クマとナデシコ 博堂会次期若頭候補の熊井宗一郎は撫子さんの愛が欲しい



 ――撫子がほぼ実権を握っている持ちビルの一階。
 カフェテリアの一画は一般客の目を遮るようにパーティションが置かれており、さらには商談中の札が提げられ、中の様子は見えなくなっていた。

 「撫子さんに近づくな、とは言いません」
 「ですが熊井さん」

 その中では熊井宗一郎と光岡令士が向かい合って座っている。
 自分より年下でありながらも数段格上である宗一郎に頭を下げている男、光岡は顔を上げない。

 「国見組長からの総括をあなたに伝える為の場です。俺たちの私的な話はここまでにしましょう」

 書類などは特に無く、宗一郎は口頭で光岡に処分を言い渡す。
 国見からは「博堂の上に立つ者としてでもあるがこれは宗一郎、お前が言うべきモンだからな」とのことで役割が回って来た。

 「光岡組の親たる組長には許可を貰っています。これより暫くの間、あなたの組には国見組から監視の目が向けられます。これは博堂会の上層部で裁決された処分です」
 「組の取り潰しなり、破門ではないんですか」
 「光岡さん、別に悪いことはしてないでしょう?」

 ちょっと危なそうな健康食品に手を出していただけで違法性は今のところない。ギリギリのラインを突いたヤクザがよくやる手口の一つでしかない。そんな些末なことで組の取り潰しなどしていたらヤクザはあっと言う間に全滅してしまう。
 じとーっと光岡に視線を向けた宗一郎は彼の瞳を覗き見る。

 「光岡さんってもしかして……ヤクザから完全に足を洗おうとしていました?取り潰し、破門ならばある意味追われることもない円満な足の洗い方だ」
 「さあ、どうでしょう」
 「ご実家から出られて、カタギとして生きていた人間がどうしてヤクザに舞い戻って来たのか。俺も少しは考えたんですけど」
 「熊井さん。あなたと私では見ている物が違う」

 言い切る光岡に宗一郎は少し息を飲む。
 生まれながらに将来が約束されていた宗一郎としがない三次団体の組長の息子である光岡では……。
 考え方は人それぞれだ。たとえ光岡にどんな思惑があろうとも、博堂会に属している以上は宗一郎など上層部にあたる者はこうした格下の者たちを管理しなくてはならない。

 「光岡興産として事業を一つにまとめられたのも、全てカタを付ける為」
 「だから、それはあくまでも熊井さんの」

 言い掛け、口を噤んだ光岡の賢明。
 噤んだ口を食い縛っているようにも見えたがすぐにその緊張を解くと彼は静かに息をついた。

 「今回の寛大な処分、痛み入ります」

 それが光岡の本心ではなかったとしても、宗一郎は彼のこの言葉をもって管理者の一人としての今日の役割を終える。

 「それで……話を戻すと光岡さん。撫子さんの事、守ってくださいましたよね」
 「は……ああ、アレですか」
 「撫子さんから聞いています。俺からの事前の連絡でヤクを口にしなかったものの緊張と不安で体調が悪くなっていた。それを光岡さんは気づいていて」

 宗一郎の真っ直ぐな瞳に見つめられた光岡は思わず視線を逸らしてしまった。甘く、可愛い顔していると言うのになんて獰猛で……愛情深いのだろうか。
 愛する女のことと組織とを切り離して考える頭はあるんだな、と光岡は思う。ここから先は男と男の話なのだ、と。

 「国見組か熊井さんの所が隠しカメラでも仕込んで外から監視していたんでしょう?私が龍堂さんをどうこうするなり、加害者側がどうこうしようものなら」
 「まあ、それは……そうなんですけど」
 「私はしがない三次団体の小倅。その辺の営業マンと変わりませんよ。龍堂さんが表の仕事をされていると聞いてちょっと興味が湧いただけで」
 「仕事の話をよくされていた、と」
 「ええ。極道の世界に身を置きながらも表で仕事をしている龍堂さんに勝手に親近感が」

 格下であれど、似たような境遇で惹かれてしまった。
 それに撫子は凛としていて、話をすれば広く響くような話術も持っている。誰しも、彼女にちょっとした愛情を患うなど……。

 「龍堂さんには金輪際、私からは近づきません。飲みの席で会ったりなども」
 「別に俺もそこまでとは」

 先ほども言ったように、と宗一郎が少し困った表情を見せた時だった。

 「話し合い、終わった?」

 パーティションの横から撫子がカフェのトレーを持って顔を出す。

 「博堂の方針は伝えました」
 「光岡さん、今回の件に関してまずはお礼を。これは私からのほんの気持ちです」

 とん、と光岡の前に置かれたグラス。
 このカフェのロゴが入ったスタイリッシュな物だったが注がれているアイスのチョコレートドリンクには溢れんばかりに白い生クリームが盛られている。それだけではなく、チョコレートソースもたっぷりとマシマシに掛けられていた。
 さらに光岡の前にはほんのりと温められたシュガードーナッツの皿も置かれる。

 甘い物が勢ぞろいしてしまったテーブル。宗一郎の前とその隣、撫子が腰を下ろした場所には普通のアイスコーヒーのグラスとプレーンのスコーンがそれぞれ置かれた。

 「あ……の、龍堂さんこれは」
 「光岡さんって本当は甘い物がお好きなんですよね。しかも期間限定のチョコレートドリンクをリピートして貰ってるくらいには」
 「バレちゃいましたか」
 「え、光岡さんって」

 宗一郎が光岡の前に置かれている非常に甘そうなチョコレートドリンクと本人を見比べる。すっきりとした涼やかな目の彼が愛してやまないもの……それが甘い物だったとは。

 「私に合わせて我慢してくださってたみたいで」
 「ええ。私、本当はブラックコーヒー飲めないんですよ」
 「だから初めて会った時に私がブラックを飲んでて驚いていたと言うか」

 口もとをむずむずとさせながら光岡は恥ずかしそうに笑う。

 「苦い物がどうにも苦手で」
 「早く言って貰えたら良かったのに」
 「それじゃあ立つ瀬がないですよ」

 完璧に振る舞う撫子を前にしてブラックコーヒーが飲めないだなんて絶対に言えなかった光岡。今もよくよく見れば視線はグラスに釘付けになっている。

 
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