眠れぬ夜は、優しすぎる刑事の腕の中で。
食卓の上には、煮物、茶碗蒸し、だし巻き卵。
どれも昔から花音の好物ばかりで、箸をつけるたびに記憶がよみがえるようだった。

「やっぱり、お母さんの味って、ほっとするね」

「そりゃあもう、花音のために作ってるんだから当然よ」

にこにこと笑いながらお茶を注ぐ母親の手元を見ていると、不意に胸がぎゅっとなった。
守られていた子ども時代。
そこにもう戻れないことを、最近とみに痛感する。

「……ねえ、お母さん」

「ん?」

「美佳のこと、覚えてる?」

箸を止めて、母が花音の顔を見た。静かに、うなずく。

「中学の頃、毎日一緒だった子よね。……途中から、ちょっと荒れてた」

「うん。……本当に、いろいろあったけど。最後は……もう、誰の声も届かなかった」

言葉にした瞬間、花音の胸の奥にある、澱のような感情が浮き上がってくる。
あのとき、もっと何かできたんじゃないか――その想いは、今も変わらず彼女の芯に残っていた。

「私はね……あの子を助けられなかったのに、今の仕事をしてる。誰かを守りたくて。でも、それって、ただの償いなのかもしれない」

「……償いでも、きっかけでも、いいんじゃないの。ちゃんと人のために動けてるんだから」

母はそう言って、少しだけ目を細めた。

「でもね、花音。過去の出来事を原動力にするのも素敵だけど……
“今の自分”が幸せじゃなきゃ、続けていけないわよ」

「……え?」

「私は思うの。子どもに何もかも与える必要はないって。
“自分の幸せ”を、ほんの少し分けてあげられたら、それでいいのよ。
全部捧げちゃったら、自分が壊れちゃう。誰も幸せになれない」

母の声は柔らかく、それでいて、確かな芯があった。

「……でも、私はそんなに器用じゃない。全部背負って、走っちゃうタイプだから」

そう言った花音の声は、少しだけ苦笑混じりだった。

「不器用でもいいのよ。そういう子だって、ちゃんと幸せになれるんだから。
ただ……時々は立ち止まって、自分の気持ち、見てあげなさい。置き去りにしないで」

マロンとハナが並んでテーブルの下に座って、静かに尻尾を揺らしている。

その温もりが、心をほぐしてくれるようだった。

花音は、言葉にはしなかったけれど、心のどこかで「ありがとう」とつぶやいていた。
そうして、食卓のぬくもりとともに、また明日から前を向こうと思った。
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