クマとナデシコ 博堂会次期若頭候補の熊井宗一郎は撫子さんの愛が欲しい


 大人になった宗一郎に社交性が無いわけでもないのだが彼は年若いながらも実家、熊井組の若頭を務めている。彼は生まれた時から地位を約束された者。それゆえに普段はあまり人を近寄らせたり、出向いたりもしないような立場ではあったのだが宗一郎曰く「俺が三役(さんやく)になった途端に親父が出不精になっちゃって」との事で今夜も組長の名代で接待に出ていたらしい。

 宗一郎は生まれ持った肌質なのか男性美容でも行っているかのようにお肌はぴかぴか、おまけに甘めなベビーフェイス。それなのに太い首筋、体は厚く大きく筋肉質で。
 そのギャップに惚れる女は何十人と存在する。実際、同年代のグループの中に行かせた彼は大人気で多勢に無勢、押し流されるように人混みの中に消えて行ってしまった。

 それは今日、このクラブが『国見組の仕切り』である事にも由来する。博堂会直参、龍堂や熊井よりは格下だが確かな地位を築いている同じ直参組織の国見組が主催となり、低い年齢層向けに懇親会と言う名の遊び場を設けた。
 親たちの世代ならば秘匿性の高い料亭やレストランなどを使うだろうが今日集まっているのは撫子や離席したまま戻らない彼女の同級生である関本が最年長と言っても過言では無いくらいの低い年齢の者たち。
 国見組はそう言った的を絞ったセッティングや企画運営のセンスに関して、博堂会の中では抜きん出ていた。
 今どきの若い世代ならカジュアルな立食パーティーよりもさらにラフなクラブでの派手な飲み会の方が集まりが良い、と。そんな国見組からの遊びの誘いに集まっているのは大体が博堂会に属する者やその舎弟、新参の者。あとは関係者に紹介されて入場を許された者。
 流石に撫子や宗一郎は当たり前のように顔パスだった。

 (国見組による羽振りのいいお遊びに見えるけど、みんなが悪いコトをしてないか監視されているだけなのに……)

 それを知らずに楽しんでいる自分よりも年下の者たちを撫子は一人で眺める。
 博堂会直参の組に属するそこそこの役職やそれに準ずる者たちは三十代、四十代と年齢的にも派手に振る舞う者は少ない。

 それでも三次団体の組や一家の子女たちの素行について「最近どうにも程度が悪い」と撫子は国見組の関本……電話を掛けに出て行ったまま戻らない同級生の男から直に聞かされていた。
 国見組は比較的新しい組織であり、博堂会の中でも異質な存在だった。上層部にしかそれは知られていないがこうして集客をしては抜かりなく、情報を収集している。敵に回したらあまり良くない所。

 違法ドラッグの流通など一時は警察の取り締まりも厳しく、瞬間的には薬物売買からの若年層へのドラッグの蔓延は収束していたのだがまた最近、法の目を掻い潜った商品が出回っているとの話も撫子は耳にしている。

 路上での売買のみならず、薬物流通のゲートとして同じ穴の狢たちが集まるこの場所は監視に最適だった。国見組は博堂会内での薬物売買の動きの有無を見極めたいのだろうと喧騒を眺めながら撫子は考える。
 いくら暴対法が崩壊しているとしても薬物に関しては依然、規制は厳しい。組の下っ端が下手を打ってそれより上の本職が警察に引っ張られるなんざ一番、しょうもないこと……。

 お酒ももう良いかな、と撫子は軽く息をつく。
 すると一時的に人が寄りつかなくなっていたボックス席にするりと人の間を縫って細身の男性が「龍堂さんですよね。御挨拶をしても」と身を屈めてやって来た。

 撫子はその見知らぬ顔に少し、警戒をする。
 服装はその辺の吊るしのような安っぽさは見受けられない。場に見合ったダークスーツのポケットから出て来たのは革の名刺入れ。それを慣れた手つきでスマートに取り出し「以前から少しお話をしたかったのですが」と丁寧な言葉遣いと所作で撫子に差し出す。

 「光岡令士(みつおかれいじ)、と言います」

 いかにも優男、と感じ取れるような男。
 緩くウェーブの掛かった髪、前髪の長さは眉に掛かる程度。首筋に沿うようにきちんと切りそろえられている襟足。名刺を差し出す爪の先まで整っているかどうかを瞬間的に見る撫子は無意識のうちに男の上っ面を見極めていた。

 「光岡、って最近」
 「ええ。父は健在なんですが半ば代変わりをして今は私がほとんどの業務を引き受けています。古いだけのごく小さい組ですので博堂会の末席にいさせてもらっているだけなんですが」

 ご存じだったようで光栄です、とあくまでも下手に出る光岡と言う男。撫子も軽くなら話をしても良いかな、と名刺にある『ひかりファイナンス』の後に続く『取締役』の文字を見る。皆が似たり寄ったりな会社を経営しているが光岡はどうやらサラ金のよう。撫子もメインは不動産業なので表向きの名刺には同じように『取締役』と表記してあった。

 「事業をまとめられたんですよね。確か光岡興産、と」
 「ええ、はい。やはり龍堂さんともなるとよくご存じで」
 「仕事柄、色々と追ったりもしますし情報も方々から入ってきますから」

 本当に上っ面だけの会話でも撫子はにこやかだった。
 ただし、それは他者に対して全て同じ対応をしているだけの営業用の顔。

 「今夜は国見組の主催とのことで……龍堂さんがいらっしゃっていて良かったです。一度、お話をしたかったので」
 「伝聞されているような権限とか私は」
 「あ、いえ……そう言うのでもなくてですね」

 はは、と光岡は少し後頭部を指先で掻きながら恥ずかしそうに笑う。
 撫子は自分に急に挨拶をしてくるからには何か口利きでもして欲しいのかと予想をしていた。宗一郎がやってくるまで話をしいていたホストの斎藤兄弟はそこのところは弁えており、自分たちの展望をあらかじめしっかり考えた上で撫子に『ちょっとした相談』を持ちかけている。

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