クマとナデシコ 博堂会次期若頭候補の熊井宗一郎は撫子さんの愛が欲しい
第6話 絡まる不安

 ネイビーの少し首回りが大きく開いたワンピース。腰回りを美しく形作る膝丈のペンシルラインが一人の男の前にさらされる。羽織っていた薄手のコートをクロークに預けた撫子のスタイリッシュで洗練された大人の女性の姿が新宿の高層の景色にとても良く映えている夜。
 耳元と首元の繊細なゴールドの装飾品も、細身のブレスレットのような腕時計も全てが彼女に似合っている。

 それを独り占めするように見つめているのは宗一郎ではない。

 「光岡さんも何でも食べる方ですか?」
 「ええ、先日は撫子さんをわりととんでもないところに誘ってしまったのでお詫びも兼ねて」

 ダークグレーのスリーピーススーツ姿の光岡令士が今夜の撫子をエスコート役だった。
 ビジネスとは違うドレッシーな服装をしている彼女と、レストランのドレスコードに合わせながらもポケットチーフとして少し可愛らしい花柄のハンカチをアクセントとして挿していた光岡は前回の食事について少し恥ずかしそうに謝る。
 そんなことないですよ、と撫子は柔らかく対応しながらも通された窓辺の席から新宿の夜景を見た。

 「素敵な場所ですね」

 ありきたりな社交辞令の言葉すらそう思わせない彼女の穏やかで親しみやすい雰囲気。
 光岡がディナーに誘ったのは最近出来た商業ビルの上階に入ったばかりの個人経営のレストラン。席数も多くなく、まだパパ活系の者に嗅ぎつかれていない感じの落ち着いた場所。
 ドレッシーな服装とは言え撫子もしっかりと肌の露出は制限してあるし、服の素材や縫製自体が同世代の一般女性たちとは一線を画していた。無地のクラッチバッグもハイブランドで間違いはないだろうがそれをあえて感じさせない奥ゆかしさ。

 「光岡さんのポケットチーフ、可愛いですね」

 ふふ、と笑う撫子の言葉に照れくさそうにしている光岡は「撫子さんの名前が印象的だったから、合うかな……なんて」と言う。不躾にならない程度によく見てみれば確かに花模様の中にナデシコの花があり、彼女との会話の糸口を作るには最適だった。

 撫子もメッセージが送られて来た時はどうしようか少し悩みもしたが身元も割れている光岡なら、と営業がてら了承したディナーの席。
 光岡ではなく給仕係が椅子を引いてくれるような場所での食事は世間話と仕事の話を織り交ぜながら心地よく進んでいく。
 ただ、対面にいる撫子の所作を見逃したくないとばかりに見つめる光岡の瞳の奥では熱が上がりだしていた。

 龍堂撫子はとても魅力的な女性だ。
 遊び呆けている子女たちとは違う、一本のスジが通った凛とした美しさがある。皆が彼女の事を『高嶺の花』と呼ぶのも良く分かる。そしてその一輪の花を囲うのが顔だけ可愛いヒグマのような男だと言うのも……。

 「今日はダメ元で聞いて良かったな……本当に私に付き合ってくださって」
 「そんな、こちらこそ素敵な所に誘っていただいて」

 結局は仕事の愚痴が半分以上になってしまった事を謝る光岡との食事。撫子としては営業の一環以外にも交友関係を広げてみようか、と言う試みがあった。
 光岡令士はもともと一般企業に勤めていたそうで極道の跡目としては出戻りの立場。博堂の中でも三次であり、直参の組がさらに上の親となっている。撫子からすれば数段も格下の者。
 立場をわきまえている様子はカタギの中で勤めていた片鱗を伺わせ、普段は表の仕事をしている撫子にとって正直なところ本職のヤクザである宗一郎よりも話しやすかった。

 やはりどこか宗一郎には気を遣ってしまう部分がある。話を合わせてあげるよう、心の隅で多少は考えている。
 それが必要ない光岡と意気投合するのはもはや必然だった。

 レストランからの帰りのエレベーター内。外国人客の団体が乗って来てしまい、光岡が撫子をガードするように立つ。その際にじかに彼女の腰に手が触れてしまった事を彼はエレベーターから降りた直後に詫びる。

 「気にしないでください。有難うございます」
 「やはり夜でもアジア系の観光客が多いですね」
 「私も職業柄、無許可の民泊とかの問題を頻繁に聞くようになりましたし」
 「あー、仲間内で泊まらせてしまうとか」
 「ええ。本当にやりたい放題で」

 夜の街路を見回す撫子を背の高い光岡はゆるく、見下ろす。
 彼女の瞳はいつも仕事のことを真面目に見つめ、そして……熊井宗一郎を見守っている。

 ――それは、愛し合っていると言えるのだろうか。

 光岡の熱を孕んだ視線に気づかない撫子。
 意図せずではあったが守る為に触れてしまった方の手を彼はぎゅっと握りしめる。
 タクシーを呼び止め、撫子を見送る光岡。次の場所に飲みにも行かず、本当に食事だけで終わってしまった夜ではあったが彼は明るい商業施設が立ち並ぶ場所から暗い方へ、歩き出す。

 「はー……ははッ……」

 吐き出すのは溜め息ではなく、吐息と笑み。光岡はずっと握り込んでいた手をそっと開き、まじまじと見つめる。
 撫子の腰に触れた時の感覚を忘れない内に、この手で。

 
< 37 / 58 >

この作品をシェア

pagetop