クマとナデシコ 博堂会次期若頭候補の熊井宗一郎は撫子さんの愛が欲しい


 いつもあらゆることを決断してきた撫子。経営者として判断を下さなければならない事は数えきれない程あった。大きな案件の時には自ら社員に話を聞き、逆に聞いて貰うこともあった。だからそれとこれは同じ。誰かを頼る……もっと宗一郎に頼っても良い。彼はもう、大人なのだ。

 (宗君、小さい時から可愛かったからその印象がどうしても抜けなくて)

 ローテーブルに置いてくれたトレーにある山盛りの菓子。さっき南麻布のスーパーに寄った時の物と、見知らぬ物が混じっている。

 「俺もお菓子買って来ちゃったんです。撫子さんクッキーとか好きでしたよね。真ん中にジャムがついてるのとか……ああ、あとミルクチョコとコーヒーチョコがついてるやつも」
 「覚えてくれてたんだ。あ、思い出した。私いっつも赤いイチゴジャムが付いてる方で」
 「俺が黄色のアプリコット」

 宗一郎も隣に座って小包装になっているクッキーの一つを手にする。

 「で、チョコのヤツは昔から撫子さん結構渋い味覚だったからコーヒーチョコがついた方をよく食べてて」
 「あー……子供だったから宗君のことなんにも考えてなかったみたい」
 「でも俺は撫子さんが好きなの食べて欲しかったし」

 それは今も変わらない、と必然的に耳元で言う宗一郎に撫子は心臓をどきりとさせてしまう。
 彼のこう言う本音と言うか、感じていることを素直に言葉にしてくれる部分はやはり美徳……か、自分だけにしてくれていることなのか。

 撫子は宗一郎が淹れてくれた紅茶のマグを手にする。

 「あ、美味しい」
 「ほんとですか?渋みとか出ちゃってないかな、ってちょっと心配だったんですけど」

 たとえその辺のスーパーでも買えるようなティーバッグでも宗一郎が淹れてくれた紅茶は不思議といつもより美味しく感じる。
 もしや、自分が宗一郎にコーヒーを淹れたりした時も彼は同じ事を感じてくれていたのだろうか。だから簡単な朝食の用意を提案した時も――。

 また頭の中でぐるぐる考え出す撫子だったが薄く唇を開いて言葉を紡ぐ。

 「宗君が淹れてくれたからだと思う」

 これが今の自分の気持ちだと伝わっただろうか。だが当の宗一郎から反応が無く、気になって隣のベビーフェイスを見た撫子の方が途端に頬を赤くしてしまった。
 綺麗な顔をした男が感無量とばかりに嬉しそうに眉を寄せ、まるで子猫でも愛でるかのように撫子のことを見ていた。

 「撫子さん」
 「ん、うん」
 「ギュってしたい」

 しかし撫子の手には紅茶の入ったマグカップ。
 熱い眼差しを向けてくれる宗一郎への返事として撫子はそっとローテーブルにカップを置く。

 「っふふ、宗君くすぐったい」

 ソファーの上で宗一郎に抱き締められ、彼の体の上にのしかかる。重くないかどうかなんて野暮なセリフは言わず、撫子は彼に誘導されるままに彼の太い鎖骨のあたりに顔をうずめた。

 「ファンデーションついちゃう」
 「着替えはありますから」

 宗一郎の腕は撫子が体から滑り落ちてしまわないようにしっかりと支え、片膝も立てて囲ってしまう。そんなことをしたら彼の下半身の方の情熱が滾ってしまう筈だったのだがどうやら今日は違うらしい。

 「あったかいな……」

 いい匂いもするし、と女性の体の柔らかさをしみじみと感じているらしい宗一郎と大人しくしている撫子。物の弾みでのし掛かられ、押し潰されてしまっていた時は必死で、圧迫感の方の印象が強かったが逆に自分が彼の体に寝そべってしまうと筋肉の弾力とその奥にある骨の強さを感じる。

 「メシの支度しなきゃなのに」

 撫子を抱き締めて、幸せそうに頭に頬ずりをしている宗一郎が甘くぐずっている。それなら私が、と撫子は考えたがきっと今の宗一郎は離してくれない。

 「俺、やっぱり夜は撫子さんと一緒に寝たいな……エッチするとかそう言うのじゃなくて。撫子さんの体調とかあるし、日によってどうするかも撫子さんが決めて良い……でも、これは俺の」
 「……いいよ」
 「いや、そんなすぐの返事でなくて、も」

 もぞ、と宗一郎の広い胸の上で上半身を少し起こした撫子は薄らと頬が赤くなっている彼を見る。

 「ね、気づいている?宗君の心臓、凄いドキドキしてる」

 またふふ、と笑う撫子の表情は優しい。

 「私もね、ドキドキしてる」
 「撫子さん……」
 「胸、触ってみる?」
 「え?!いや、そんなことしたら」

 勃っちゃう、と小さな声で言った宗一郎に撫子は可笑しそうに笑い出す。宗一郎は本当のことを言っている。そう信じたい。
 撫子も自分の心の深いところにある他人への懐疑心よりももっと暗い、恐怖に似た感覚を拭い去ろうと足掻いていた。
 あと一歩、彼に歩み寄れない自分の弱さは分かっている。その理由が過去、何度となく『龍堂の娘』として怖い目に遭って来たせいなのだと言うことも。

 ――彼は、熊井宗一郎は自分に怖い思いをさせたことなんて一度もない。信じて良い。彼に本当の自分を見せても、良い。

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