『夢列車の旅人』 ~過去へ、未来へ、時空を超えて~ 【新編集版】
(15)
「ねえ……」
美輝の声だった。
「なんだい?」
視線を戻すと、彼女はつぶらな瞳でわたしを見つめていた。
「あなたの名前は本当に今仁礼恩?」
「そうだよ」
「前世で出会ったあの今仁さん?」
彼女は前世の記憶を持ち続けているようだった。
「そうだよ」
「うそ! そんなことあり得ない!」
彼女が言下に否定した。
「私が徳島絵美から天照美輝に生まれ変わったように、あなたも今仁礼恩から誰かに生まれ変わったはずでしょ。なのに、現世も今仁礼恩なんてあり得ないわ」
つぶらな瞳に疑念の炎が揺れているように見えた。
「そうだね、普通はそう思うよね」
わたしは視線を外して、彼女が落ち着くのを待った。
彼女と話せる時間は限られているが、それくらいの余裕はある。
*
しばらくすると、わたしの人差し指を強く握っていた5本指の力がふっと緩んだ。
視線を戻すと、彼女の瞳が〈続きを聞かせて〉と促しているように見えた。
わたしは頷いた。
「人間として生を受けたのは今仁礼恩が初めてなんだよ。だから前世に人間としての名前はないんだ」
彼女は目ん玉が零れ落ちるかと思うほど大きく目を見開いた。
「わたしの前世はね……」
彼女の瞳が食い入るようにわたしを見つめた。
「前世は楠だったんだ」
浜松八幡宮社殿前にそびえる樹齢千年を超える『雲立楠』がわたしの前世だった。
「その前は屋久島の千年杉だった」
「それって……」
「わたしは杉として楠として紀元後の日本を見守り続けてきたんだ」
彼女は目だけではなく口も、これ以上は無理というほど大きく開いていた。
「二千年間の務めを立派に果たせたから人間として生まれ変われたのかもしれないね」
わたしは確認するように自分の体の隅々まで目を這わせた。
枝も葉っぱも生えていなかった。
正真正銘の人間の姿だった。
「でも、あなたは大人の体で私は赤ちゃんっておかしくない? 例え楠から生まれ変わったとしても私と同じように赤ちゃんになるはずだわ」
当然の疑問だった。
生まれたばかりの人間が大人の姿をしているはずはない。
同じ年の同じ日に生まれたわたしが彼女を抱っこできるわけはないのだ。
「それはね……」
説明しようとした時、いきなりブザーが鳴った。
5分が経過していた。
もう彼女とは意思疎通ができなくなった。
わたしは慌ててクレオニを呼んだ。
そして、時間を延長して欲しいと頼んだ。
しかし、クレオニは申し訳なさそうにチタン製の首を横に振った。
「5分が限界です。それ以上続けると脳の機能に障害を来すことになります」
「そうか……」
医師免許を持つクレオニがダメということに異議を唱えることはできない。
わたしは諦めるしかなかった。
それでも未練を引きずったまま美輝を見つめていたが、それをピシャッと断ち切るようにクレオニに促された。
「これから光速モードに入ります。天照美輝様をしっかり抱きかかえて強いGにお備えください」
「わかった」
わたしは美輝を安定した位置に抱え直した。
「準備はよろしいですか?」
頷きを返して、強いGに備えた。
「光速モード突入!」
クレオニが告げた瞬間、ドア上のディスプレーの表示が変わった。
『次の停車駅:2120年駅』
それはわたしが過去行きの電車に乗り込んだ駅だった。
その表示から美輝に目を移すと、腕の中で大きなあくびをした。
そして、トロンとしたような目になって、つぶらな瞳が瞼の下に隠れた。
「これからずっと一緒だからね」
美輝の頬にキスをして、わたしも目を瞑った。
その瞬間、わたしの魂から分離した守護魂が体から抜け出した。
すると、クレオニが美輝とわたしを優しく見守っている姿が見えた。
「2120年駅までゆっくりお休みください」
赤ちゃんにアームを差し伸べると、羽毛のような産着が現れて、小さな体を包み込んだ。
わたしの体は毛布に覆われた。
「奇跡の瞬間に立ち会わせていただいてありがとうございます、今仁礼恩様」
わたしの寝顔に囁きかけると、クレオニの頭部ディスプレーが光った。
とほぼ同時に『写真撮影終了』という表示が現れた。
赤ちゃんを抱いて眠るわたしの姿を写真に撮ったようだ。
すると、すぐにピッと音がして、『ギネス社へ伝送。送信速度100G』という表示に変わった。
更に10秒後、またピッと音がして、『ギネス社から受信完了』という文字が現れた。
その下には、かつて誰も成し遂げ得なかった前代未聞の記録が表示されていた。
『将来の妻になる生後初日の赤ちゃんを抱いた人類初の成人男性であることを認定する』
完