クマとナデシコ 博堂会次期若頭候補の熊井宗一郎は撫子さんの愛が欲しい


 玄関の中に入った途端だった。
 真っ直ぐだった背を小さく丸め、壁に寄りかかってしまいそうになる撫子を咄嗟に宗一郎は抱き留める。

 「俺は撫子さんにどうやって詫びをしたら」
 「そんなの、いい」

 全ては国見のシナリオ通りだった。
 あの現場になだれ込んできた構成員は熊井組よりも国見の構成員の方が多かった。

 「近くでご飯を食べて、そしたら宗君からメッセージが入ってて」
 「はい。これから起こるであろうことを正直に伝えた方が安全だと……それに関しては俺の独断だったんです。でも、国見さんには見抜かれていた」
 「関本君は口では言わなかったけど今回の事は把握していて、すぐ戻ると思ってたの。だから光岡さんと話をしてたんだけど関本君、全然戻って来る気配がなくて……そしたらなんか急に怖さが込み上げてきて」

 関本が席から立ったのが撫子には意外だった。それも国見の策なのだと思ってはいたがデートドラッグが仕込まれたと思しきプリンは卓に運ばれてきてしまった。よりにもよって、デザート担当のシェフ本人ではなく宮野木の手によって。だから撫子は宮野木に光岡を半個室に来させるよう指示をした。

 それからも途中までは自分の持つ営業用の振る舞いでどうにか、何かあった時に頼りになりそうな光岡と話をしていたのだが恐怖の方がやはり勝ってしまい……。

 「多分、関本さんはその時の電話で今回の“作戦”の全貌を知らされたのかも。俺も国見さんからは誰とも連携を取らず、個別に動けって言われていたから」
 「国見さんならやりかねないわね。だから関本君と話をしてた時、ちょっと噛み合わない気がしたと言うか……私もそれに合わせたんだけど」

 とりあえず部屋に上がりましょう、と促す宗一郎は自分の革靴と撫子のヒールをきちんと揃える。そんな彼の姿を見てしまった撫子はやっとふふ、と小さく笑った。

 「宗君、すごくかっこよかったよ」
 「え?!」
 「妻、だって……っふふ。私、宗君の奥さんだ」
 「そっ、それに関してはですね」
 「言い訳しちゃうの?」

 ん?と撫子に見上げられた宗一郎の頬は赤くなっていたが二人はそのまま廊下を抜けてリビングへ。ホストクラブ内の暗さから明るい部屋へと戻って来た撫子はすとん、とソファーに座ってしまった。やはり体の調子が、と宗一郎は心配になるが二人だけのプライベートな空間に戻って来た撫子の表情は疲れてはいたが強張りのようなものは解けていた。

 「私ね……宗君のことがちょっと羨ましかったんだ。もし私が女じゃなくて男だったなら、宗君みたいになれたのかなって」

 ゆったりと座りながらも撫子は宗一郎から視線を外さない。

 ――もし、自分が男だったならこんなことにはならなかったのではないだろうか。

 撫子の心の奥底の一番深い部分にあったもの。
 何度も何度も、もし自分が男だったならこんなイヤな目にも、怖い思いもしなくて済んだのではないか。女だから、体がもう男性のそれとは違う。腕を掴まれただけで引き倒されてしまう。
 そして自分が龍堂の跡継ぎだったなら、許婚など時代遅れも甚だしい事に巻き込まれなかった筈だ。

 「でもね、今の私は宗君のことが大好き。光岡さんにいきなり啖呵を切った時はびっくりしちゃった。だけどその瞬間にね、心がすっと軽くなったの」

 漠然と抱いていた不安、心の奥底にあったわだかまり。それらのすべてがあの時の宗一郎の「私の妻に」との物言いで吹き飛んだ。彼なら心から愛し、信頼しても大丈夫なのだと感じた。

 「恥ずかしいよね……いい大人なのに。宗君は私のことをずっと見ていてくれたのに私は目をずっと逸らしてばかりで向き合おうともしなかった」
 「撫子さん……」
 「宗君だけは私の目を見て話しをしてくれた。私の背後にある暗い影の部分じゃない、私そのものをいつも」

 撫子の潤む瞳に宗一郎は無意識に彼女の前に片膝をついていた。

 「まだ指輪はないけど撫子さん、左手を出して」

 何を、と思いつつも宗一郎に見上げられた撫子は彼に左手を差し出す。

 「俺はこの手をずっと離しません。撫子さん、あなたのことをこれからも守り通します。だから……一生、愛させてください」

 撫子の左手が宗一郎の両手に包まれる。
 大きくて、熱くて、力強い。
 真摯に見つめる彼の真っ直ぐな眼差しを受けた撫子はその大きな両手の上に自らの右手を重ねる。

 「末永く、よろしくお願いします」

 にこっと笑った撫子に宗一郎のベビーフェイスが感極まって破顔し、崩れたあとには照れくさそうに二人で笑い合う。

 「どうしよう。俺、手汗かきそう」
 「私も」
 「お揃いですね」
 「ね……ふふ、っ。宗君、本当にかっこよかったよ」
 「な゛!!そんな、また言われちゃうと」

 ちょっと涙目になっている宗一郎だったが終いには二人で再びくすくすと笑い始め……今夜もまた、お試しの同棲生活の夜が更けてゆく。


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