蓮音(れおん) ―君に遺した約束―
第5章『抗争の影』
ーー
最近――
街の空気が
少しずつ重たくなってきていた。
すれ違う誰かの会話にも
知らないはずの名前が
ちらほらと出てくるようになっていた。
「不死蝶會と黒鷹連合…?」
「また揉め始めてるらしいよ」
「総長って、あの一ノ瀬蓮?」
「え、マジ? 本物?怖…」
クラスの隅で
そんな声が聞こえてくるたびに
胸の奥が
ズキッと疼いた。
蓮。
やっぱり
あの人は、そういう世界の人で
簡単に近づいちゃ
いけない人なんだって
頭では
何度も分かってるはずなのに
心は
どんどん逆の方向に揺れていくばかりだった。
ーー
その日も
帰り道だった。
薄暗くなり始めた路地裏。
曇った空からは
ぽつぽつと雨が落ち始めていた。
早く帰ろう。
そう思って歩く足が
急に止まった。
「おい、お姉ちゃん」
背後から
低い声が響いた。
振り返った瞬間
ゾクッと背筋が凍る。
男たちが
3人――
知らない顔。
でも
一発で分かった。
黒鷹連合。
「総長の女、だよな?」
「へぇ…写真より可愛いじゃん」
「少し遊ぼーぜ?」
男たちが
ジリジリと距離を詰めてくる。
「…やめて」
震える声で
必死に抵抗する。
「なんだよ、怖がんなって」
「少しくらい構ってやるってだけだろ?」
足がすくんで
後ずさった瞬間
ガシッ
腕を掴まれた。
「離して…っ!!」
叫んでも
誰もいないこの道には
その声は響くだけ。
「やめ…やめてよ…!!」
心臓がバクバク鳴って
手も足も震えて動けない。
助けて――
誰でもいい――
そのときだった。
……ブォンッ!!!
バイクの爆音が
一瞬で空気を切り裂いた。
ヘッドライトが
男たちを照らし出す。
「――あ?」
そこに現れたのは
黒いジャケット。
背中の【不死蝶會】の刺繍が
闇の中で浮かび上がっていた。
ゆっくりと
バイクから降りてくる。
蓮――
「……その手、離せ」
低く、凍りつくような声だった。
男たちは一瞬たじろいだ。
「ち、違うんすよ!俺ら別に――」
「三秒だ」
蓮の声は静かだった。
でも、鋭くて、強くて
一瞬で場の空気が張り詰めた。
「逃げるなら今だ。逃げねぇなら潰す」
男たちは青ざめ、我先にと逃げていった。
その場に
私と蓮だけが残された。
掴まれていた腕が
まだ微かに震えてた。
足元に力が入らなくて
よろめきそうになった瞬間
蓮が無言で
腕を掴んで支えてくれた。
「……大丈夫か」
いつもの低い声なのに
ほんの少しだけ
柔らかく聞こえた。
涙が滲んだ。
「……ごめん……怖かった…」
声が震えて
息もうまく吸えなかった。
蓮は私の前にしゃがみ込み
目線を合わせてきた。
「…怖ぇなら、今すぐ俺から離れろ」
「それが一番安全だ」
低く
けど、どこか苦しそうに。
胸がギュッて潰れそうになった。
本当なら
そうした方がいいって
分かってるのに――
でも、口から出たのは
「…嫌だ」
小さな声だった。
「怖くても……怖くても……」
「蓮くんが……いいの…」
涙がポロポロ零れ落ちた。
蓮は目を伏せて
ほんのわずかだけ眉を寄せた。
「……」
しばらくの沈黙のあと――
ギュッと強く抱きしめられた。
腕の中は
あたたかくて、苦しくて
でも、どこよりも安心できた。
「……なら、絶対に俺のそばから離れんな」
そのまま
そっと頭をポン、と撫でられた。
たったそれだけなのに
胸の奥が
じんわりと熱くなる。
私は
蓮の胸元に顔を埋めたまま
しばらく声を殺して泣いた。
ーー