クマとナデシコ 博堂会次期若頭候補の熊井宗一郎は撫子さんの愛が欲しい
「じゃあ光岡令士は撫子ちゃんのこと、馬鹿正直にディナーだけ終わらせて解放したってのか」
「はい……そうみたいです。撫子さんも疲れた、とだけでそれ以上のことは言っていなかったので」
そのあと、二人でじっくり濃密に過ごしたことは口が裂けても言えないが宗一郎は目の前で思案している白髪交じりのダブルスーツの男、国見隼人を前に座敷用のテーブルセットの椅子に姿勢を正して座っていた。
「なあ宗一郎、お前が遊ぶようなヤツじゃないのは承知している。不自然かもしれねえが今一度、お前たちを含めた若い衆に向けた飲みの席を作ろうかと思うんだ。ほら、俺の持ってるホストクラブがあっただろう。元は龍堂の兄さんが持ってた」
「……失礼を承知で国見組長。また、その兄貴分にあたる龍堂筆頭の大切な娘さんである撫子さんを危険に曝すおつもりですか」
「ふうん。お前も言うようになったじゃねえか」
ニヤ、と笑った国見の目尻や口元の皺が深まるがこのヤクザは47歳には見えないくらいの言うならば“色男”だった。髪に白髪は混じっているがその顔立ちは『元やり手のホスト』と言えば誰しもが納得してしまう。その顔がまた生まれつきベビーフェイスな宗一郎にとっては憎たらしいのだ。男も女も、国見の顔については意見がさほど分かれないだろう。そんな生粋の色男に余裕や箔、貫禄、鋭い知性がついているのだ。
それは自分にとって無い物ばかり。いつかそうなれるのかはまだ分からない、まだまだ青さのある宗一郎は真っ直ぐに国見の瞳を見る。
「良い目してンじゃねえか。それでこそ熊井の兄さんの倅……撫子ちゃんの将来の旦那サマだ」
馬鹿にはされていないが、どうにも茶化されている。
「俺が関本を使って撫子ちゃんを危ない目に遭わせた。これからも使おうとしていることについては詫びよう。だがな、女の子であっても撫子ちゃんはテメエの腹はテメエでしっかり括れンだよ」
「はい……」
「分かっているなら……まあ良い。これ以上は無粋だ」
撫子が皆の『高嶺の花』である理由は宗一郎が彼女のことが大好きな理由と一致していた。それは撫子にはいつでもスジを通そうとする気概が備わっており、誰にも迷惑を掛けないよう強く生きている。そしてその信念を彼女は曲げない。近寄りがたくもあるが、それでこそ仁義を通す古来の意味での極道の娘。
「宗一郎、俺がお前を男にしてやるよ」
「は……」
「そうしたら撫子ちゃんもお前にメロメロ……ってな。いや、言い方が古いか。まあなんだ、あの子がお前に愛想を尽かさず暮らし続けているところを見ると、それ相応にお前も腹括ってンだろ?」
食前酒の香りの良い梅酒を煽りながら国見は笑う。
確かに撫子の部屋を今朝見たがあの状態はいつでもスーツケースを畳んで出て行ける状態だった。嫌だったなら、愛想を尽かしたならもう出て行っているだろう。
「どうだ?今回の件がお前の功労で一件落着ってなりゃあ実家と龍堂、ひいては博堂会の次期若頭候補筆頭としての地位は揺るがなくなり……龍堂の兄さんもお前を頼りにするし熊井の兄さんの悲願も」
「あの、そのウチの親父の悲願って言うのは」
「ん?熊井の兄さんは昔から五厘下がりだからと龍堂の兄さんの前には絶対に出ねえ奥ゆかしい方だった。だが腹ン中じゃ遊び半分で下剋上を企て……ってお前、兄さんに何も聞かされてないのに撫子ちゃんの婿さんになろうとしてたのか」
国見の言葉を聞いた宗一郎がきゅう、と背を縮める。たまたま父親同士が兄弟盃をかわしていて、自分も組や組織の繁栄を考えていた。二つの条件は合っていて……と許婚の約束を結んだ理由を父親に深く問いかけたことはなかった。宗一郎も小さな頃から撫子の事は好きだったので父親に疑いの一切を向けていなかった。
もしや撫子はその“疑い”のような物を見抜いていて自分と婚姻関係になるのを控えていた、とか?と宗一郎の頭の中は一瞬にして混乱に陥る。
踏み切ってくれなかったのは自分の父親の腹積もりのせい。遊び半分で下剋上を狙っていたかもしれないだなんて。
(いや、うちの親父ならやりかねないや……うわあ、これは流石に親父に怒らないといけないヤツだ。撫子さんを長い間悩ませちゃってた原因かもしれないって……)
時代は目まぐるしく変わっている。
自分が撫子のことが本当に大好きだったから良かったのであって、本来この世の中で『許婚』なんてどうかしていた。
「なあ宗一郎」
「はい」
「俺の最推しの撫子ちゃんだ。大切にしてくれよ?」
「さい、推し……」
「俺はどうにも子供がもてなくてな。それは俺の体の問題だったと検査をして分かった。だから撫子ちゃんの事が可愛くて堪らなかったんだよ。あんなに立派な娘さん、なかなかコッチの世界じゃいねえしな」
控えの付き人も入れさせていない一等の客間。
国見は宗一郎を見据えて言葉を締める。
「宗一郎、俺と一勝負かましてみないか?」
ああ、この人には敵わない。
前から分かっていたが改めて見せつけられた宗一郎は「その勝負の景品は撫子さんとか言わないでくださいよ」と釘を刺す。
「ッハハ!!ああ、面白くなってきた。俺はお前みたいなヤツが大好きだよ。こりゃあ絶対に勝つしかねえ博打になったな」
国見といるとなんだか調子が狂うなあ、と感じる宗一郎だったが「じゃあ早速、作戦会議をしようじゃないか」と言われてしまう。
それに対してはしっかりと承服したとして浅く頭を下げる礼儀は彼も忘れなかった。