敵将に拾われた声なき令嬢、異国の屋敷で静かに愛されていく
ラスとの食事は穏やかだった。
セレバルとルヴェランの食文化はほとんど変わらないが、口に合いそうなものを選んでくれたのかもしれない。セレバルの貴族が毎朝必ず飲む、はちみつ入りのフルーツティーに、ドライフルーツを練り込んだ贅沢なパン、羊肉のソテーなど……ティナが少しずつ口にするのを、ラスはワインを傾けながら静かにうかがっている。
監視されているようで、ティナはなんだか落ち着かない気持ちになりながらも、ひと口ひと口、丁寧に味わう。
ほんの少しの粗相も許さないカタリーナの注視に比べたら、彼はあまり出会うことのできないモンレヴァルの娘を珍しげに見ているだけのような気もする。この見た目で命拾いするだろう。マリスの言葉が胸に残る。
「もういいのか?」
ナプキンを置き、背筋を伸ばすとラスが尋ねてくる。小さくうなずくと、彼はマギーに食事をさげるように言う。
『とてもおいしかったです』
ボードに書いて、ラスに見せる。おいしいものを振る舞うのは当然とばかりに彼はうなずくと、ボードの欠けた縁が気になるようで、太い指で何度もこする。
(豪快そうに見えて、細かなところが気になる繊細な方なのかしら)
マリスとの筆談のためだけに、長年使っていたボード。お世辞にも綺麗とは言いがたい。命からがら逃げ出してきたときは気にもしなかったが、ラスの用意した豪華な客室の中ではみすぼらしく見える。
「新しいものを用意しようか?」
ティナが首をかしげると、ラスはボードを持ち上げ、ぐるりと回して裏側も眺める。
「これはかなり使い込まれているな。年月を重ねたであろう風合いは、さすが、高級品のチーク材というところか。ルヴェランでもチークは南方から輸入していて、手に入らないことはない。早速、商人を呼んで……」
ラスが一方的に話すから、ティナは彼の袖をほんの少し引っ張る。
「どうした?」
ティナは首を振り、ボードを返してもらうと、『このままで』と書き込んだ。
ラスにはくたびれて見えるかもしれないが、これは、声を失ったティナを励まそうと、マリスが王都の家具屋で選んでくれたものだった。欠けた部分には、繊細な蝶の彫り物があった。床に落としたときに割れてしまって、新しいものがほしいと思ったときもあったが、今はマリスとの唯一のつながりとして手放したくない思いの方が強かった。
「……そうだな。和平交渉の際のあなたは大変立派であった。あのときのように話せるようになれば、必要のないものだ。わざわざ新しくしようと提案したのは、配慮が足りなかった」
ラスは自身を責めるような目をした。立派な騎士である彼に、このような表情をさせてしまって、ティナの心も痛んだ。そういう意味ではないのに、思いがすれ違うのは、自身が話せないからだ。そう思うだけで、ますますのどが詰まった。
「何か……聞いておきたいことはないか? 俺はそろそろ、出かけねばならない」
うつむいていると、ラスが気づまりそうに話をそらす。
『……どちらまで?』
「訓練だ。騎士団員は皆、ゲレール候の管理下にある騎士団本部で暮らしていて、毎日、隣接する練習場で訓練を重ねているんだ」
どうやら、騎士団員の中でも、ラスだけは自身の屋敷から騎士団本部へ通っているようだ。団長とはいえ、ラスは屋敷が与えられている。彼だけがゲレールに特別扱いされているような気がするのは、気のせいだろうか。
「特になければ行くが、いいか?」
腰を浮かしかけるラスに、ティナは一つだけと指で示して、炭筆に力を込める。
『なぜ、あのとき、私を探しに来れたのですか?』
助けてもらっておいて、ラスを疑うわけではないが、あまりにも都合が良すぎた。実はセレバル国王やルシアンとつながっていた……などということはないだろうと思いつつも、不安を解消したくて尋ねた。
すると、ラスは急に不機嫌そうに目をそらした。やはり、何かあるのだろうか。ティナが屋敷から逃げ出すとわかっていて、待ち伏せしていたのか……いや、そんなはずはない。あれは、マリスが唐突に思いついたことだ。
じゃあ、マリスが仕組んで……? などと、途方もない想像へと思いが膨らんでいくのを抑え切れないでいると、ラスがぼそりとつぶやく。
「うわさを聞いたのだ。それだけだ」