眠れぬ夜は、優しすぎる刑事の腕の中で。
花音は深く息を吸い込み、汗ばむ手で扉のノブから少し距離をとって立ち尽くした。
声を震わせないように、できるだけ落ち着いたトーンで扉に向かって呼びかける。

「結咲ちゃん、聞こえてる? お部屋にママはいるかな?」

その声が室内に届いているかどうか、わからなかった。
閉ざされた扉の向こう側に息づく気配を確かめるように、花音は目を閉じ、耳を澄ます。

静寂のなか、わずかな物音も逃さないように神経を尖らせていたその時——

「まま……」

消え入るような、でも確かに彼女の耳に届く幼い声。
それは結咲の声だった。

花音は、すぐそばで見守っていた早瀬に目配せを送る。
「声、聞こえました。結咲ちゃん、意識あります」

現場に、ほんの一瞬だけ安堵の空気が流れた。
だが、その安堵はすぐに緊張と不安に飲み込まれた。

花音の頭の中では、次に何をすべきかがぐるぐると巡る。
親の所在が不明なままでは、任意での立ち入り検査は認められない。
このままでは、時間がただ過ぎていくだけだ。

(次のステップは……臨検(臨時検査)しかない)

周囲の警察官たちの視線が、無言の期待を込めて一斉に花音に集まる。
早瀬の瞳は、まるで鋭く光を放つように、花音の判断をじっと待っていた。

(今、やらずにいつやるんだ? 本当に令状請求に十分な証拠は揃っているのか?)
心の中で花音は問いかける。自分の決断は、間違いではないのか——。

花音は覚悟を決めて、早瀬に言った。
「臨検の可否については、上司に仰ぎます」

早瀬は力強く大きくうなずいた。
その表情には、信頼と覚悟がにじんでいた。

花音はポケットからスマホを取り出し、緊張のあまり微かに震える指で、朝岡の個人携帯にかけた。
画面の時計は、日付が変わろうとしていることを示していた。
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