ夜は、優しすぎる刑事の腕の中で。
家に帰り着いたのは、日付が変わる少し前だった。
靴を脱ぎ、バッグをソファに置いて、洗面所の鏡をのぞき込む。
ほんの少し、頬が上気しているのに気づいて、軽く笑った。

(……まさか、あの早瀬さんと二人でご飯に行くなんて)

自分の中で、まだどこか現実感が薄い。
けれど、あの夜風の柔らかさや、交わした言葉のぬくもりは、確かに胸に残っていた。

けれど——その心地よさに身を委ねようとしたとき、胸の奥がうっすらとざらついた。

(……ダメだ)

ふっと、記憶の底から引きずり上げられるように思い出されたのは、高校時代のあの出来事だった。

彼女の名前は、美佳。
明るくて、おしゃべりで、でも、家庭のことを話すときだけ、急に口を閉ざした。

最初は遅刻や欠席が続き、授業中にふらっと教室を出ていった。
誰にも言わずに学校の二階の窓から飛び降りて脱走した日、校内は一時騒然となった。
先生たちも警察も動員されて、数時間後——彼女は、別居していた父親のもとに身を寄せていたことがわかった。

その後も、学校にはほとんど来ず、来ても教室で荒れたり、怒鳴ったり、物に当たったりしていた。
結局、退学勧告が出された。

そのときの担任——温和で、けっして声を荒げない男性教師が、学年集会でぽつりとつぶやいた言葉が忘れられない。

「大人が、子どもをダメにすることだってあるんです」

その目には、確かに涙があった。

(——他人の子どもに涙を流せる大人がいるんだ)

その瞬間だけ、花音は初めて「救い」のようなものを感じた。
きっとこの先生なら、美佳をつなぎとめてくれるかもしれない、そう思った。

けれど。

美佳は、もう二度と学校には戻ってこなかった。
あのとき浮かんだ希望は、はかなく、力なく、砕けていった。

それからだった。
人に期待しすぎてはいけない、と思うようになったのは。
誰かに委ねること、甘えること、それはいつか失望を連れてくる。

だから——

(好きとか、信じるとか、そういう感情は、足元を掬われる)

花音はベッドに腰を下ろし、カーテンの隙間から見える街灯の明かりをぼんやりと眺めた。

優しくされれば、心は傾く。
でも、そこに未来があるとは限らない。
むしろ、自分のように他人の問題に巻き込まれてばかりの人間は、誰かを幸せにできる存在ではない。

(……私は、子どもを守ることだけ考えていればいい)

そう言い聞かせるように、静かに目を閉じた。
けれど、胸の奥にまだ微かに残っている“あの夜のやさしさ”は、簡単には消えてくれそうになかった。
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