眠れぬ夜は、優しすぎる刑事の腕の中で。
七月のはじめ。
朝から容赦ない日差しがじりじりと照りつけていた。
気温はすでに二十八度を超え、空気は重く、肌にまとわりつくようだった。
「今年も、いきなり夏が本気出してきた感じですねぇ」
三宅さんがうちわをぱたぱたと仰ぎながらぼやく。
花音は「ほんとですね」と相槌を打ちつつ、手元のファイルに視線を落とした。
一か月――大きな動きはなかった。
川野結咲ちゃんは、あれから母親と穏やかに暮らしている。
継続中の電話支援では、必要以上に緊張した様子もなく、定期検診にも予定通り訪れているとの報告が届いていた。
警察からも、あの一件以来、早苗の姿が一度だけ近隣で確認されたが、その後は特に目立った通報もなく、いまのところ動きは落ち着いている。
「……何も起きないって、やっぱり一番ですね」
ぽつりと三宅さんがつぶやく。
花音も、うなずいた。
本当に、その通り。
何も起きないのは、誰かの“平穏”が守られているということ。
それが、この仕事の理想でもある。
……でも。
(こんなふうに思ってはいけない)
思ってはいけないのに、ふと頭をよぎるのは――
「何もなければ、早瀬さんとも接点はない」という事実だった。
もちろん、それが自然だ。
事件が起きていないという証拠なのだから。
それが一番いいことに、決まっている。
……それでも、あの日の帰り道。
たわいのない会話。猫の写真。
柔らかな笑い声。
あのひとときが、確かに心のどこかに残っていることを、花音は否定できなかった。
(でも、それでいい)
机の上で、手が止まる。
(私には、恋愛は向いてない)
何度もそう思ってきた。そう言い聞かせてきた。
過去の記憶も、今の仕事も、すべてがそう告げている。
誰かを守りたいと思うほど、自分が遠ざかってしまう――
そんな不器用さを、自分自身が一番知っている。
はっきりとした輪郭を持たせようとすると、なぜか怖くなる。
心が、勝手にぼかしてしまうのだ。
それは、早瀬と食事をしたあの日からも、変わらなかった。
けれど、そのぼやけた気持ちは、どこかにまだ“希望”という名残を宿していた。
小さな光のようなものが、消えずに、そっと胸の奥で灯っている。
そして花音は、その光をどう扱っていいのか、まだわからずにいた。
朝から容赦ない日差しがじりじりと照りつけていた。
気温はすでに二十八度を超え、空気は重く、肌にまとわりつくようだった。
「今年も、いきなり夏が本気出してきた感じですねぇ」
三宅さんがうちわをぱたぱたと仰ぎながらぼやく。
花音は「ほんとですね」と相槌を打ちつつ、手元のファイルに視線を落とした。
一か月――大きな動きはなかった。
川野結咲ちゃんは、あれから母親と穏やかに暮らしている。
継続中の電話支援では、必要以上に緊張した様子もなく、定期検診にも予定通り訪れているとの報告が届いていた。
警察からも、あの一件以来、早苗の姿が一度だけ近隣で確認されたが、その後は特に目立った通報もなく、いまのところ動きは落ち着いている。
「……何も起きないって、やっぱり一番ですね」
ぽつりと三宅さんがつぶやく。
花音も、うなずいた。
本当に、その通り。
何も起きないのは、誰かの“平穏”が守られているということ。
それが、この仕事の理想でもある。
……でも。
(こんなふうに思ってはいけない)
思ってはいけないのに、ふと頭をよぎるのは――
「何もなければ、早瀬さんとも接点はない」という事実だった。
もちろん、それが自然だ。
事件が起きていないという証拠なのだから。
それが一番いいことに、決まっている。
……それでも、あの日の帰り道。
たわいのない会話。猫の写真。
柔らかな笑い声。
あのひとときが、確かに心のどこかに残っていることを、花音は否定できなかった。
(でも、それでいい)
机の上で、手が止まる。
(私には、恋愛は向いてない)
何度もそう思ってきた。そう言い聞かせてきた。
過去の記憶も、今の仕事も、すべてがそう告げている。
誰かを守りたいと思うほど、自分が遠ざかってしまう――
そんな不器用さを、自分自身が一番知っている。
はっきりとした輪郭を持たせようとすると、なぜか怖くなる。
心が、勝手にぼかしてしまうのだ。
それは、早瀬と食事をしたあの日からも、変わらなかった。
けれど、そのぼやけた気持ちは、どこかにまだ“希望”という名残を宿していた。
小さな光のようなものが、消えずに、そっと胸の奥で灯っている。
そして花音は、その光をどう扱っていいのか、まだわからずにいた。