クマとナデシコ 博堂会次期若頭候補の熊井宗一郎は撫子さんの愛が欲しい
気を取り直すように宗一郎は他の惣菜も、と冷蔵庫を開くと彩りの良い葉物サラダの大容量パックと英語表記のドレッシング、丸々一羽のローストチキンまで入っているのを見つける。
それに撫子が本当にスーパーで調理用の食材を買ってきたらしく、卵のパックもあった。
「撫子さん、こっちのサラダとドレッシングも開けて良い?」
「うん。そのドレッシングは前から気になってたやつなの。クリーム系の味でアメリカではどこのご家庭にもあるんだって」
「へー……あ、でも撫子さん重い物の買い物大変じゃなかったですか?声かけてくれれば俺のところの若いの使っても全然構わないんで」
今日の帰りは国見組、関本の舎弟である若い衆と買い物を……ドライバーも務めてくれた舎弟は当たり前のように買い物袋も率先してトランクに積み込み、このマンションの誰でも入ることが出来るエントランスまで運んでくれた。その後はコンシェルジュが共用カートを出してくれたので撫子は特に苦労はしていないので若干、返答に困る。
「俺、撫子さんとスーパー行ってみたいかも。正直、スーパーで買い物とかあんまりしたことなくて。デパートとかコンビニなら舎弟と行くんですけど」
カネならある、の生まれである撫子も高校を出るまでは世間知らず気味だった。もとより通っていた私立高校もレベルがレベル。カネはあるが訳あり、の撫子のような子女も内包していた。母方の姓を名乗り、目立たぬように学校内では過ごしていたがいざ大学生になった途端に色々と思い知らされることも多くあった。そんな時に関本が声を掛けてくれて……後の内縁の妻となる女性と三人でこっそり身分を隠して遊びに出たのも片手じゃ数えきれない。
そして関本の生まれもまた極道だった。国見組を親とする博堂会の中では三次団体にあたる組だが国見組内では重宝されている生え抜きの男。実家ではなくその上位組織の国見組に籍を置いているのも国見が彼を気に入って、とのこと。
「私の仕事なら時間が作れる、と言うか普段からサポートと接待が仕事みたいなものだから宗君が良かったら近い内に一緒に行こっか」
またひとつ、撫子が歩み寄ろうとしてくれているのを肌で感じる宗一郎は「明日にでも行っちゃいますか?」と冗談混じりに問い掛ける。
「明日?宗君の時間が取れるなら私もそれに合わせるから全然構わないけど……そうね、それなら食べたい物とかあればそこで食材揃えて作るけど」
「撫子さん、なんでも作れる……?」
「家庭料理ならね。あ、でも朝ごはんには前日の残り物が出ちゃうけど良いかな」
一流の料亭、高級ホテルのレストラン、会員制の……と舌が肥えているどころではない二人だったが撫子の伺いに宗一郎は思い切り首を縦に振る。自分の熊井邸での食事の残り物は住み込みの舎弟が食べてしまっていたので毎日、違う品が出て来ていた。朝もそう。昨晩の残り物は出てこない。そんな彼にとって撫子の言う「残り物」はなんとも家庭的で魅力のある言葉として捉えられてしまった。
「使い残した調味料は私が持って帰るとして」
しかし何気ない彼女のひと言はこの同棲が本当にお試しの期間限定であることを示唆する。今の撫子にとっては期限付きの暮らしでしかない、と。
まだ二晩を過ごしたばかり。焦ったら駄目だ、と宗一郎は心の中で呟く。
「んー……宗君の好きな物って案外思いつかないかも」
体に見合った量を食べ、健やかに育った宗一郎。惣菜パンなどでは偏ると思って朝食について提案したが会食以外の普段の熊井邸での食生活は意外と知らない。自分と会う時はレストランが中心。いつも時節のコース料理を頼んでくれていたので世間一般の男性が食べているごく普通の『好きな物』が何なのか分からない。
「俺、マジで何でも食べちゃうから……うーん」
「今日私が行ったスーパーは大使館職員とか駐在員、海外の人向けのスーパーだから宗君が行ったら楽しいかも。もちろん、お惣菜も売ってるし」
話をしながら手が止まってしまっていた宗一郎は撫子がすっかり夕飯の支度をしてくれていることに気が付き、慌てて自分が取り分けようとしたサラダのパックを開け始める。
「撫子さんのこと見てると俺の“やれる”と普段から“やってる”人の差を感じちゃうな……」
「そんなことないって。宗君、きちんとしてるし。お洗濯ものも予洗いして分けて置いてあったの見て正直びっくりしたし」
「ねえ撫子さん、メシの支度中でアレなんだけど俺のパンツと肌着って撫子さんの、と」
「あ、一緒に洗うの苦手だった?そしたら分けるけど」
「違う、違いますって。それ、俺が言うセリフ」
もう、と宗一郎は言うが正直言って撫子にとって分けて洗うのは面倒だった。家でも洗濯物は自分でしていたし、ある程度のお洒落着もクリーニングには出さずにネットに入れて洗濯機に放り込む性分。
「ごめん、私ちょっとそう言うところ大雑把と言うか」
今の言葉で言うところのコスパ、タイパ重視。
予洗いしてあれば気にしない。なんなら自分が手洗いをする気もあった。どうせ小さい頃からお泊り会などをしていた仲。今回だって二人で暮らす試みなのだから躊躇はナシ。躊躇どころか問答無用で洗濯していた。
何よりその洗濯機は彼女の実家の離れに置いてある物よりも最新のハイエンドモデルだ。むしろ使ってみたい、という興味の方が強い。
「畳むのとかダルかったらハンガー掛けっぱなしでも全然構わないですから」
「そ?いつも自分でやってるのと大して変わらないから大丈夫」
軽く言ってのけてしまう撫子は「畳み方変だったらごめんね」とむしろ謝る。
「そんな……俺、撫子さんに至れり尽くせりにして貰ってるのに」
現実的な話を交わす頃には宗一郎もサラダの支度を終えていた。撫子も惣菜の盛り合わせを作り終えている。
「そっちのテーブル拭いてきます」
「うん。お願い」
宗一郎もここまで気が向けられ、実際に率先して出来るのだから何も心配はいらない。撫子も何でも受け止めてくれようとする宗一郎の苦手な物やコトが知りたかったのだがそれはまだ見えず。
(私も、宗君にはどう見えているんだろう)
上っ面で取り繕う自分じゃない素のままの『わたし』を見せて、幻滅などしないだろうか。譲歩して、たまにむっとして、それが普通のパートナーとの暮らし……関本のような極道者の男が頭を抱えるようなことも二人で暮らすとなれば起こり得る。自分の全部を肯定してくれなくて良いのだ。分かってくれていれば、お互いの価値観を分かり合うような暮らしが出来たなら。