クマとナデシコ 博堂会次期若頭候補の熊井宗一郎は撫子さんの愛が欲しい


 お酒も軽く飲むかな、と少しデパートのリカーショップに寄ってから帰って来たが宗一郎はまだ帰宅していないようだった。
 既に私用のスマートフォンには「お風呂洗ってあります」や「床を掃除しておきました」などと送られてきており、掃除済みの場所を教えてくれていた。軽く着替えた撫子はお風呂を沸かし、昨晩に作り置きしておいた料理を冷蔵庫から取り出して味見をしながら温め直しを始める。

 そうこうしている内にダイニングテーブルに置いてあったスマートフォンから通知音が一つ。まもなく帰宅をするとの宗一郎からの知らせ。

 そうして三十分くらい経ったあと。

 「お帰り」
 「ただいま、です」

 はにかむ宗一郎を出迎える撫子はふと、彼が纏う薄い香水の匂いを嗅いでしまった。
 あ、と思う間もなく自分の心が反応する。

 「お風呂沸いてるから宗君が先に温まって。いつも私が先に入らせて貰っちゃってるし」
 「良いんですか?」
 「湯船を洗ってくれた人の特権ってことで」
 「じゃあ遠慮なく……でも夕飯の支度」
 「気にしないの。今日は宗君の為に作ったんだから」

 広い部屋に見合う横幅のある廊下。二人で話をしながら歩けば撫子はもっと、彼の匂いを感じてしまう。昨日、急な夜の呼び出しに出て行った宗一郎にぎゅっと抱きしめられた時の切なさが今また、込み上げてくる。

 (どうしよう……私、そんな……ねえ)

 宗一郎とシたいだなんて。
 でも今夜は彼にお腹いっぱい食べて貰って、アイスも食べて、昨日からの疲れを癒して貰いたい。昨夜、遅く帰って来たのは知っている。朝も起きてくるのが遅かった。だから今日はこのまま寝かせてあげないと。

 お風呂に向かう宗一郎はキッチンで作業をしている撫子をちらりと見る。少し俯いている彼女の横顔が素敵で、愛おしい。
 自分の視線に気が付いて「ん?」と小首を傾げてくれるのも……たまらない。
 好き、大好き、の感情がまた溢れそうになりながらも勧められたお風呂に先に入りに行けば洗面所には撫子が身に着けていたらしい小さなダイヤの填まったピアスとごく細いチェーンの揃いのペンダントトップが付いたネックレスが置き去りになっているのを見つける。

 帰って来て、手洗いか何かの時にそのままにしてしまったのだろう。
 宗一郎はピアスをつまみ上げるとその小ささにうろたえてしまった。更に細いチェーンのネックレスも同じく彼の指先にはあまりにも繊細で。

 「な、でしこ、さん、これ」

 何を途切れ途切れに、とキッチンに戻って来た宗一郎の左手の中を撫子は覗き込む。

 「あ、ごめん。すっかり忘れてた」
 「俺じゃ壊しちゃいそうで怖い」
 「ゴールドと言っても18金だからそんなに怖がらなくても」

 あまりにも怯えている宗一郎がおかしくて笑いだす撫子のちょっと切ない感情は一瞬にして飛んでしまった。

 ・・・

 風呂から上がって来た宗一郎が濡れた髪のままでキッチンを覗きに来る。既にダイニングテーブルにはサラダなどの加熱がいらない物やちょっとした白身魚のマリネや冷製のつまみが乗った盛り合わせの皿が二枚。お酒用のグラスも置いてあった。

 「飲みながら食べる?」
 「ええ、その方が撫子さんも落ち着くし」
 「じゃあ温かいのもよそっちゃうね。冷蔵庫の中にドイツのクラフトビールが入ってるから……あ、宗君早く髪の毛乾かさないと。つまみ食いも駄目よ」

 冗談でむーっとする宗一郎を撫子は軽くいなして片手鍋の中のポトフをよそったり、スライスした全粒粉のバゲットをフライパンで少し焼いたりと夕飯の支度を終わらせる。
 宗一郎が席に着くころには撫子も冷蔵庫からビールを取り出していた。

 「じゃ、食べよっか」
 「この度はしがない駆け出しの手前に」
 「ここで仁義切るの?!」
 「極道流の冗談です。俺も映画でしか聞いたことないですし……あれ、ホントにやってたんですかね」
 「もう……っくく、だめ、宗君が笑わせるから」

 いただきます、の二人のそれぞれの声。
 宗一郎の実家で厳しく躾けられてきた部分はプライベートな場所でも変わらない。けれどまずは軽くビールをひと口。それからあとはもうご自由に、の食卓。

 「宗君にはちょっと足りないかもしれないから一応、冷蔵庫の中にまだ……宗君?あー、酸っぱかった、とか……?」

 撫子の作ったマリネを食べたらしい宗一郎の反応が無い。
 お酢の飛ばし具合が弱かったかな、とか瞬時にあれこれと心配をしてしまうがそれは彼女の取り越し苦労。いい加減、宗一郎の反応の癖に慣れなくてはいけない。彼の場合は何か好意的なことがあると暫く黙ってしまうのだ。

 「どう、かな」

 きちんと咀嚼をしてから「美味しい」と口を開いた宗一郎に撫子はほっと胸を撫で下ろす。

 「おかわりしていい?」
 「うん。まだ冷蔵庫にあるから」

 何でも食べる宗一郎でも家庭料理の味付け具合は未知だし、普段どのくらい食べているのかも分からない。撫子自身もコンディションを考えてなるべく野菜や魚、肉類を毎日取り入れてはいるが何しろ宗一郎は規格外。
 ビールを飲んで、バゲットをかじって。ポトフも冷めないうちに、と宗一郎の食は撫子が考えていた通りに進んでいた。体が一回り違うのだから自分より多めに食べる。しかもさらっとスマートに食べている姿は一緒に外食を重ねていても今日ばかりは目新しさがあった。

 「あ、食後は俺が片付けるから撫子さんはお風呂に」
 「うん。分かっ……ありがとう」

 撫子は言葉を変える。
 かわりばんこに家事をしようと言う宗一郎の気概。その気持ちに感謝の言葉は必要で。

 
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