クマとナデシコ 博堂会次期若頭候補の熊井宗一郎は撫子さんの愛が欲しい

 年下だから撫子に上手いことあしらわれている。
 自分はこんなに好きなのに、上手く伝わらない。

 三日ほど前に彼女の父親から「撫子の性格上、多少強引な真似でもしねえとな」と宗一郎は直に言われていたのだ。
 自分の娘を好いてくれている事に感謝の意を示す父親に恐縮しきりだった酒の席。
 宗一郎とて、この許婚の関係の裏にある父親たちの思惑は理解していた。龍堂と熊井の両家が覇権を持つこと、それが父親たちの悲願であることも。バブル崩壊後ですら生き延びて来たヤクザが煮え湯どころか一体何をカタギを語る権力者たちから飲まされていたのか。汚い仕事を裏でこなしながら虎視眈々と暗闇から目を光らせていた。そんな折に生まれたのが自分たちであり、時代は動いた。
 それも、良くない方へと動いている。
 今がこの時とばかりに父親たちは考えているのだろう。

 「なんだか昔やったお泊り会みたいで楽しみね」

 撫子のその言葉が本心なのかが分からない。

 「ええ、そうですね」

 宗一郎のその返事が本心なのか分からない。

 すれ違うにはあまりにも淡い理由だったがそれでも極道者である二人にとってはスジを通さなくてはならないこと。相手が大切だから不義理だけは働きたくない。

 「そうだ。俺、けっこう変な時間に帰って来るかもしれない……そう言う時は朝起きるのも遅いかもしれないです」
 「うん。私は特に会食とかなければ七時くらいには帰ってるかな。朝も普通に出勤してるけど在宅に切り替えてる時も最近結構あるから」

 なるべく平静を装う。
 ここはハイクラスホテルのカフェラウンジ、窓際の一等席。
 撫子と宗一郎は互いに生活の時間のズレを確認しあいながらサンドイッチをつまみ始める。

 「となると撫子さんの仕事部屋が必要ですよね。親父たちそこのところ」
 「さっきちらっと間取り見たけど寝室、二つあった」
 「ああ……じゃあその問題はクリアっぽいか」

 用意周到、とそこは二人の意見が合致する。父親たちも今回の件については以前から計画をしていたようだった。そもそもの話、二人の父親も妻とは寝室が別になっているので考慮が出来たのだろう。父親たちにしてやられているモヤつく心情を押し流すように撫子はコーヒーのカップを手にし、口にする。

 「多分あれね、芸能人とか訳アリに良い賃料で貸し出すハイグレードの中層マンションだと思う」
 「ああ、良いシノギですね」
 「私もいくつか持ってるけどまあ、ねえ……あ、宗君イチゴ好きだったでしょ」

 一個あげる、とケーキに食指が向いていた撫子は添えられているイチゴを宗一郎に取っておきながら自らはフルーツケーキを取り分けて……援助交際云々や水商売人とは違う若くも身なりや所作の良い二人の男女の姿はラウンジの中の絵になっていた。

 「ね、撫子さん」
 「うん?」
 「俺こういう静かな所の方が好き」
 「ふふ、知ってる」

 屈託なく笑う彼を可愛い人だと撫子は思っている。
 どうしてか、それ以上の決め手が見つけられないのだ。そんな自分は上っ面だけで宗一郎の事を好きだのなんだのと……彼にもたらす愛情は小さなサンドイッチやイチゴを差し出すくらいで自分はそれ以上を持っていないのではないのだろうか。
 体を差し出したのも、多分そのせい。

 自分には、何の価値もない。
 普通に仕事をしているのも自分の価値を見出したいから。
 龍堂会筆頭の娘、龍堂撫子と言うブランドだけがいつも一人歩きをしている。

 「じゃあ俺のチョコは撫子さんに」

 チョコレート菓子が好きだと覚えてくれていたらしい宗一郎の優しさを撫子は「ありがとう」と受け入れる。
 だからこそ本腰を入れて、この先どうするかを二人で話し合わなければ。最低、紙面上だけの婚姻で構わない。そうしておけばとりあえず父親たちは納得する。それこそ本当に上っ面。

 「このあとどうしましょうか。俺も荷物を取りに行かなきゃならないので」
 「私もこのまま家に帰るね。父はどうせいないだろうけど一応、母には暫く空けることを伝えておかないと」
 「わかりました。部屋の鍵とかは」
 「多分、家に帰れば用意されてると思う」
 「ですよね」

 何はともあれ帰宅をしなければならない二人は残りのケーキを食べ終え、一先ず解散となる。

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