敵将に拾われた声なき令嬢、異国の屋敷で静かに愛されていく
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エイルズ様へ
このたびは、私のような者をお救いくださり、屋敷に迎え入れてくださいましたこと、心より感謝申し上げます。
本来であれば、直接お伝えすべきところ、言葉を持たぬ身ゆえ、筆に頼るほかございません。なにとぞお許しくださいませ。
あのとき、関所で貴方様がいらっしゃらなければ、私は今ごろどうなっていたかわかりません。貴方様のなされたことは、私にとってどれほどの救いだったことでしょう。
ある事情から、私は祖国より身を退くよう命じられ、意に沿わぬことと、屋敷を逃げ出し……とっさにルヴェラン行きを願った次第でございます。
いまだ気持ちの整理がつかず、つたない文となりましたが、こうして静かに過ごさせていただけることが、何よりの安らぎです。
心からの感謝を込めて。
フロレンティーナ・カリスト
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昨日までの雪が嘘のようにやみ、窓から差し込む柔らかな陽光が、テーブルを照らす穏やかな朝。
マギーが朝食の給仕をする横で、ティナがしたためた一通の手紙に目を通したラスは、眉をわずかに動かす。
マギーに頼んで用意してもらった質のいい羊皮紙と黒インク、真っ白な羽ペンで書いた、ラスへの手紙。マギーに渡してもらおうと思っていた矢先、ラスから朝食をともにしたいとの申し出があり、ティナの部屋で食事をしている。
応接室には、ティナとラス、マギーの三人だけだった。気兼ねなく話せるよう、ほかの使用人をラスが下がらせたからだった。
ラスは筆談で会話ができるよう、隣に座っていた。手紙を丁寧に折りたたむと、それを胸もとへ差し込みながら尋ねてくる。
「……これは、ヴェルナード国王の命令という理解でいいか?」
手紙は見なかったことにして、ティナを放り出すこともできたのに、そうはしなかったラスの表情を用心深く眺めながら、ティナはゆっくりとうなずく。
ラスは気むずかしそうに唇を歪めると、椅子に身を預け、低い声で言葉を紡ぐ。
「理由を、聞いてもいいか?」
ティナはひざの上に乗せたボードに、ためらいがちに炭筆を走らせる。
『陛下は和平交渉の決裂を望んでいました。私はそれに逆らってしまったのです』
それを見たラスは目を細め、静かに息を吐く。
「やはり、そうか。……係争地であるスレイには、かつてセルヴァランの王城があった。スレイは覇王の玉座と称され、あの地を制する者が大陸を掌握するとまで言われていた。そこを共同統治にするなど、国王にとっては屈辱的な選択だっただろう。あなたが国を危うくする者とみなされたのも……わからなくはない」
和平交渉でのティナの発言を思い出したのか、ラスはしかめっ面をする。
『陛下は……私をドレイザルに行かせるつもりなのです』
「ドレイザル……?」
『ご存知ありませんか?』
「あの僻地を知らないものはいない。深い雪に覆われ、まともな作物も育たない不毛の地だ。そこへ、あなたのような人を行かせるなど、死を宣告するも同じ」
やはり、騎士団長であるラスさえも警戒する土地なのだ。ティナは身震いした。もし、マリスが逃してくれなければ、今ごろはドレイザル行きの船に乗っていただろう。
しかし……、マリスは無事だろうか。ティナを逃したことを知ったら、ルシアンは容赦しないだろう。必ず、すぐに問い詰めるはず──。
ティナが思い余ってテーブルの上に乗せたボードに急いで文字を書くと、ラスが読み上げる。
「マリスをここへ呼べるか……とは?」
ティナは真剣なまなざしでうなずき、付け足す。
『私を逃してくれた乳母です。カリスト邸に残っています』
ラスは事情をすぐさま察したのか、間髪入れず、頭をひと振りする。
「それは無理だ。今ごろ騒ぎになっているであろうカリスト邸から連れ出すことは難しい」
『マリスの様子を知ることは?』
ラスは眉間にしわを寄せると、うなり声を漏らして押し黙った。かなり、難しいのだろう。彼を困らせてしまったことだけはわかる。
ティナはすぐにボードを指でこすると、『ごめんなさい』と書いた。ハッとしたようにラスが前かがみになる。
「あやまる必要はない」
『でも、あなた様を巻き込んでしまいました』
胸の奥がじわりと痛む。助けてもらうことにばかり気を取られ、ラスがこうむる迷惑まで考えられていなかった。
ティナがうつむくと、ラスは彼女の手を取り、指についた炭を落とすように、水をつけて湿らせた布でぬぐう。
「ラスフォードだ……」
絞り出すような声だった。他人行儀に『あなた様』と呼んだことに不快感を示すような……、けれど、なぜだか気弱な。そして、困惑するティナに気づくと、わざとらしく咳払いし、生真面目な表情でワイングラスを差し出す。
「あなたはルヴェランにとって、和平交渉に尽力した英雄だ。あなたの言葉がなければ、今なお紛争は続いていただろう。ルヴェランがあなたを保護するのは当然。乳母の件はいずれ、なんとかしよう。今は耐えてくれるだろうか?」
耐えるだなんて、何も。むしろ、ラスの方が苦しい立場に立たされてはいないだろうか。保護は当然だと簡単に言うけれど、ゲレールがどんな態度を見せたか、ティナはまだ何も聞いていない。
もどかしい。言葉を紡ぐより先に、一歩も二歩も彼は先へ進む。だから、手が汚れないようにと、マギーが炭筆に布を巻いて渡してくれたときには、目をそらされてしまっていた。
「食事を続けよう」
ラスは、歯がゆい表情のティナが映り込むグラスを傾けると、この話はいったんやめようとばかりに、赤い液体をグッとのどに流し込んだ。
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エイルズ様へ
このたびは、私のような者をお救いくださり、屋敷に迎え入れてくださいましたこと、心より感謝申し上げます。
本来であれば、直接お伝えすべきところ、言葉を持たぬ身ゆえ、筆に頼るほかございません。なにとぞお許しくださいませ。
あのとき、関所で貴方様がいらっしゃらなければ、私は今ごろどうなっていたかわかりません。貴方様のなされたことは、私にとってどれほどの救いだったことでしょう。
ある事情から、私は祖国より身を退くよう命じられ、意に沿わぬことと、屋敷を逃げ出し……とっさにルヴェラン行きを願った次第でございます。
いまだ気持ちの整理がつかず、つたない文となりましたが、こうして静かに過ごさせていただけることが、何よりの安らぎです。
心からの感謝を込めて。
フロレンティーナ・カリスト
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昨日までの雪が嘘のようにやみ、窓から差し込む柔らかな陽光が、テーブルを照らす穏やかな朝。
マギーが朝食の給仕をする横で、ティナがしたためた一通の手紙に目を通したラスは、眉をわずかに動かす。
マギーに頼んで用意してもらった質のいい羊皮紙と黒インク、真っ白な羽ペンで書いた、ラスへの手紙。マギーに渡してもらおうと思っていた矢先、ラスから朝食をともにしたいとの申し出があり、ティナの部屋で食事をしている。
応接室には、ティナとラス、マギーの三人だけだった。気兼ねなく話せるよう、ほかの使用人をラスが下がらせたからだった。
ラスは筆談で会話ができるよう、隣に座っていた。手紙を丁寧に折りたたむと、それを胸もとへ差し込みながら尋ねてくる。
「……これは、ヴェルナード国王の命令という理解でいいか?」
手紙は見なかったことにして、ティナを放り出すこともできたのに、そうはしなかったラスの表情を用心深く眺めながら、ティナはゆっくりとうなずく。
ラスは気むずかしそうに唇を歪めると、椅子に身を預け、低い声で言葉を紡ぐ。
「理由を、聞いてもいいか?」
ティナはひざの上に乗せたボードに、ためらいがちに炭筆を走らせる。
『陛下は和平交渉の決裂を望んでいました。私はそれに逆らってしまったのです』
それを見たラスは目を細め、静かに息を吐く。
「やはり、そうか。……係争地であるスレイには、かつてセルヴァランの王城があった。スレイは覇王の玉座と称され、あの地を制する者が大陸を掌握するとまで言われていた。そこを共同統治にするなど、国王にとっては屈辱的な選択だっただろう。あなたが国を危うくする者とみなされたのも……わからなくはない」
和平交渉でのティナの発言を思い出したのか、ラスはしかめっ面をする。
『陛下は……私をドレイザルに行かせるつもりなのです』
「ドレイザル……?」
『ご存知ありませんか?』
「あの僻地を知らないものはいない。深い雪に覆われ、まともな作物も育たない不毛の地だ。そこへ、あなたのような人を行かせるなど、死を宣告するも同じ」
やはり、騎士団長であるラスさえも警戒する土地なのだ。ティナは身震いした。もし、マリスが逃してくれなければ、今ごろはドレイザル行きの船に乗っていただろう。
しかし……、マリスは無事だろうか。ティナを逃したことを知ったら、ルシアンは容赦しないだろう。必ず、すぐに問い詰めるはず──。
ティナが思い余ってテーブルの上に乗せたボードに急いで文字を書くと、ラスが読み上げる。
「マリスをここへ呼べるか……とは?」
ティナは真剣なまなざしでうなずき、付け足す。
『私を逃してくれた乳母です。カリスト邸に残っています』
ラスは事情をすぐさま察したのか、間髪入れず、頭をひと振りする。
「それは無理だ。今ごろ騒ぎになっているであろうカリスト邸から連れ出すことは難しい」
『マリスの様子を知ることは?』
ラスは眉間にしわを寄せると、うなり声を漏らして押し黙った。かなり、難しいのだろう。彼を困らせてしまったことだけはわかる。
ティナはすぐにボードを指でこすると、『ごめんなさい』と書いた。ハッとしたようにラスが前かがみになる。
「あやまる必要はない」
『でも、あなた様を巻き込んでしまいました』
胸の奥がじわりと痛む。助けてもらうことにばかり気を取られ、ラスがこうむる迷惑まで考えられていなかった。
ティナがうつむくと、ラスは彼女の手を取り、指についた炭を落とすように、水をつけて湿らせた布でぬぐう。
「ラスフォードだ……」
絞り出すような声だった。他人行儀に『あなた様』と呼んだことに不快感を示すような……、けれど、なぜだか気弱な。そして、困惑するティナに気づくと、わざとらしく咳払いし、生真面目な表情でワイングラスを差し出す。
「あなたはルヴェランにとって、和平交渉に尽力した英雄だ。あなたの言葉がなければ、今なお紛争は続いていただろう。ルヴェランがあなたを保護するのは当然。乳母の件はいずれ、なんとかしよう。今は耐えてくれるだろうか?」
耐えるだなんて、何も。むしろ、ラスの方が苦しい立場に立たされてはいないだろうか。保護は当然だと簡単に言うけれど、ゲレールがどんな態度を見せたか、ティナはまだ何も聞いていない。
もどかしい。言葉を紡ぐより先に、一歩も二歩も彼は先へ進む。だから、手が汚れないようにと、マギーが炭筆に布を巻いて渡してくれたときには、目をそらされてしまっていた。
「食事を続けよう」
ラスは、歯がゆい表情のティナが映り込むグラスを傾けると、この話はいったんやめようとばかりに、赤い液体をグッとのどに流し込んだ。