眠れぬ夜は、優しすぎる刑事の腕の中で。

暑さに壊れて

暑い。
エアコンはつけている。
リモコンの液晶には「26℃」と表示されているのに、体感温度はそれを裏切っていた。
空気はどこか重くて、じっとりと肌にまとわりつく。
風は出ているが、涼しさは感じられない。

もうダメなんだろうか。
でも、修理を頼む余裕なんて今の家計にはない。

冷えた麦茶のグラスを持ったまま、美咲はソファの上に目を向けた。
結咲が小さくうずくまり、テレビもつけていない部屋の中で、ただ静かに丸くなっていた。

「……寝た?」
声をかけても、返事はなかった。
まぶたひとつ動かさない。
本当に眠っているのか、あるいは聞こえないふりをしているのか。
もう、自分でもその違いがわからなくなってきていた。

美咲は立ち上がり、冷凍庫から保冷剤を取り出して、タオルでくるむ。
そっと、結咲の首筋に当てると、少し身をよじらせた。
でも、それだけだった。

規則的に上下する小さな背中を見て、ほっと息をついた。
ちゃんと、生きている。まだ、ここにいる。

その瞬間、テーブルに伏せてあったスマホが震えた。
着信音が一度鳴って、すぐに切れた。
誰かはわからない。
でも、なんとなく察していた。
児相か。あるいは――。

さらに数分おいて、また鳴る。
今度は二度、三度。しつこい。
「もう……」
思わずため息をつき、スマホを裏返して画面を見た。
やはり、最初の二回は「佐原花音」という名前が表示されていた。
その次に表示された名前を見て、思わず手が震える。

「……早苗」

美咲の口から、自然と吐き出されるように名前がこぼれた。

粘着質で、執念深い男。
気分がいいときは、結咲のことを「天使みたい」と笑って人形やお菓子を買ってくれる。
けれど、一度不機嫌になれば豹変する。
何に怒っているのかすらわからないまま、美咲は怒鳴られ、時に手を上げられる。

結咲に手を出したことは――少なくとも今までは――ない。
でも、あの目。怒鳴り声。
ぐしゃぐしゃにされた部屋の中で、黙り込んでいた結咲の怯えた表情が頭から離れない。

怖い。
本当に、怖い。
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