敵将に拾われた声なき令嬢、異国の屋敷で静かに愛されていく
*
セレバルとルヴェランの停戦合意が成立した日、王都の広場ではタウンクライヤーがベルを鳴らし、大声でその事実を庶民に知らせた。
長年の紛争が終わる。その喜びに活気付く庶民たちの声は、王都にあるカリスト邸で暮らすティナの耳にも届いていた。
ティナは、和平交渉での勝手な振る舞いに対する処罰を覚悟していたが、宮殿からの使者はなく、これまでと変わらない生活を送っていた。
街中が落ち着きを取り戻しつつあったある日、ティナは昨夜から降りしきる雪を窓辺からのぞいていた。
今年はいつもより雪が多い。街中が雪に埋もれ、冬支度に用意した薪が足りなくなるかもしれないと、いつにも増して、カタリーナはいらだっている。顔を合わせれば、何を言われるかわからない。だからティナは、このところずっと自室にこもり切りになっていた。
そんな折、乳母のマリスが息を切らしながら部屋へ駆け込んできた。
「お嬢様っ、先ほどルシアン閣下の馬車がまいりました。お嬢様に急ぎの用とのことで、こちらにいらっしゃると……」
そう報告する後ろから、あわただしい足音が聞こえてくる。
「私に……?」
「はい……。お嬢様にお会いになりたいと」
部屋の外の様子をうかがいながら、こそこそとドアを閉めるマリスを見て、何か良くないことが起きるのではと、ティナは不安になる。
「閣下は……、どのようなご様子でしたか?」
「それが……」
そばに歩み寄ってくるマリスが、小声で何かを言おうとしたとき、騒がしい足音がピタリと止まる。マリスと顔を見合わせた瞬間、静かにドアが開かれ、兵士を引き連れたルシアンが現れた。
「陛下のお言葉を伝える。フロレンティーナ・カリスト! 我が国に背信行為を行ったとして、国外追放を宣言するっ!」
威圧的なルシアンが、冷たい目でこちらを見下ろし、強い口調でティナに突きつける。
「国外……追放?」
思いもよらない制裁に、ティナはぼう然とする。
「ああ。絞首刑を免れただけ、幸いと思いなさい」
「なぜ、なぜですか? 和平交渉は成立したのですよね?」
「……そうです。あなたの望み通り、我が国の領土であるスレイの半分が、ルヴェランのものとなりました。あなたがあのようなことを言い出さなければ、ハインを始めとする部下たちが譲歩するよう求めることはなかったはずです」
「私に看過されたとおっしゃるのですか……?」
和平はセレバルの民がずっと望んでいたこと。かつては、同胞であったルヴェランとの争いを好まない兵士もいたはずだ。ティナひとりの力で成し遂げられるようなものではなかった。
「あなたは計画していたのではありませんか?」
ルシアンがゆっくりとティナの周りをぐるりと歩き始める。寄り添うマリスが、ティナを守るようにぎゅっと腕をつかんで離さないが、その手は震えている。
ティナはマリスを安心させようと、その手を握り返し、ルシアンを目で追う。
「私は何も計画など……」
「本当ですか? あの会合のあと、あなたが敵国であるラスフォード・エイルズと会っていたと証言する者がいます。ルヴェランと結託していたのではありませんか?」
「そんなはずはありません。私はあの人を知りませんでした。……本当に私は何も……」
ラスとはたまたま会っただけだった。ろくな会話も交わしていない。
「違うと申すか。ならば、なぜ、ルヴェランが有利になる提案をしたのですか。あなたは平等を尊ぶモンレヴァル一族の末裔のはず。そのあなたが、セレバルの望みを断ち切り、ルヴェランに有利な発言をしたことは、糾弾されてもおかしくない事実なのですよ」
「私はただ……、はやく平和が訪れるようにと……」
「あなたの言う平和は、ルヴェランの侵略を許すことでした。あなたはセレバルを裏切ったのです。それでも、誇り高きモンレヴァルの一族なのですかっ」
「……私は、本当に……本当に……」
平和の訪れをただただ願っていた。裏切ったつもりはなかった。
国外追放。敵国との内通。予期せぬ制裁と誤解に、ティナは首を左右に振りながら床に崩れ落ちる。
絶望する彼女をあざ笑うかのように、うすら笑みを浮かべるルシアンは、見下すようにぐいっと顔を近づけ、悪意ある声音でささやく。
「では、証を見せなさい。モンレヴァル一族ならば、サン・アルジャン金貨を持っているはずです。それを寄越すのならば、陛下も恩赦を与えるでしょう」
「サン・アルジャン金貨……」
ティナの頭の中に、一枚の金貨が思い浮かんだ。それは、母であるエレオノーラが、亡くなる前にくれたものだった。
彼女は首から下げていた金貨を胸もとから取り出し、表面に描かれた冠を被った男を指のひらでなでた。
『この方は、セルヴァランの初代国王陛下です。ティナのご先祖様ですよ。このメダルはサン・アルジャン金貨と言って、モンレヴァル一族しか所有していない大変貴重な硬貨です。……そう、あなたがモンレヴァル一族であるという証になる、とても重要なものなのです。これをあなたに授けます』
エレオノーラはその煌びやかなメダルを、ティナの首にかけた。ティナはキラキラ光るそのメダルの重要さをまだ知らない子どもだった。それを母が娘に授けるという意味すらも。
ティナはその金貨の美しさに見惚れ、愛する母からのプレゼントを無邪気に喜んだ。まさか、その日の夜に、エレオノーラが自室のベッドで眠るように息を引き取るとも知らずに。
『ティナ……。あなたは優しさを忘れない人でいなさい。あなたがあなたらしくあるために──これは、お守りよ』
と、エレオノーラはティナをそばに呼び、胸に下がるメダルに触れた。ゆっくりと閉じるエレオノーラのまぶたを眺めながら、ティナは力強くうなずいたのだった。
「金貨は……」
ティナは胸もとに手をあて、のどをつまらせた。返答に窮するティナを、不服そうにルシアンがねめつける。
「陛下には渡せぬと申すか?」
「あれは……、その……」
ティナは急速にのどがつまっていく感覚に襲われた。苦しい。息ができない。呼吸の仕方を忘れたみたいに、口をパクパクとさせる。言葉が何ひとつ出てこない。前にもあった、この感覚。ふたたび、声を失う。その恐怖に、全身が震えた。
「黙れば許されると思うか」
怒りを見せながら、ルシアンは床に座り込むティナから離れる。
ティナは床に両手をつき、声を吐き出そうとした。しかし、漏れるのはわずかな呼吸音だけだった。
そんな彼女を冷たい目で見下ろし、ルシアンは静かに言い放つ。
「……では、金貨は渡せぬと陛下に伝えましょう。明朝、ドレイザル行きの船が出ます。迎えの兵とともに荷をまとめ、静かに立ち去りなさい。その姿、二度と我が前に現さぬよう」
セレバルとルヴェランの停戦合意が成立した日、王都の広場ではタウンクライヤーがベルを鳴らし、大声でその事実を庶民に知らせた。
長年の紛争が終わる。その喜びに活気付く庶民たちの声は、王都にあるカリスト邸で暮らすティナの耳にも届いていた。
ティナは、和平交渉での勝手な振る舞いに対する処罰を覚悟していたが、宮殿からの使者はなく、これまでと変わらない生活を送っていた。
街中が落ち着きを取り戻しつつあったある日、ティナは昨夜から降りしきる雪を窓辺からのぞいていた。
今年はいつもより雪が多い。街中が雪に埋もれ、冬支度に用意した薪が足りなくなるかもしれないと、いつにも増して、カタリーナはいらだっている。顔を合わせれば、何を言われるかわからない。だからティナは、このところずっと自室にこもり切りになっていた。
そんな折、乳母のマリスが息を切らしながら部屋へ駆け込んできた。
「お嬢様っ、先ほどルシアン閣下の馬車がまいりました。お嬢様に急ぎの用とのことで、こちらにいらっしゃると……」
そう報告する後ろから、あわただしい足音が聞こえてくる。
「私に……?」
「はい……。お嬢様にお会いになりたいと」
部屋の外の様子をうかがいながら、こそこそとドアを閉めるマリスを見て、何か良くないことが起きるのではと、ティナは不安になる。
「閣下は……、どのようなご様子でしたか?」
「それが……」
そばに歩み寄ってくるマリスが、小声で何かを言おうとしたとき、騒がしい足音がピタリと止まる。マリスと顔を見合わせた瞬間、静かにドアが開かれ、兵士を引き連れたルシアンが現れた。
「陛下のお言葉を伝える。フロレンティーナ・カリスト! 我が国に背信行為を行ったとして、国外追放を宣言するっ!」
威圧的なルシアンが、冷たい目でこちらを見下ろし、強い口調でティナに突きつける。
「国外……追放?」
思いもよらない制裁に、ティナはぼう然とする。
「ああ。絞首刑を免れただけ、幸いと思いなさい」
「なぜ、なぜですか? 和平交渉は成立したのですよね?」
「……そうです。あなたの望み通り、我が国の領土であるスレイの半分が、ルヴェランのものとなりました。あなたがあのようなことを言い出さなければ、ハインを始めとする部下たちが譲歩するよう求めることはなかったはずです」
「私に看過されたとおっしゃるのですか……?」
和平はセレバルの民がずっと望んでいたこと。かつては、同胞であったルヴェランとの争いを好まない兵士もいたはずだ。ティナひとりの力で成し遂げられるようなものではなかった。
「あなたは計画していたのではありませんか?」
ルシアンがゆっくりとティナの周りをぐるりと歩き始める。寄り添うマリスが、ティナを守るようにぎゅっと腕をつかんで離さないが、その手は震えている。
ティナはマリスを安心させようと、その手を握り返し、ルシアンを目で追う。
「私は何も計画など……」
「本当ですか? あの会合のあと、あなたが敵国であるラスフォード・エイルズと会っていたと証言する者がいます。ルヴェランと結託していたのではありませんか?」
「そんなはずはありません。私はあの人を知りませんでした。……本当に私は何も……」
ラスとはたまたま会っただけだった。ろくな会話も交わしていない。
「違うと申すか。ならば、なぜ、ルヴェランが有利になる提案をしたのですか。あなたは平等を尊ぶモンレヴァル一族の末裔のはず。そのあなたが、セレバルの望みを断ち切り、ルヴェランに有利な発言をしたことは、糾弾されてもおかしくない事実なのですよ」
「私はただ……、はやく平和が訪れるようにと……」
「あなたの言う平和は、ルヴェランの侵略を許すことでした。あなたはセレバルを裏切ったのです。それでも、誇り高きモンレヴァルの一族なのですかっ」
「……私は、本当に……本当に……」
平和の訪れをただただ願っていた。裏切ったつもりはなかった。
国外追放。敵国との内通。予期せぬ制裁と誤解に、ティナは首を左右に振りながら床に崩れ落ちる。
絶望する彼女をあざ笑うかのように、うすら笑みを浮かべるルシアンは、見下すようにぐいっと顔を近づけ、悪意ある声音でささやく。
「では、証を見せなさい。モンレヴァル一族ならば、サン・アルジャン金貨を持っているはずです。それを寄越すのならば、陛下も恩赦を与えるでしょう」
「サン・アルジャン金貨……」
ティナの頭の中に、一枚の金貨が思い浮かんだ。それは、母であるエレオノーラが、亡くなる前にくれたものだった。
彼女は首から下げていた金貨を胸もとから取り出し、表面に描かれた冠を被った男を指のひらでなでた。
『この方は、セルヴァランの初代国王陛下です。ティナのご先祖様ですよ。このメダルはサン・アルジャン金貨と言って、モンレヴァル一族しか所有していない大変貴重な硬貨です。……そう、あなたがモンレヴァル一族であるという証になる、とても重要なものなのです。これをあなたに授けます』
エレオノーラはその煌びやかなメダルを、ティナの首にかけた。ティナはキラキラ光るそのメダルの重要さをまだ知らない子どもだった。それを母が娘に授けるという意味すらも。
ティナはその金貨の美しさに見惚れ、愛する母からのプレゼントを無邪気に喜んだ。まさか、その日の夜に、エレオノーラが自室のベッドで眠るように息を引き取るとも知らずに。
『ティナ……。あなたは優しさを忘れない人でいなさい。あなたがあなたらしくあるために──これは、お守りよ』
と、エレオノーラはティナをそばに呼び、胸に下がるメダルに触れた。ゆっくりと閉じるエレオノーラのまぶたを眺めながら、ティナは力強くうなずいたのだった。
「金貨は……」
ティナは胸もとに手をあて、のどをつまらせた。返答に窮するティナを、不服そうにルシアンがねめつける。
「陛下には渡せぬと申すか?」
「あれは……、その……」
ティナは急速にのどがつまっていく感覚に襲われた。苦しい。息ができない。呼吸の仕方を忘れたみたいに、口をパクパクとさせる。言葉が何ひとつ出てこない。前にもあった、この感覚。ふたたび、声を失う。その恐怖に、全身が震えた。
「黙れば許されると思うか」
怒りを見せながら、ルシアンは床に座り込むティナから離れる。
ティナは床に両手をつき、声を吐き出そうとした。しかし、漏れるのはわずかな呼吸音だけだった。
そんな彼女を冷たい目で見下ろし、ルシアンは静かに言い放つ。
「……では、金貨は渡せぬと陛下に伝えましょう。明朝、ドレイザル行きの船が出ます。迎えの兵とともに荷をまとめ、静かに立ち去りなさい。その姿、二度と我が前に現さぬよう」