『夢列車の旅人』 ~過去へ、未来へ、時空を超えて~ 【新編集版】
(8)
10分後、再びアパートに到着した。
郵便受けの前に立つ人は誰もいなかった。
前の通りにも人影はなかった。
人が出てくる気配を探ったが、何も感じられなかった。
今だ!
音を立てないように郵便受けに近づき、205号室のツマミを指先で摘まんで、右に回して〈3〉で止めた。
次に左に回して〈8〉で止め、〈開いてくれ!〉と祈って、ツマミを引いた。
しかし、開かなかった。
思わず「嘘の38か~」と意味のない言葉が口を衝いたが、その時、2階のドアが閉まる音が聞こえた。
驚いて心臓がひっくり返りそうになった。
あの老人かもしれないと思うと、体が固まった。
郵便受けの前から離れて倉庫の裏に隠れるしかないと思ったが、靴音が階段を下り始めたので諦めた。
わたしはとっさにスマホをポケットから出して耳に当てて階段の方に目をやった。
*
降りてきたのはあの老人だった。
「そうなんです。まだ帰ってこないんですよ。どうしましょうか……」
目が合ってしまったので誰かと話している振りをしたが、構わず老人が近づいてきた。わたしは「ちょっと待ってください」と無人の相手に言って、スマホの通話口を手で塞いだ。
「まだいたの?」
完全に疑っている口調だった。
「ちょっと仕事で大事な連絡があるので……」
わたしはスマホに目をやった。
老人も視線を落としてスマホをじろりと睨んだ。
益々怪しんでいるような目になっていた。
「すみません。もう少しこの辺りで待たせていただきますが、決して怪しいものではありませんので」
しかし、最後まで言わせないかのように老人が口を挟んだ。
「なんならわしが伝えてやろうか」
即座に頭を振った。
「仕事に関する件なので直接伝えます」
言葉が足りないと思って付け足した。
「ありがとうございます。お気持ちは嬉しいのですが」
順番が逆になって変な伝わり方になったような気がしたが、今更どうしようもなかった。
「そう……」
また怪しげな目でわたしの頭からつま先まで嘗め回すように見てから、背を向けた。
スーパーへ買い物にでも行くのだろうか、右手に提げたエコバッグをぶらぶら揺らしていた。
老人の姿が見えなくなったので、辺りをもう一度見回して人の気配を窺った。
シーンと静まり返ってなんの気配も感じられなかったが、それでも用心しながら郵便受けに近づいた。
ツマミを摘まんで、右に回して〈7〉で止めた。
そして、左に回して〈7〉で止め、〈開いてくれ!〉と祈りを込めてツマミを引いた。
しかし、またしても開かなかった。
びくともしなかった。
ラッキーセブンに当たりはなかった。
がっかりしたが、ハッとしてその場を離れた。
老人が買い物から帰ってくるまでにここを離れなければならない。
わたしは先程の喫茶店に向かって歩きながら彼女に電話をかけた。