ホラー短編集
鏡の向こう
アキラは古いアパートに引っ越して一週間が経った。
家賃は破格で駅から近く、部屋は広かった。
ただ、一つだけ奇妙な点があった。
寝室の壁に、大きな古い鏡が埋め込まれていた。
枠は黒ずんだ木材で、表面には細かい傷が無数に走っていた。
管理人は「前の住人が置いていったものだ」とだけ言い、撤去はできないと告げた。
最初の夜、アキラは鏡に映る自分の姿が少し歪んでいることに気づいた。
目の位置がわずかにずれ、口元が不自然に曲がっている。
疲れているせいだと思い、彼はカーテンをかけて寝た。
だが、夢の中で鏡の向こうから誰かが彼を見つめていた。
顔のない影が、じっと、じっと。
翌朝、カーテンが開いていた。
自分で開けた記憶はない。
アキラは鏡を毛布で覆い、仕事に出かけた。
帰宅すると、毛布が床に落ちていた。
鏡の中の彼は、今度は明らかに笑っていた。
自分の顔なのに、自分の表情ではない。
心臓が冷たくなったが、アキラは「気のせいだ」と自分を納得させた。
三日目の夜、異変は明確になった。
深夜、寝室の静寂を破るように、鏡からかすかな音が聞こえた。
カタカタ。
カタカタ。
まるで誰かがガラスを内側から叩いているようだった。
アキラは飛び起きたが、音は止んだ。
鏡に近づくと、表面がわずかに揺れている気がした。
水面のようだ。
彼は手を伸ばし、触れた瞬間、指先が鏡の中に吸い込まれた。
冷たく、ぬるりとした感触。
慌てて手を引き戻したが、指先に黒い染みが残っていた。
その夜から、鏡の中の「アキラ」は動き始めた。
夜中、彼が寝ている間に鏡の中の彼はベッドに近づき、じっと見下ろした。
アキラが目を覚ますと、鏡の中は空っぽだった。
だが、枕元に黒い手形が残っていた。
誰かが触れた痕跡。
誰かが、すぐそこにいた。
アキラは鏡を壊そうとした。
ハンマーで叩いたがガラスはひび割れず、逆にハンマーが弾かれた。
絶望の中で、彼は管理人に相談した。
管理人は目を逸らし、「鏡は見ない方がいい。見なければ、何も起こらない」と呟いた。
最後の夜、アキラは決意した。
鏡を黒いペンキで塗りつぶした。
部屋は暗くなり、静寂が戻った。
安心した彼はベッドに横になった瞬間、背後に気配を感じた。
振り返ると、鏡の表面から黒い手が伸びていた。
ペンキを突き破り、ゆっくりと這い出てくる。
それはアキラの顔を持っていたが、目は真っ黒で、口は裂けるように広がっていた。
「お前はもう、こっち側だ」と囁きながら、その手はアキラの首に伸びた。
翌朝、部屋は空だった。
鏡のペンキは剥がれ、表面は再び澄んでいた。
新しい住人が引っ越してきたとき、管理人は同じ言葉を繰り返した。
「鏡は見ない方がいい」
鏡の中では、アキラが新しい住人をじっと見つめていた。
顔のない影と一緒に。
家賃は破格で駅から近く、部屋は広かった。
ただ、一つだけ奇妙な点があった。
寝室の壁に、大きな古い鏡が埋め込まれていた。
枠は黒ずんだ木材で、表面には細かい傷が無数に走っていた。
管理人は「前の住人が置いていったものだ」とだけ言い、撤去はできないと告げた。
最初の夜、アキラは鏡に映る自分の姿が少し歪んでいることに気づいた。
目の位置がわずかにずれ、口元が不自然に曲がっている。
疲れているせいだと思い、彼はカーテンをかけて寝た。
だが、夢の中で鏡の向こうから誰かが彼を見つめていた。
顔のない影が、じっと、じっと。
翌朝、カーテンが開いていた。
自分で開けた記憶はない。
アキラは鏡を毛布で覆い、仕事に出かけた。
帰宅すると、毛布が床に落ちていた。
鏡の中の彼は、今度は明らかに笑っていた。
自分の顔なのに、自分の表情ではない。
心臓が冷たくなったが、アキラは「気のせいだ」と自分を納得させた。
三日目の夜、異変は明確になった。
深夜、寝室の静寂を破るように、鏡からかすかな音が聞こえた。
カタカタ。
カタカタ。
まるで誰かがガラスを内側から叩いているようだった。
アキラは飛び起きたが、音は止んだ。
鏡に近づくと、表面がわずかに揺れている気がした。
水面のようだ。
彼は手を伸ばし、触れた瞬間、指先が鏡の中に吸い込まれた。
冷たく、ぬるりとした感触。
慌てて手を引き戻したが、指先に黒い染みが残っていた。
その夜から、鏡の中の「アキラ」は動き始めた。
夜中、彼が寝ている間に鏡の中の彼はベッドに近づき、じっと見下ろした。
アキラが目を覚ますと、鏡の中は空っぽだった。
だが、枕元に黒い手形が残っていた。
誰かが触れた痕跡。
誰かが、すぐそこにいた。
アキラは鏡を壊そうとした。
ハンマーで叩いたがガラスはひび割れず、逆にハンマーが弾かれた。
絶望の中で、彼は管理人に相談した。
管理人は目を逸らし、「鏡は見ない方がいい。見なければ、何も起こらない」と呟いた。
最後の夜、アキラは決意した。
鏡を黒いペンキで塗りつぶした。
部屋は暗くなり、静寂が戻った。
安心した彼はベッドに横になった瞬間、背後に気配を感じた。
振り返ると、鏡の表面から黒い手が伸びていた。
ペンキを突き破り、ゆっくりと這い出てくる。
それはアキラの顔を持っていたが、目は真っ黒で、口は裂けるように広がっていた。
「お前はもう、こっち側だ」と囁きながら、その手はアキラの首に伸びた。
翌朝、部屋は空だった。
鏡のペンキは剥がれ、表面は再び澄んでいた。
新しい住人が引っ越してきたとき、管理人は同じ言葉を繰り返した。
「鏡は見ない方がいい」
鏡の中では、アキラが新しい住人をじっと見つめていた。
顔のない影と一緒に。