眠れぬ夜は、優しすぎる刑事の腕の中で。
「すぐ帰るからね」

声に出して言うと、何かが揺らぐ気がして、思わず唇を噛んだ。

結咲はぐっすりと眠っている。
水を飲ませたばかりで、汗ばんだ首筋にタオルをあて、そっとおむつを替えた。
眠りながら、かすかに身をよじった娘の柔らかな頬に手を当て、しばらく動けなくなる。

――こんな時間に、どこへ行こうとしてるんだろう。

時計の針は、もうすぐ日付が変わろうとしていた。

早苗は「近くまで来てる、少しだけ」と何度も言っていた。
“ほんの一時間だけ”。
その言葉に、美咲は、揺れに揺れていた。

一人でこの部屋にいたくない。
誰かに、自分の価値を肯定してほしい。
でも――

「ごめんね……ほんとに、すぐ帰ってくるから」

そう言って、寝かせた布団の端を整える。
扇風機の弱い風が、ゆるく結咲の髪を揺らしている。

スマホのバイブが震えた。
「着いたよ」とだけ、早苗からメッセージが届いていた。

玄関をそっと開ける。
静かな住宅街の中、少し離れた路地に一台の車が停まっていた。
そのヘッドライトは消されていたが、運転席に早苗の姿が見える。

ドアを開け、躊躇いながらも、美咲はその助手席に乗り込んだ。

シートの感触が冷たくて、どこか現実味が薄れた。

「……ちょっとだけね」

自分に言い聞かせるように、美咲は小さくつぶやいた。
その声は、誰の耳にも届かなかった。
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