この道の行く末には。
藍色の闇に包まれても尚、変わらない通学路を歩く。
「司とこの道歩くの久しぶり……というか、2人っきりは初めてかな?」
「あ、たしかに。いっつも誠いたもんなー」
空にはいくつかの星が瞬いていた。
冬空。
図書室の窓から覗く空が夜に浸かった頃。
『そろそろ、帰ろっか?』と微笑む美衣に『じゃあ……一緒に帰る?』と笑えば、嬉しそうに頷いて。
ひさしぶりの、この状況だった。
「さっむいねー。やっぱりこんなときは肉まんとかが恋しくなりますなぁ。」
隣を歩いている美衣は、ふざけた口調で自身が着ている紺色ダッフルコートのポケットに両手を突っ込む。
この感じも、懐かしい。
「相変わらず見た目と中身違い過ぎなやつだな。よくギャップに弱いとか言うけど、美衣の場合それありすぎて引かれるだろうな。かわいそうに」
横目で美衣を流し見つつ、幾度となく頷いた。
「ひどっ。これでも意外と人気はあるんですー。司は知らないだろうけどねっ。まぁ、彼氏とかは何故かいないけど」
「…………知ってるよ。」
寒すぎる空気に身を縮め、足を止める。
不自然に無くなった足音に気付いた美衣も、数歩進んだ所で振り向き、立ち止まった。
「司?」
「あれから美衣、誰ともつきあわなかっただろ。美衣は有名な上に、男からの人気もあんのにさ」
「そんなこと……」
「その時点で、あれは美衣の本心じゃなかったって気づいてやればよかった。……ごめんな。」
住宅街、家の明かりと電灯の光だけが頼りのこの場所で、しっかり視線を美衣と交わす。
苦しそうに歪んだ、その表情。
きっと、こっちだって、負けじと歪んでいただろう。
「……司に謝られるようなことされてないよ。そんなこと言われちゃったら、私が悪いみたいじゃん……やめようよ。」
美衣が悪い訳ない。
誰がどう見たって俺が悪いし、間違っていた。
「……さっき『俺もそれがいいと思ったから協力した』とか言ったけど。自分のためもあったのかもな。俺は。」
何も出来なかったし何も出来ないのにこんな風に言うのは、ずるいだろうけど。
後悔と情けなさと、どうしようもない歯がゆさに埋もれる。
「……それが当たり前だよ、司」
「………」
「だから自分のこと、責めなくて大丈夫だよ。」
独り雁字搦めになる心情が、優しく諭してくる美衣によって取り除かれる。
全てを、分かっていて。
全てを、理解していて。
全てを受け入れている美衣だから、伝わるそれが、苦しい。
美衣は、誠だけじゃなく、俺のことも守ってくれていた。
今だって、守ろうとしてくれている。
打算的で嘘ばかりな、この、気持ちを。
「自分の気持ちを優先するのは、当たり前。私も『誠にそんなこと考えて生きてほしくない』って言ったのは、自分のため。本当のことを話したら、苦しむかもしれない誠を見たくなかっただけだもん」
「…………ありがとな。美衣。」
小さく微笑んで、贈られた言葉の意味を、受け取った。
2人並んで再び歩き始めたとき、目の奥がジワッと熱く感じたのは、外の空気が冷たくすっきりとしていたから。
それだけでは、ないんだろう。
他愛のない会話で埋もれる帰り道。
どうしても、美衣に伝えたかったことがあった。
「美衣」
「んー?」
「俺、美衣が言う“自分にとって1番大切に想える人”が大切に想ってたから、とかじゃなくて。そんなこと関係なく、美衣自身を大切に想ってる。美衣だったから、誠と元に戻ってほしいって思った。」
「…………ありがとう、司」
隣に顔を向ければ、泣きそうに目尻を下げる美衣がいる。
それでも、俺に涙は見せないんだろう。
そんな確信が、あった。
「司と話ができてよかったなぁ……できるとしたら今日だけだ、って思ってたから。明日は卒業式で終わりだし、人で溢れかえってごちゃごちゃしてるだろうしさ。会えない確立の方が高いもん」
「あー………だよな。」
「うん────あ。あとねえ?」
「なんだよ?」
素晴らしい悪事を思いついたときのよう、勿体ぶった間を空ける姿は、とてもうさんくさい。
訝しみつつ、続きを催促する。
「『誠に会いにきたんだろ?』ってさっき言ってたけど、2人と会いたかったんだよ?誠と司に、会いたかったの。」
誇らしく笑った美衣は、どや、とでも言いたげに、偉そうに腕を組んだ。
「…………そりゃあ、どーも。」
そんな美衣の頭をわしゃわしゃわしゃと強めになでつつ、脱力しそうになる。
こいつ、可愛いんだよな。
実際、中身も。
恋愛対象とかではないけれど。
美衣だって、そうだろうけど。
「ちょっと!髪、ぼっさぼさじゃん!あーもう……」
嘆きながら恨みがましい目を向ける美衣を見下ろし、笑った。
均等な距離を保ち並ぶ外灯。その内のひとつが、チカチカと瞬く。もうすぐ訪れる終わりを助長させる、合図のように。
自宅まであと5分、な場所で。
美衣の家であるアパートが、先に姿を現す。
「司、卒業おめでとう。」
「え?」
「……明日は、言えないだろうから。今、言っとく。」
「……おー。さんきゅーべりーまっち」
「何で英語なの。しかも、それ日本語の発音だから」
「いいだろ別に」
何を言っても、ふざければ律儀にツッコミをしてくれる。
ありがたい、貴重な人材だ。
どんなときも、明るい雰囲気を作れる相手だから。
これから先の“今から”は、もうなくなるけれど。
これより前の“今まで”も、ずっと、傍にはなかったけれど。
そろそろ、だ。
終わり は すぐ そこ に。
「美衣、」
「ん?」
「ごはんはしっかり食べろ。あと夜遊びはすんな。ちゃんと寝ろよ?」
「夜遊びって……そんなのしたことないから。ごはんも食べてるし。司も相変わらず心配性なんだね」
「うるせーな」
「へへっ。あ、ついた……」
アパートが、目の前に。
「じゃあ、あとは…………」
「まだなにか?」
「まだなにか、あるよ」
「はい。なんですか?」
もうひとつ、言っておきたいことは決まっていたけれど、わざと考える素振りをしたことに、呆れた笑顔を向けてくる。
それを、真剣な目で受け流した。
「学校、頑張れよ。」
「…………うん。」
「俺に言われなくても、頑張ってるだろうけど」
「……私、3年生になるんだね。」
「そうだな」
「うん。がんばるよ、司。だから、大丈夫。」
「うん。応援してるからな。」
美衣の背中に、ぽんぽん。と、手のひらでエールを送る。
顔を覗き込めば、今日見てきた美衣の中でいちばんの笑顔になった。
見るだけで切なさが伝わってくる、いちばん儚い、笑顔。
それはきっと、
お互い、
この言葉の裏に、同じ思いがあったからだろう。
“誠も俺も、学校にはもういないけど”「がんばれよ」
“誠も司も、学校にはもういないけど”「がんばるよ」
込められた意味、隠された意味には、互いが気づいていた。
けれど互いも、気付かないフリをした。
それだけが、美衣にしてやれる、最後の思い遣りだった。
ひとりがんばっていた美衣を今更ながらに知った上、何もしてやれなかった俺に、同情じみた感情なんて抱いてほしくないだろう。
あるマンモス高校でいちばんの有名人は、
誰よりも男らしく、誰よりも優しい女の子、だからこそ。
「司。いっぱい、たくさん。ありがとう。」
「俺の言葉だよ、それは。……ありがとな、美衣。」