規制されてしかるべき私達の

4.春のときめきクレープ②

 ——金曜日 朝の校門前 星見(ほしみ)凛虎(りんこ)


 私は必ず、ホームルームのぴったり一時間前に校門へ着くようにしている。
 部活動の朝練習にも(かぶ)らず、登校する生徒も少ない時間だからだ。
 それに生徒指導(せいとしどう)の先生にも余裕(よゆう)があって、指摘(してき)をしてもらいやすい時間帯でもあった。
 私は今日、どうしても特別指導(とくべつしどう)にしてもらいたかった。
 そうしてもらわないと、こんなに情緒(じょうちょ)の安定しない日は、とてもやり過ごせない。
 もうすぐ校門から、私の髪色に苦言(くげん)(てい)する声が、いつものように飛んでくる。
 そう思っていたのに、声をあげたのは私の方だった。

「頭、大丈夫ですか?」

 大きなガーゼを(ひたい)に貼った先生に(おどろ)き、思わず罵る(ののし)ような言葉が飛び出てしまった。

「お前が人のこと言えた頭かぁ⁉ 休み前よりも()金金(きんきん)じゃねえか‼」

 校門から、宗道(むねみち)先生がお返しとばかりに声を張り上げる。
 その大喝(だいかつ)()(くぐ)り、顔を(のぞ)き込むと、頬骨(ほおぼね)(あた)りにまでアザがあった。
 血気(けっき)(さか)んな四十代の体育教師らしく健康的に焼けた肌が、青黒く染まっている。

「……事故ですか? まさか、生徒にやられたんです?」
「あ、いや、……まぁ、三年生の奴が、ちょっとな。まぁ、色々と難しい時期だからな」

 宗道先生は、まごまごと誤魔化(ごまか)すように口を動かすと、急にカッと目を見開いた。

「そういう奴もいるんだから、あまり悪目立(わるめだ)ちするような髪色は(ひか)えなさい! 以上!」

 そう言って先生は一人(うなず)くと、私から目線を(はず)してしまった。

「えっ……、今日はそれだけで終わりですか?」

 (あせ)りはじめる私とは対照的(たいしょうてき)に、先生の(きび)しい表情は(やわ)らいでいく。


「ああ、通っていいぞ。華美(かび)過ぎる頭髪は禁止だが、その基準も曖昧(あいまい)だからな。……それに、金髪は駄目(だめ)だなんて差別的だ、と逆に批判(ひはん)されかねん時代でもあり」

 宗道先生は、思想を話し始めると長くなる。早く、特別指導にしてもらいたいのに。

「だが生まれつきと染髪(せんぱつ)とではワケが違うし、やはり目立つというのは大きなリスクであるわけで、俺は、生徒を危険から守るという最重要……、あ、おはようございます!」

 話し終えるのを待っているうちに、他の先生達が来てしまい、議論(ぎろん)が始まってしまった。
 グローバルな現代に()()いつつも道徳的な服装指導について、の議論が。
 慌てて私は、その意義深(いぎぶか)そうな談論(だんろん)の輪から、宗道先生を引っ張り出す。
 そして、横髪を耳に掛けて、精一杯の切実な目で(うった)え掛けた。

「宗道先生、服装チェック、お願いします」
「んお、なんだ、そんなに(にら)むな。……あぁ」

 私を見た先生が、(まゆ)を八の字にして、ため息を吐いた。
 (さっ)してくれたのだ。

「あー! ピアスをしているな! ピアスはダメだといつも言っているだろう! ピアスは化膿(かのう)裂傷(れっしょう)につながる危険があるから、完っ全に校則違反なんだぞお!」

 わざとらしいほどに大袈裟(おおげさ)な反応を周りの先生達へ(しめ)してから、宗道先生は渋々(しぶしぶ)といった様子で言葉を続けた。

「……まったく。特別指導だ! 昼休み、体育教官室に来るように」
 
 その言葉に、安堵(あんど)の息をつく。
 これで私は、安心して昼休みを過ごす事ができる。

「よかった。では、よろしくお願いします」
「よくない! 指導なんだぞ⁉ あと、お前は沙和菜(さわな)先生の一組だからな!」

 宗道先生の喝声(かっせい)に背中を押されながら、足早に教室へと向かう。
 廊下から二年一組を(のぞ)いてみると、思っていた通り、まだ誰も来ていなかった。
 安心して中へ入り、教卓に貼られていた席順表(せきじゅんひょう)を確認しながら、私は(いの)る。
 (ねが)わくば、窓際(まどぎわ)の一番後ろの席であって欲しい。
 可能性は高い。
 一学期の席順は、入口側から名前順で決まっていく。
 そして星見という苗字は、今までの学校生活で五回もその席に私を座らせてくれた実績(じっせき)があるのだ。

「星見……、星見……、あ、あ!」

 最後列(さいこうれつ)に自分の名前を見つけて、心が()()がった。……のだけれど、星見凛虎は窓側から二番目。
 本願(ほんがん)(となり)の席だった。
 がっかりしながら、(うら)めしげに自分の名前の後を指で追っていく。松井、松岡、松田、松村、松本……、松多いな。
 その松の群生林(ぐんせいりん)()えて、特等席(とくとうせき)を勝ち取った名前に、私の指先が辿(たど)り着いた。

和佳(わか)治正(はるまさ)……」

 その名前に大きく落胆(わくたん)する。
 ワ行は、ずるい。
 うちの学年には和田(わだ)さんも渡辺(わたなべ)さんもいない。
 つまり、どのクラスだとしても、高校三年間の一学期の特等席は、この和佳くんのものなのだ。
 心底(しんそこ)(うらや)ましい。出来る事なら、私も和佳さんになりたい。
 私は、とぼとぼと自分の席に向かい、憂鬱(ゆううつ)な気分のまま(かばん)の筆記用具を机の中に……、あ!

「クレープ……!」

 鞄の中のそれを見つけ、思わず、一人で歓喜(かんき)の声を上げてしまった。
 そうだった、忘れていた。今日の私にはクレープがあるんだ!
 (かげ)りつつあった気持ちに花が咲く。
 まだ時間にも余裕があるし、ゆっくりと堪能(たんのう)できそうだ。
 おしゃれ可愛い包装(ほうそう)(ひら)き、(はや)る気持ちを(おさ)えて、まずは目で味わう。
 (いちご)に掛けられたフルーツソースとアラザンが朝陽を浴びて、実に(きら)びやかだ。
 ついに、念願(ねんがん)(あこが)れを食べる事ができる。
 そう思うと、もう、我慢できない。

「いただきぁ」

 ちゃんと言い()える前に、もりっもりのクリームと苺に大きくかぶりついてしまった。
 瞬間的(しゅんかんてき)に、クレープ生地の優しい小麦の香りが、一気に広がってくる。
 生クリームたっぷりで濃厚(のうこう)なのに、苺とフルーツソースの酸味は爽やかで、まさに絶妙(ぜつみょう)だ。
 朝にピッタリのビタミンを、しっかりと感じられるのもとても嬉しい。
 しゃくしゃくと瑞々(みずみず)しい苺と、なめらかでとろとろのカスタードクリームを、もちもちの生地で包んでいて、口当たりも優しい。
 だけど、コーンパフやクラッシュナッツまで入っているから、カリコリ、ザクザクッと食感はバラエティに()んでいて()きが来ない。
 小気味(こきみ)良い音で、耳まで心地(ここち)良い。
 すごい、すごいな、クレープ。
 この感激(かんげき)は、豚とろに匹敵(ひってき)する。

「ん……! ん……!」

 喉が、身体が、勝手に喜んでしまう。
 なんとか歓声(かんせい)(こら)えるものの、足がパタパタと床を()むのを(おさ)えきれない。
 もっとゆっくりと味わいたいのに口が止まらず、あっという間に小さくなってしまう。
 名残(なごり)()し過ぎて、目を()じて味わう。
 味覚に集中するために、というよりは、気煩(きわずら)わしい教室にいるという事を少しでも忘れたかったから。





「……くてよかった」
 
 思わず、少し声に出た。
 昨日、ベランダから飛び降りなくてよかった、と。
 結局(けっきょく)いつも、私はこうして生きている。
 ()(ぐる)しさを、食べ物で緩和(かんわ)しながら生きている。
 所詮(しょせん)、私の苦しみなんて、お店で買えるお菓子やお弁当で誤魔化せてしまう程度(ていど)のものなんだ。
 安いものだな、と情けなく思う。
 それなのに最近の私は、その程度の苦しみでも、生きることをやめてしまいたくなる。
 ただ道を歩いているだけなのに、何故(なぜ)不意(ふい)に、もう限界だと感じて、立ち()くしてしまうことも増えてきた。
 私なんて、恵まれているほうなのに。
 私より辛い人のほうが、ずっと多いのに。
 そういうことは、ちゃんと自分でもわかっている。
 わかっているからこそ、どうして、こんなぬるま湯で自分が死に掛けているのかが、わからない。
 きっと、いつか本当に心が摩耗(まもう)しきって、食べ物の味も感じられなくなって、衝動的(しょうどうてき)に身体が動いてしまう日が来るまで、私は、この暗鬱(あんうつ)とした日々を咀嚼(そしゃく)し続

「そのクレープ、どこで買ったのかな?」
「ゔぁ⁉」

 ナッツのザクザク食感を()()けて、急に聞こえてきた声に、心臓が()ねる。
 目を()けて、その声のほうを()くと、いつの間にか、隣の席には男の子がいた。
 一番後ろで、一番窓側の席に。

「あ、急にごめん。クレープって、この(へん)になかなか無いからさ。いいなーって思って」

 私の欲した特等席に座って、彼は私を見ていた。
 クレープをいっぱいに頬張(ほおば)った私と同じくらい、パンパンに(ほほ)(ふく)らんだ男の子。
 和佳、治正くん……?





「もしかして、一番近くのコンビニかな? 凄く美味しそうだね」
「見ないえ‼」

 膨れた顔を見られるのが嫌で思わず叫んでしまう。ハッとした様子で彼が慌てだす。

「あ、ごめんごめん。美味しそうだったから、つい。……一番近くのコンビニかな?」
「話ひたくないの、分かんないッ⁉」

 私はつい、怒鳴(どな)ってしまった。
 また、きつい態度(たいど)で相手を拒絶(きょぜつ)してしまった。
 気を悪くさせただろうと思って彼の表情をうかがうと、彼は(いた)って(おだ)やかに微笑(ほほえ)んで、私にぎこちないウインクをしてきた。

「ごめんごめん。楽しんで」

 食べることを、楽しんで、と(うなが)す感性が少し独特(どくとく)だな、と思いつつも、彼を傷つけていないことに安堵(あんど)する。

「……一番近くのコンビニ」

 最後の一口を飲み込んでから、(つぶや)くように彼へそう伝えて、私は机に上半身を()せた。
 教室に人が来てしまったら、授業が始まるまで、私はもう机に()()すしかない。
 活気(かっき)づいていく騒音(そうおん)と、窮屈(きゅうくつ)な姿勢のせいで眠れもしないが、そうするしかないのだ。
 友達のいない私には、目のやり場なんて、教室のどこにもないのだから。
 スマートフォンをいじっていても、視界の(はし)団欒(だんらん)する皆が、私は気になってしまう。
 そこに馴染(なじ)めない自分の異質(いしつ)さが()()りになっていくようで、心はざわめき、かえって疎外感(そがいかん)が強まって、(つら)くなる。
 だから私は、机に伏せて目を閉じて、眠いふりをし続けるしかない。
 窓側の席を勝ち()ていたら、ただぼんやりと外を(なが)めていられたのにな……。
 そんなことを思っていると、私の隣の席に、わらわらと明るい声が集まってきた。

「和佳くん、おはよう」
「和佳、ナイスボディ!」
「治正、チョコあるぞ。食うだろ」

 特等席だけではなく、人気まで勝ち得ているらしい和佳くんが気になり、伏せたままこっそりと横目で(のぞ)き見る。
 (あらた)めてちゃんと見た和佳くんの印象(いんしょう)は、(もり)のクマさんだった。
 穏やかな目元と、端正(たんせい)な鼻と、きゅっと(むす)ばれた口元が、広めのフェイスラインの中心でバランス良く(ととの)っている。
 柔らかそうな白い頬に、ぷくぷくと膨らんだお腹。
 どことなく(かも)し出される安心感。
 愛されボディというのは、彼を(あらわ)す言葉なのかもしれない、とすら思えた。
 女子からはモテないけれど、男子からは圧倒的(あっとうてき)な人気を得るタイプだろう。
 それを立証(りっしょう)するように、和佳くんの周りには、大人しそうな男の子達が集まって、わやわやとしていた。
 笑いの(ため)(だれ)かを(とぼ)しめるような事もなく、強さを誇示(こじ)しあう事もなく、彼らはお味噌汁(みそしる)の好きな()について話し合っている。
 その穏やかな光景(こうけい)(なが)めていると、小さい頃に絵本で読んだ、森の集会を思い出した。
 優しいクマさんを中心に、ウサちゃんやシカくんが集まって、楽しく遊ぶ話だった。
 その絵本では、誰も仲間はずれにならない。
 トラも、ヘビも、はてはドラゴンすらも

「えっと、……いります?」

 キツネくんに似た男子から小さなチョコを差し出されて、(われ)に帰る。
 気がつくと私は、完全に顔を上げて、彼らに見入(みい)ってしまっていたのだ。
 不思議そうな顔で、おずおずとこちらの様子をうかがう彼らに、私は(あわ)てて笑顔を作って答えた。

「ッハ、いらない」

 (あん)(じょう)嘲笑(ちょうしょう)するような言い方になってしまった。
 彼らの表情が、シュンと(かげ)っていく。
 それを見ていられなくて、私は逃げるように、また上半身を机に伏せてしまった。

「あはは、……はは」

 私のせいで不必要にコンプレックスを刺激(しげき)されてしまった様子の彼らは、ただ(かわ)いた笑いを()(かえ)()っている。
 先ほどまでのお味噌汁談義(だんぎ)(かも)していた温かな空気は、完全に冷え切ってしまっていた。
 そこに助けを出すように予鈴(よれい)が鳴って、彼らはどこか安心したように、各々(おのおの)の席へと戻っていく。
 申し訳なさに胸を()め付けられながら、私は横目でそれを見送った。

 そして、ふと、昨晩の母の話を思い出す。
 草食動物は、強い肉食動物を繁栄(はんえい)させるために存在している、という話を。
 あの男子達は、可哀想(かわいそう)だけど草食動物側、食べられるために存在(そんざい)する側にカテゴライズされてしまうのだろう。
 そして、母は、真理(しんり)だとして、私にこう言ったのだ。
 安心して()らしていくには、捕食者(ほしょくしゃ)()り続けなくてはいけない、と。
 つまり、私が肉食動物として暮らす為には、あの優しそうな彼らを、(むさぼ)り食わなくてはいけない、というのだろうか?
 ……(かり)に、仮にそうだとしよう。
 さっき彼らは、一粒のチョコを私に差し出してくれた。
 だけど、強い捕食者で在り続けるためには、それだけではきっと足りない。
 なので、どうしたらもっと多くのチョコを(うば)えるか、と考えるべきだとする。
 彼らの困惑(こんわく)(なげ)きに胸を痛めていては、肉食獣である私は、いつか()えてしまう。
 そんな暮らしは、安心とは程遠(ほどとお)い。
 だから、罪悪感(ざいあくかん)なんて忘れるほどに、()(よろこ)びに鋭敏(えいびん)になって、(おぼ)れなくてはいけないのだ。
 ()(なみだ)すらも、勝利の美酒(びしゅ)として堪能(たんのう)するのだ。
 自分は奪われない様に再三(さいさん)の注意を(はら)いながら、反撃(はんげき)されないギリギリのラインを見定(みさだ)めて、より多くの弱者から搾取(さくしゅ)していくのが、やっぱり良いだろう。
 それが、私でも知っている世の権力者(けんりょくしゃ)達の常套(じょうとう)手段(しゅだん)であり、正攻法(せいこうほう)だから。
 そうして、私は、たくさんのチョコに(かこ)まれる。
 これでようやく、安心できる。
 (のぼ)りつめた高台から、悲しい顔の群衆(ぐんしゅう)見下(みお)ろして、私は……、安心して暮らせる?
 安心できるだろうか?
 絶対的な強さなんて、現実的じゃない。
 上には上がいる。多くを持つ強者は、より強い者達から(ねら)われる。
 チョコを増やせば増やすほどに、私を狙う強敵は増えていく。
 私は、より強い力を渇望(かつぼう)し続けなくてはいけなくなる。
 安心を求めて強くなったはずなのに、私は日に日に(おび)えて、どんどんと(かわ)いていく。
 だけど、私から奪われる人達は、もっと渇いていく。
 じゃあ、私はいつ、安心できるの?

 そんな渇きの中で、ずっと戦っているのが、私の母なのだ。

 昨晩は、部屋を出ていく母の背中が(にく)かった。
 なのに、今になれば(さみ)しく感じる。
 うちは、母子家庭にしては、類稀(たぐいまれ)なほど裕福(ゆうふく)だと思う。
 衣食に不自由はないし、セキュリティが万全の綺麗(きれい)なマンションで暮らせている。
 だけど、昔はそうじゃなかった。
 小学校の途中まで、うちは貧乏だったのだから。
 そこから母は、血の(にじ)むような努力の末に会社を(おこ)し、成功させた。
 間違いなく、母は多くの戦いを勝ち上がった実力者なのだと思う。
 だから草食動物の話だって、強い母親から未熟な娘への、純粋な教諭(きょうゆ)だったのかもしれない。
 だけど、その弱い娘は、(うなず)くことすらできなかった。
 疲れて帰る母を(いた)わることもできず、笑顔で送り出すこともせずに、その娘は、裕福さだけを享受(きょうじゅ)し続けている。

 ……ふいに、上着のポケットが小さく震えて、自責(じせき)の沼から顔を上げる。
 スマートフォンに、母からのメッセージが届いていた。
 今日は帰りが遅くなります、と。
 本当に母は多忙(たぼう)だ。
 なのに家に帰っても、まともな(いや)しや(くつろ)ぎはない。
 労わってくれる素直な娘もいない。
 ごめん、お母さん。
 (めん)()かえば出て来ない言葉を、胸の中だけで(とな)えて、わかった、とだけ返信した。

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