血でつながる恋がある〜この痛みごと、好きだと思った〜
1話 提供関係
「はい、おしまい。後はいつも通りな?」
右腕から注射器が抜かれ、すぐに脱脂綿で抑えてくる。私は手を伸ばして、彼の指とバトンタッチした。
彼――ゼアルがニンマリと笑う。
「いつも提供してくれてありがとな」
「人助けだと思えば……。そこまで嫌じゃないし」
そう答えるとゼアルは驚いたように目を開いた。
「そうなのか? てっきり渋々なのかと」
「正直、めんどくさいと思うことはある。でもそれだけなの」
ゼアルは相当な変わり者で、血液採集を趣味としている。
どうやら私は特殊な血液を持っているらしく、「研究したい」という名目で、こうして定期的に提供していた。
誰にも知られず、誰にも代われない。この関係が、少しだけ嫌いじゃなかった。
片付けをしているゼアルの背中を見ながら、私は無言で腕の押さえを続ける。少し滲んだ血が、綿にじわりと広がっていく。
特に話すこともないので、室内を見回した。
ここは地下室なので、地上よりも少し冷える。石造りの壁や床が余計に温度を下げているようにも感じた。
ふと、疑問が浮かんで、彼に尋ねてみる。
「ねぇ、ゼアル」
「ん?」
手を止めて振り向いた彼の赤い目が私を凝視する。
「どうしていつも地下室なの?」
「理由は色々あるが、まずは採取したての血液をすぐに保存できるように。あとは……短い時間とはいえ、採取中に来客があっても困るだろ?」
「た、確かに……。私も見られるの好きじゃないし」
ストンと腑に落ちた。私の顔を見て安心したのか、ゼアルが少しだけ微笑む。
「だろ? ただ、状況的にはあまりいいとは言えないからな。不安や心配を煽ってるんなら悪かった」
「気になっただけだから、大丈夫」
ゼアルはしばらく私を見つめていたが、ゆっくりと口を開いた。
「なぁ、リィス」
「な、何?」
いきなり名前を呼ばれて、少し声が上ずった。しかしゼアルは気に留めずに話を続ける。
「そろそろ"お返し"をさせてくれないか?」
「お返し?」
今度は明らかに声が裏返った。まさかそんな言葉が出てくるとは思わず、瞬きを繰り返す。
「そう。こっちは毎回、珍しい血をもらってるんだ。正直、研究者としては興奮が止まらない。でも、それだけじゃ俺が一方的に得してるだろ?」
「わ、私は気にしてないから……」
「リィスはいいかもしれないが、俺の気が済まない。だから、リィスが"得する番"があっても悪くないだろ?」
ゼアルの声は普段より少し低くて、甘さが混ざっていた。
「あの、本当に大丈夫だから……」
紛れもなく私の本音を伝える。しかしそれでも、ゼアルは納得のいっていない顔で私を見つめ返すだけだった。
なぜか恥ずかしくなってきて、下を向く。
視界が少し暗くなった。ゼアルはいつの間にか私のすぐそばに立っていたのだ。
石床を踏む音すらなかった気がして、少しだけ背筋が粟立つ。
「ど、どうしたの?」
「たとえば、触れられるとか、嬉しいと思ったことはあるか?」
「……何、それ」
質問の意味を測りかねて、思わず目を伏せる。すると、ゼアルの指先が私の顎先に触れ、軽く持ち上げた。
「顔、見せて。……冗談じゃないんだ」
赤い瞳が、射抜くように私を見ていた。
あれだけ距離があったはずなのに、今は鼻先が触れそうなほど近い。鼓動が不自然に速くなるのを、抑えられなかった。
「リィス。俺が欲しいのは、君の血だけじゃない」
そっと、唇が私の耳元へと近づく。
温かい吐息がかかって、思わず身を竦めた。
「……君自身を、知りたいんだ」
「わ、私自身を?」
咄嗟に身を引こうとする。でもまだ顎に手を添えられていて、それ以上は動けなかった。
「そう。俺はまだリィスが特別な血液の持ち主ってことだけしか知らない」
「それだけで、いいんじゃないの……?」
「最初は俺もその考えだった。でも、何度も提供してもらっている内に、他のことも知りたいと思うようになったんだ」
私が身を引こうとしていることに気づいたのか、ゼアルはソっと顎から手を離してくれた。でも、私の体は糊でくっつけられたように動かすことができない。
「他のことって……好きな食べ物とか?」
軽く返そうとしたのに、声が震えたのが自分でもわかった。
「それもある。でも俺が知りたいのは――君の、もっと奥にあるものだ」
短い時間に抽象的な言葉で言われて、首を捻る。ゼアルが何をしたいのか全くわからない。
ただ、1つ確かなのは、雰囲気が違うこと。
甘い声なのにどこか真剣で、見慣れている姿なのに胸がドキドキしてくる。
「そ、それは"お返し"になるの?」
恥ずかしいのを我慢しながら、ゼアルを見る。彼はハッとしたように目を見開いて、バツが悪そうに頬をかいた。
「いや、"お返し"にはならないな。今のは、また……俺が一方的に得しようとしてただけだ……」
「でも、私もゼアルのことを知りたいって思ったら、お返し"なんじゃない?」
「……たぶん、俺がしようとしていることで、君は得しないだろう」
ゼアルが視線をそらした。しかし眉間に皺が寄っていて、怒っているようにも見えるし、何かを我慢しているようにも見える。
「変な雰囲気にして悪かった。忘れてくれ」
ゼアルは早口に言うと、後片付けのために再び背を向ける。
背を向ける直前に見えた彼の表情は苦しそうだった。
「ゼアル……大丈夫?体調悪いの?」
そう尋ねずにはいられなかった。つい勢いで椅子から立ち上がり、ガタンと音を立ててしまう。
「まぁ……悪いのかもな……」
ゼアルはゆっくりと振り向くと、絞り出すように答えた。
「なら、私帰った方がいいよね?早く休んで――」
そこで言葉が止まった。気づけばゼアルがまた私の正面にいて、顔を覗き込んでいたからだ。
「ゼ、ゼアル……?」
「リィスが大丈夫なら、ここにいてほしい」
とても優しい声だった。しかし赤い目は揺れていて、背筋が寒くなる。
「もちろん、無理にとは言わない。嫌だとか怖いとか思ったのなら、帰ってもらっていい」
返答に困った。
正直、怖い。いつものゼアルとは何かが違う。
でも体調が悪そうな彼を放って帰る勇気はなかった。
「大丈夫。だから、ここにいる」
「リィス……」
ゼアルは呟くと、次の瞬間、私の右手を掴み、自分の胸元に触れさせた。服越しに彼の体温と鼓動が掌を通じて伝わってくる。
「ゼアルッ!?」
「なぁ、俺の鼓動、伝わってるか?」
ゼアルの声は震えていた。冗談ではなく、本気で何かを訴えかけている。
私は彼の胸に触れたまま、小さく頷いた。
「伝わってる。すごく……速い」
「そうか……」
彼の顔が少しだけ緩む。でもその直後、ふっと真剣な眼差しに戻った。
「リィス。俺、たぶん……もう我慢できない」
「……え?」
「血が欲しいとか、研究したいとか……そういうの、もう言い訳になってきた」
耳元で囁かれたその言葉に、胸がドクンと跳ねた。
私の血が、彼を引き寄せていたはずなのに。今、ゼアルの目には“私自身”が映っている気がした。
ゼアルは私の手を離すと、再びまっすぐ見つめてくる。
「でも、リィスが嫌なら、何もしない。だから、ちゃんと答えてくれ。
君は……俺を、どう思ってる?」
「ゼアルを……」
思わず彼を見つめる。私の返答が不安なのか、ゼアルは気まずそうに動かして、落ち着かない様子だ。
「最初、血を提供してほしいって言われた時は、とても変わってるなって思った」
「そうか……」
「で、でも、何回もここに来て提供している内に、私でも役に立ててるんだなって思えるようになって。だから、ゼアルには感謝してて……」
必死に言葉を繋げる。とにかくゼアルの不安そうな顔を見ていられなかった。
「俺のこと、嫌いか?」
「き、嫌いじゃないよ。でも、好きかと言われると、それも違う気がして……。と、友達みたいな……」
「友達、ね……」
そう呟いたゼアルの声はどこか残念そうだった。
でも、わずかに微笑むと話を続ける。
「嫌われていないのならよかった……。
さぁ、もう帰りな」
「え、でも、体調が……」
「少しずつ戻していくから大丈夫だ。今日は帰りなよ」
「じゃあ、また来るからね」
急かされているような気がして、軽い挨拶だけで地下室を後にする。
ゼアルの家から出た後も、私の胸はドキドキしたままだった。
右腕から注射器が抜かれ、すぐに脱脂綿で抑えてくる。私は手を伸ばして、彼の指とバトンタッチした。
彼――ゼアルがニンマリと笑う。
「いつも提供してくれてありがとな」
「人助けだと思えば……。そこまで嫌じゃないし」
そう答えるとゼアルは驚いたように目を開いた。
「そうなのか? てっきり渋々なのかと」
「正直、めんどくさいと思うことはある。でもそれだけなの」
ゼアルは相当な変わり者で、血液採集を趣味としている。
どうやら私は特殊な血液を持っているらしく、「研究したい」という名目で、こうして定期的に提供していた。
誰にも知られず、誰にも代われない。この関係が、少しだけ嫌いじゃなかった。
片付けをしているゼアルの背中を見ながら、私は無言で腕の押さえを続ける。少し滲んだ血が、綿にじわりと広がっていく。
特に話すこともないので、室内を見回した。
ここは地下室なので、地上よりも少し冷える。石造りの壁や床が余計に温度を下げているようにも感じた。
ふと、疑問が浮かんで、彼に尋ねてみる。
「ねぇ、ゼアル」
「ん?」
手を止めて振り向いた彼の赤い目が私を凝視する。
「どうしていつも地下室なの?」
「理由は色々あるが、まずは採取したての血液をすぐに保存できるように。あとは……短い時間とはいえ、採取中に来客があっても困るだろ?」
「た、確かに……。私も見られるの好きじゃないし」
ストンと腑に落ちた。私の顔を見て安心したのか、ゼアルが少しだけ微笑む。
「だろ? ただ、状況的にはあまりいいとは言えないからな。不安や心配を煽ってるんなら悪かった」
「気になっただけだから、大丈夫」
ゼアルはしばらく私を見つめていたが、ゆっくりと口を開いた。
「なぁ、リィス」
「な、何?」
いきなり名前を呼ばれて、少し声が上ずった。しかしゼアルは気に留めずに話を続ける。
「そろそろ"お返し"をさせてくれないか?」
「お返し?」
今度は明らかに声が裏返った。まさかそんな言葉が出てくるとは思わず、瞬きを繰り返す。
「そう。こっちは毎回、珍しい血をもらってるんだ。正直、研究者としては興奮が止まらない。でも、それだけじゃ俺が一方的に得してるだろ?」
「わ、私は気にしてないから……」
「リィスはいいかもしれないが、俺の気が済まない。だから、リィスが"得する番"があっても悪くないだろ?」
ゼアルの声は普段より少し低くて、甘さが混ざっていた。
「あの、本当に大丈夫だから……」
紛れもなく私の本音を伝える。しかしそれでも、ゼアルは納得のいっていない顔で私を見つめ返すだけだった。
なぜか恥ずかしくなってきて、下を向く。
視界が少し暗くなった。ゼアルはいつの間にか私のすぐそばに立っていたのだ。
石床を踏む音すらなかった気がして、少しだけ背筋が粟立つ。
「ど、どうしたの?」
「たとえば、触れられるとか、嬉しいと思ったことはあるか?」
「……何、それ」
質問の意味を測りかねて、思わず目を伏せる。すると、ゼアルの指先が私の顎先に触れ、軽く持ち上げた。
「顔、見せて。……冗談じゃないんだ」
赤い瞳が、射抜くように私を見ていた。
あれだけ距離があったはずなのに、今は鼻先が触れそうなほど近い。鼓動が不自然に速くなるのを、抑えられなかった。
「リィス。俺が欲しいのは、君の血だけじゃない」
そっと、唇が私の耳元へと近づく。
温かい吐息がかかって、思わず身を竦めた。
「……君自身を、知りたいんだ」
「わ、私自身を?」
咄嗟に身を引こうとする。でもまだ顎に手を添えられていて、それ以上は動けなかった。
「そう。俺はまだリィスが特別な血液の持ち主ってことだけしか知らない」
「それだけで、いいんじゃないの……?」
「最初は俺もその考えだった。でも、何度も提供してもらっている内に、他のことも知りたいと思うようになったんだ」
私が身を引こうとしていることに気づいたのか、ゼアルはソっと顎から手を離してくれた。でも、私の体は糊でくっつけられたように動かすことができない。
「他のことって……好きな食べ物とか?」
軽く返そうとしたのに、声が震えたのが自分でもわかった。
「それもある。でも俺が知りたいのは――君の、もっと奥にあるものだ」
短い時間に抽象的な言葉で言われて、首を捻る。ゼアルが何をしたいのか全くわからない。
ただ、1つ確かなのは、雰囲気が違うこと。
甘い声なのにどこか真剣で、見慣れている姿なのに胸がドキドキしてくる。
「そ、それは"お返し"になるの?」
恥ずかしいのを我慢しながら、ゼアルを見る。彼はハッとしたように目を見開いて、バツが悪そうに頬をかいた。
「いや、"お返し"にはならないな。今のは、また……俺が一方的に得しようとしてただけだ……」
「でも、私もゼアルのことを知りたいって思ったら、お返し"なんじゃない?」
「……たぶん、俺がしようとしていることで、君は得しないだろう」
ゼアルが視線をそらした。しかし眉間に皺が寄っていて、怒っているようにも見えるし、何かを我慢しているようにも見える。
「変な雰囲気にして悪かった。忘れてくれ」
ゼアルは早口に言うと、後片付けのために再び背を向ける。
背を向ける直前に見えた彼の表情は苦しそうだった。
「ゼアル……大丈夫?体調悪いの?」
そう尋ねずにはいられなかった。つい勢いで椅子から立ち上がり、ガタンと音を立ててしまう。
「まぁ……悪いのかもな……」
ゼアルはゆっくりと振り向くと、絞り出すように答えた。
「なら、私帰った方がいいよね?早く休んで――」
そこで言葉が止まった。気づけばゼアルがまた私の正面にいて、顔を覗き込んでいたからだ。
「ゼ、ゼアル……?」
「リィスが大丈夫なら、ここにいてほしい」
とても優しい声だった。しかし赤い目は揺れていて、背筋が寒くなる。
「もちろん、無理にとは言わない。嫌だとか怖いとか思ったのなら、帰ってもらっていい」
返答に困った。
正直、怖い。いつものゼアルとは何かが違う。
でも体調が悪そうな彼を放って帰る勇気はなかった。
「大丈夫。だから、ここにいる」
「リィス……」
ゼアルは呟くと、次の瞬間、私の右手を掴み、自分の胸元に触れさせた。服越しに彼の体温と鼓動が掌を通じて伝わってくる。
「ゼアルッ!?」
「なぁ、俺の鼓動、伝わってるか?」
ゼアルの声は震えていた。冗談ではなく、本気で何かを訴えかけている。
私は彼の胸に触れたまま、小さく頷いた。
「伝わってる。すごく……速い」
「そうか……」
彼の顔が少しだけ緩む。でもその直後、ふっと真剣な眼差しに戻った。
「リィス。俺、たぶん……もう我慢できない」
「……え?」
「血が欲しいとか、研究したいとか……そういうの、もう言い訳になってきた」
耳元で囁かれたその言葉に、胸がドクンと跳ねた。
私の血が、彼を引き寄せていたはずなのに。今、ゼアルの目には“私自身”が映っている気がした。
ゼアルは私の手を離すと、再びまっすぐ見つめてくる。
「でも、リィスが嫌なら、何もしない。だから、ちゃんと答えてくれ。
君は……俺を、どう思ってる?」
「ゼアルを……」
思わず彼を見つめる。私の返答が不安なのか、ゼアルは気まずそうに動かして、落ち着かない様子だ。
「最初、血を提供してほしいって言われた時は、とても変わってるなって思った」
「そうか……」
「で、でも、何回もここに来て提供している内に、私でも役に立ててるんだなって思えるようになって。だから、ゼアルには感謝してて……」
必死に言葉を繋げる。とにかくゼアルの不安そうな顔を見ていられなかった。
「俺のこと、嫌いか?」
「き、嫌いじゃないよ。でも、好きかと言われると、それも違う気がして……。と、友達みたいな……」
「友達、ね……」
そう呟いたゼアルの声はどこか残念そうだった。
でも、わずかに微笑むと話を続ける。
「嫌われていないのならよかった……。
さぁ、もう帰りな」
「え、でも、体調が……」
「少しずつ戻していくから大丈夫だ。今日は帰りなよ」
「じゃあ、また来るからね」
急かされているような気がして、軽い挨拶だけで地下室を後にする。
ゼアルの家から出た後も、私の胸はドキドキしたままだった。