『夢列車の旅人』 ~過去へ、未来へ、時空を超えて~ 【新編集版】
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カフェレストランに入ると、奥のテーブルで女性が待っていた。
日本人であり、国立西洋美術館のキュレーターだった。
『ピカソ・ゲルニカ展』の打ち合わせに来たのだと字幕が説明した。
『ゲルニカ』は1962年に国立西洋美術館と京都市美術館、愛知県美術館で展示を行って以来、日本にやってくることはなく、諸々の事情から日本での展示は永遠に閉ざされたような状態になっていた。
しかし、徳島絵美がソフィア王妃芸術センターのキュレーターに就任したことを知った国立西洋美術館のキュレーターが、このチャンスを逃してはならないとマドリードまで飛んできたのだ。
絵美が席に着いて互いの自己紹介が終わると、その人はバッグから1冊の本を取り出した。
表紙の中央には、あの有名な絵が描かれていた。
本のタイトルは『暗幕のゲルニカ』だった。
原田マハの著書。
絵美はその表紙を見て、にっこりと笑った。
絵美が原田マハの大ファンであることを掴んでいたのだろう、その人はしめたというような笑みを浮かべて、前置きなしに本題に突入した。
「来年の2027年は『ピカソ・ゲルニカ展』を初展示してから65年の記念すべき年となります。日本での再展示にお力をお貸しいただけないでしょうか」
押しの強そうなその人の直球だった。
しかし、絵美は首を強く横に振った。
「電話でもお伝えいたしましたが、ゲルニカの貸し出しは極めて難しいと言わざるを得ません」
「わかっています。あのMoMA(The Museum of Modern Art:ニューヨーク近代美術館)からの貸し出し申請でさえ却下されたのですから、簡単でないことは十分承知しております。でも」
絵美は右手を上げて発言を制した。
「ご存じの通り、この絵はとても傷みやすいのです。工業用のペンキが使われていることもあって保存状態を保つのは至難の業なのです。ですから、移動という危険を冒すことはできません」
日本で再び展示ができれば素晴らしいことだし、過去に悲惨な戦争を経験した国として、唯一の被爆国として、戦争を起こしてはならないというメッセージを多くの日本人に伝える重要性はよくわかっていると絵美は理解を示したが、それでも責任あるキュレーターとして、この絵の保存を第一に考えなければならないのだときっぱりと告げた。
その人は絵美の話が終わっても、すぐには口を開かなかった。
瞳を動かさないまま絵美をじっと見つめていた。
絵美はその視線の強さに耐えられなくなったのか、目を逸らしたが、それでもその人は絵美から視線を外さなかった。
どうしても聞いてもらいたいことがあるというような強い眼差しだった。
少しして彼女の口から思い詰めたような声が漏れた。