ふつつかな才女は、お望みどおり身を引きます~国より愛を選んだ婚約者と妹、そして残された人々の後悔~

1.消えた婚約者

「もうすぐレオ様が結婚するなんて、耐えられないわ」
 夕焼けが差し込む部屋の一室で、愛するメイジーが瞳を潤ませて私の胸に縋りついた。甘い香りが鼻を掠め、私はそのまま彼女を優しく抱きしめる。
「どうしてレオ様の結婚相手がお姉様なの? 愛し合っているのは私たちなのに……!」
 メイジーはついに本格的に泣き始めた。そんな彼女を見ると胸が痛い。
 ――私はもうすぐ、彼女の姉、サフィアと結婚する。
 私と結ばれないことを心から悲しみ、か弱く涙を流す純粋で可愛らしいメイジーとは真逆の、つまらない女と。
男として、そんな可愛げのない女性のそばにいる、可愛げたっぷりの妹のメイジーに惹かれるのは、当然のことだった。
私たちは互いに惹かれ合い、サフィアの仕事中にこうして人目を盗んで密会を繰り返している。
 今日も先ほどまで深く愛し合っていたはずなのに、迫りくる私の結婚に、いよいよ彼女が耐え切れなくなったようだ。
「大丈夫だメイジー。少しだけの辛抱だ」
 彼女を安心させるように、私はふわふわの桃色の髪を撫でた。
「……すべてがうまくいけば、最後にはきっと君と夫婦になれる」
 メイジーに優しく微笑みかけると、彼女は「本当?」と上目遣いに私を見つめ返した。
「ああ、本当だ」
 そう。すべてがうまくいけば、きっと――。
「その時が来るまでは、この秘密の関係を続けるしかない。結婚したって、私たちの関係は変わらない。こうしてふたりきりの時間を楽しもう」
 私の言葉にメイジーは一応納得してくれたようで、ようやく泣き止んでくれた。その後も時間が許す限り、私たちは抱きしめ合い口づけを交わした。

 甘く刺激的な時間を楽しんだ後、私は王宮へ戻った。
 時刻は十九時。もう既にサフィアは王宮に戻って来ているだろう。彼女は王妃教育と公務のために、二年前から王宮(ここ)に住んでいる。
 婚約者の私が外出から帰って来たというのに、出迎えもしないサフィアはやはり可愛くない。これがメイジーだったなら、きっと満面の笑みで私の胸に飛びついてきただろう。
 別に顔も見たくはないが、メイジーとの仲をうまく続けるために、サフィアのこともある程度は気にかけておかなくては。
「サフィア、部屋にいるのか?」
 気が乗らないままサフィアの部屋へ向かい、扉越しに声をかけるも返事はない。寝ているのだろうか。それとも、どこかほかの場所にいるのか。
「入るぞ」
 どちらにしろ部屋を訪ねたという事実だけは残しておこうと思い、扉を開けた。
 部屋の中にサフィアの姿はなかった。それどころか――。
「……どういうことだ?」
 彼女の荷物も、なにひとつ残っていなかった。もぬけの殻だったのだ。
 わけがわからず、最低限の家具しか置かれていない殺風景な部屋をゆっくりと歩く。すると、テーブルの上に手紙が置かれているのを見つけた。
“レオナルド殿下へ”
 そう書かれた封をビリビリと破り、便箋を取り出す。そこには腹が立つほど綺麗な文字でこう書かれていた。
 ――私たちの結婚を目前に控えた今、私は重大な決意をいたしました。殿下との婚約を、本日限りで解消いたします。殿下なら、私のこの身勝手な決断をお許しくださると信じております。
どうか、本当に好きな人と幸せになってください。この国の未来を楽しみにしております。
 サフィア・グラントリー。
「……サフィア、まさか気づいていたのか?」
 読み終わった便箋を持つ手に力が入り、真っ白い紙に皺が刻まれていく。
この書き方は、どう考えても私の浮気に気づいていたとしか思えない。相手がメイジーだというのも……頭の切れるサフィアなら、把握済みだろう。
 そして、そのうえで身を引いたのだ。あんなのでもこんな健気な決断ができるのかと、少し意外に思う。
「まあ、いいか」
 手紙に書いてある通り、ずいぶんと一方的で勝手な婚約破棄。だが、私は彼女の愚かな行為を許してやろう。
 なぜなら元々、いずれはメイジーを妻に迎える気だったのだから。
 それにこうも強気な行動を取れたということは、私たちの浮気の証拠も握っているはずだ。それを表に出されては、損するのはこちらのほう。
本来なら慰謝料を請求できる立場だが、ここは黙って私も彼女の希望を受け入れるのが得策だ。
 ――サフィアとの婚約解消は、なかなかに世間を驚かせるニュースにはなった。
 だが、元々彼女は王宮内でも好かれていなかった。そのため、彼女を惜しむ声は上がらなかった。
 私としても、陰鬱とした生意気な女が消えてくれたのは有難かった。さらにそのおかげで、メイジーとの関係を公にできるようになった。サフィアがいる時よりも、メイジーのいる王宮のほうが何倍も華やかだ。
愛嬌のある可愛い婚約者を連れて歩くのが、こんなに気分がいいものとは知らなかった。
 サフィアとは、あの手紙を読んだ日以来会っていない。
実家にも置手紙を残し、そのままどこかへ消えてしまったという。
きっと、可愛い妹に私をとられたという事実が恥ずかしくて、世間に顔向けできないのだろう。
 どうせサフィアのことなんて、時が経てばみんな忘れていく。あんなのはもう過去の女で、私にはなんの関係もない。どこでなにをしていようが、興味もない。

 ――私は気づかなかった。これが、すべての崩壊の始まりだったと。
 私はこの先、一生後悔することになる。なぜあの時、サフィアの行方を追わなかったのかと。
< 1 / 16 >

この作品をシェア

pagetop