『夢列車の旅人』 ~過去へ、未来へ、時空を超えて~ 【新編集版】

(7):1505年


「食事と酒にあり付けそうだよ」

 店の人は取引先の画家の絵画完成の宴に招かれており、そのお祝いの品として画材を渡すつもりなのだという。

「付いていこう」

 わたしたちはその人のあとを追って暗い道を歩いた。

        *

 しばらくすると明かりが見えた。
 その人に続いて建物の中に入ると、ランプの灯りが部屋の四隅とテーブルの上を照らしていた。

 部屋の中では10人ほどの人が食事をしていた。
 何かを煮込んだような料理が並び、木のカップの中には液体が満たされていた。

「親方は発注主の貴族の館に呼ばれていないらしいが、弟子たちが完成の宴を開いているんだとよ。もちろん親方からお金を出してもらっているらしいけどね」

 その人の説明を高松さんが通訳してくれた。

「さあ座ろう」

 その人の隣に座ると、給仕をしていた若い女性が木の皿と木のコップを持ってきてくれた。
 モツの煮込みと赤ワインだという。
 すきっ腹にワインが効いた。
 しかも、メチャクチャうまかった。
 このトスカーナ地方はワインの名産地だと高松さんから聞いて、納得した。

 それに、モツの煮込みが最高だった。
 シンプルな味付けなので日本人の味覚に合うのだ。
『ランプレドット』という名の料理らしい。
 牛の胃を野菜と共に煮込んでいるのだという。

 堪能(たんのう)していると、店の人がパンを渡してくれた。
 中に挟んで食べろと言っているみたいだったので、その通りにやってみた。
 メチャうまかった。
 思わず「うまい!」と声を発してしまったが、通じるわけはなかった。
 右手の親指を立てて、〈最高です〉と伝えた。

        *

「えっ、ラファエッロ?」

 弟子たちと話していた高松さんがいきなり大きな声を出した。
 なんと、弟子たちはラファエッロの工房の画家なのだという。
 今回完成した絵は、『三美神』と『騎士の夢』の二枚による双翼画(そうよくが)で、発注主は『ボルゼーゲ家』なのだという。
 シエナ出身の名家で、今はローマに館を構えているため、ラファエッロはローマに行っているのだという。

 なんという偶然なんだろう、と思う間もなく高松さんは目の前の人に何やら訴え始めた。
 しかし、その男は首を横に振って取り合おうとしなかった。〈ダメだ、ダメだ〉というように右手を左右に振った。

 高松さんは考え込んでいるようだったが、〈ここで諦めるわけにはいかない〉と意を決したように何かを告げた。
 すると、その男が首を縦に振った。
 それを見た高松さんが画材店の人に向き合って何かを言うと、その人は頷くや否や持ってきた布袋から紙と黒チョークを取り出して、高松さんに渡した。

 高松さんは再度その男に向き合い、じっと顔を凝視した。
 凝視し続けた。
 そして大きく1回頷いてから、「よし」とひと声発して、テーブルの上に置いた紙に黒チョークを走らせた。
 顔を見ては描き、描いては顔を見て、一心不乱にチョークを動かした。

        *

 10分ほど経った頃、高松さんは「よし」ともう一度声を発して、チョークを置き、紙をその男に渡した。
 すると、受け取った途端、目を見開いた。
 その様子を見ていた周りの男たちが覗き込むと、彼らも目を見開いた。

 その男が紙をテーブルに置き、何かを言って右手を差し出した。
 高松さんがその手を握った。
 交渉が成立したようだった。

「ラファエッロが帰るまで工房に泊めてやるってさ」

 但し、弟子になれるかどうかは親方の評価次第だとも言われたらしい。

 と言われても、急な話についていけなかった。
 どう反応していいか、わからなかった。
 それで黙っていると、男が高松さんとわたしのコップにワインを注いだ。
 すると、弟子たちがコップを掲げた。
 それに応えて高松さんがコップを掲げた。
 わたしも慌てて掲げ、乾杯の輪に加わった。

        *

 それからどれくらい時間が経っただろうか、料理はほとんど食べ尽くされ、ワインも残り少なくなっていた。
 そろそろ宴も終わりそうだ。
 そんな様子を見ていると、弟子たちと楽しそうに話をしていた高松さんがわたしに視線を向けた。

「ここに残ることにするよ」

 さり気ない口調だったが、わたしは驚いて、とっさに声を出すことができなかった。

「残るって……」

 やっと出した声は掠れていた。

「ラファエッロに会って弟子にしてもらうのが夢だと言っただろ」

 それは確かだった。
 あの日、確かに聞いた。
 しかし、まさか本気だとは思わなかった。
 わたしはゆらゆらと首を振るしかできなかった。

「止めても無駄だからね」

 決意のこもった口調だった。
 それに断固とした表情だった。
 引き止めても無駄なことはその顔を見れば明らかだった。
 心配で仕方なかったが、頷くしかなかった。

「で、今仁君はどうする?」

 これには間髪容れず頭を振った。
 ここに残る理由がなかった。
 高松さんは〈そうだよね〉というように頷いてから、「送っていくよ」と言って立ち上がった。

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