敵将に拾われた声なき令嬢、異国の屋敷で静かに愛されていく
広場を通り過ぎると、羊皮紙の店はすぐ目の前だった。金の旗を掲げた、羊皮紙と羽ペンの専門店で、柔和な笑顔の老人が営んでいた。
いつもは店主の息子が商人としてラスの屋敷へ羊皮紙を運んでくれているそうだ。それならばと、ティナは静かにフードをはずす。
モンレヴァル特有の薄紫の瞳に気づいたのだろう店主は、少し驚いたように目を細める。しかし、ティナの容姿に言及することはなく、彼はいくつかの羊皮紙をカウンターの上に並べていく。
「いろんな種類があるんですね」
マギーが、ティナの胸のうちを読んだかのような感心の声をあげる。
「特別なお客さまにのみ、お見せしているんですよ」
店主は微笑みながら、そう答える。それはまぎれもなく、ティナが高貴な客人だと知っているからこその対応。粗雑に扱われてきたカリスト家では得られなかった心づかいに、ラスのおかげだろうと、ティナはうれしくなった。
「ティナ様、どうぞ」
マギーに促されて、ティナは一枚ずつ眺めていく。真っ白で厚みのあるものから、薄くてクリーム色のもの、色ムラのある重厚なものまで、さまざま──。ティナはふと一枚の羊皮紙に視線を落とす。
「そちらは最近、貴族の間で話題の羊皮紙なんですよ。真っ白でとても美しいでしょう? どうぞ、お手にとってご覧ください」
店主の説明に、ティナはゆっくりうなずき、手を伸ばす。それは純白で、とても薄い。指先に吸いつくような滑らかさに驚いていると、マギーが「あっ」と声をあげる。
不思議そうに彼女を見やると、マギーは両手のひらを胸の前で結び、夢見がちなまなざしをしている。
「私、知ってます。大変貴重な羊皮紙があるって。その羊皮紙で恋文を書くと恋が実るのだとか。もしかして……」
「はい。おうわさのお品でございます」
ティナは純白の羊皮紙をじっくりと眺める。
(恋が叶う……?)
父のレオニスも、母のエレオノーラに恋文を書いたのだろうか。愛した人と結婚できるなら、どれほど幸せだろう。声を失い、結婚はあきらめていたけれど、本当にこの羊皮紙があれば、恋は実るのだろうか……。
期待が胸をかすめたが、すぐに羊皮紙をカウンターの上へ戻す。
(恋なんて……きっとできないわ)
声を失っているどころか、一国の王の怒りを買い、追われている娘と結婚したい青年など絶対現れないだろう。
「ティナ様、どちらをお求めになりますか?」
目を輝かせて尋ねるマギーに、ティナは『いつもので』と書いたボードを見せる。
「かしこまりました。では、いつもの羊皮紙を十枚ほどと……、せっかくですから、こちらを買っていかれますか?」
純白の羊皮紙を指し示すマギーに、首を横に振ってみせると、彼女は残念そうにする。
「そうですか……? 常にあるものではないと思いますから、一枚だけでも」
ティナがうなずかないでいると、店主が口を開く。
「いつか想いを届ける日が来ることを願って、お求めになる方が多いですよ。お守りのようなものとして、そばに置かれるのです」
「だそうですよ、ティナ様。いただいていきましょうよ」
やけに勧めてくるマギーには、何かしらの思いがあるのだろうか。
『マギーは使いたい方がいるの?』
「えっ……、いやですよ、ティナ様。マギーはティナ様のお幸せを願いたいんです」
『私の?』
「はい。買いましょう! 後悔しないように」
後悔はしないだろうと思ったが、熱心なマギーに負けて、ティナは仕方なくうなずく。おかしそうにこちらのやりとりを眺めていた店主は、買うと決まるや深々とあたまを下げる。
「本日中にお屋敷までお運びいたします。お待ちくださいますよう」
「お願いしますね。それではティナ様、次のお店へまいりましょう」
ティナはフードをかぶり直すと、マギーが開けてくれる扉を出て、店を後にする。ふたたび、マギーと並んで石畳の道を歩いていくうちに、どこからか漂う、鼻をくすぐるバターの香ばしい匂いがふたりの足を止めさせた。
「パン屋はあちらですよ」
マギーの指し示す先に、石造りの店がある。窓の内側には焼きたてのパンが並ぶ木製の棚が見える。
その窓の下に、ひとりの子どもが立っていた。ぼさぼさの茶色い髪の、五つか六つほどの小さな女の子。パンが並ぶガラス窓の向こうを、じっと見上げている。
(……お腹、すいてるのかしら)
ティナがそう思ったとき、店の横手にある路地から少年が駆け出てくる。年のころは十二、三だろうか。やせて小柄だが、腕には細長い板材の束を抱えている。木くずのついた作業着姿の少年は、辺りをきょろきょろと見まわし、少女を見つけると素早く駆け寄り、手を引いた。
「ナナ……、行こう」
途端、少女がぶんぶんとあたまを左右に振る。
「……にいちゃん、いやだっ」
「ナナ、わがまま言ったらだめだよ」
困り顔で、少年はちらちらとこちらを見る。警戒心を隠さないままの目が、落ち着きなく揺れている。
(ご両親は近くにいないのかしら……)
ティナが心配したとき、マギーがふたりに向かって歩いていく。
「パン、買いに来たの?」
「違うんです。ごめんなさい。買うつもりはなくて……見てただけです」
そう言ってうつむいた少年は、ひどくおびえているように見える。
「……お仕事してるの?」
マギーは少年が抱える木材に目をとめる。
「配達してて……。時間までに届けないと、親方に……叱られるんだ」
少年はたどたどしく答えると、ナナの手をしっかり握り、軽く頭をさげてから走り出す。ナナもまた、名残惜しそうに振り返りながらも、引きずられるようにして駆けていった。
いつもは店主の息子が商人としてラスの屋敷へ羊皮紙を運んでくれているそうだ。それならばと、ティナは静かにフードをはずす。
モンレヴァル特有の薄紫の瞳に気づいたのだろう店主は、少し驚いたように目を細める。しかし、ティナの容姿に言及することはなく、彼はいくつかの羊皮紙をカウンターの上に並べていく。
「いろんな種類があるんですね」
マギーが、ティナの胸のうちを読んだかのような感心の声をあげる。
「特別なお客さまにのみ、お見せしているんですよ」
店主は微笑みながら、そう答える。それはまぎれもなく、ティナが高貴な客人だと知っているからこその対応。粗雑に扱われてきたカリスト家では得られなかった心づかいに、ラスのおかげだろうと、ティナはうれしくなった。
「ティナ様、どうぞ」
マギーに促されて、ティナは一枚ずつ眺めていく。真っ白で厚みのあるものから、薄くてクリーム色のもの、色ムラのある重厚なものまで、さまざま──。ティナはふと一枚の羊皮紙に視線を落とす。
「そちらは最近、貴族の間で話題の羊皮紙なんですよ。真っ白でとても美しいでしょう? どうぞ、お手にとってご覧ください」
店主の説明に、ティナはゆっくりうなずき、手を伸ばす。それは純白で、とても薄い。指先に吸いつくような滑らかさに驚いていると、マギーが「あっ」と声をあげる。
不思議そうに彼女を見やると、マギーは両手のひらを胸の前で結び、夢見がちなまなざしをしている。
「私、知ってます。大変貴重な羊皮紙があるって。その羊皮紙で恋文を書くと恋が実るのだとか。もしかして……」
「はい。おうわさのお品でございます」
ティナは純白の羊皮紙をじっくりと眺める。
(恋が叶う……?)
父のレオニスも、母のエレオノーラに恋文を書いたのだろうか。愛した人と結婚できるなら、どれほど幸せだろう。声を失い、結婚はあきらめていたけれど、本当にこの羊皮紙があれば、恋は実るのだろうか……。
期待が胸をかすめたが、すぐに羊皮紙をカウンターの上へ戻す。
(恋なんて……きっとできないわ)
声を失っているどころか、一国の王の怒りを買い、追われている娘と結婚したい青年など絶対現れないだろう。
「ティナ様、どちらをお求めになりますか?」
目を輝かせて尋ねるマギーに、ティナは『いつもので』と書いたボードを見せる。
「かしこまりました。では、いつもの羊皮紙を十枚ほどと……、せっかくですから、こちらを買っていかれますか?」
純白の羊皮紙を指し示すマギーに、首を横に振ってみせると、彼女は残念そうにする。
「そうですか……? 常にあるものではないと思いますから、一枚だけでも」
ティナがうなずかないでいると、店主が口を開く。
「いつか想いを届ける日が来ることを願って、お求めになる方が多いですよ。お守りのようなものとして、そばに置かれるのです」
「だそうですよ、ティナ様。いただいていきましょうよ」
やけに勧めてくるマギーには、何かしらの思いがあるのだろうか。
『マギーは使いたい方がいるの?』
「えっ……、いやですよ、ティナ様。マギーはティナ様のお幸せを願いたいんです」
『私の?』
「はい。買いましょう! 後悔しないように」
後悔はしないだろうと思ったが、熱心なマギーに負けて、ティナは仕方なくうなずく。おかしそうにこちらのやりとりを眺めていた店主は、買うと決まるや深々とあたまを下げる。
「本日中にお屋敷までお運びいたします。お待ちくださいますよう」
「お願いしますね。それではティナ様、次のお店へまいりましょう」
ティナはフードをかぶり直すと、マギーが開けてくれる扉を出て、店を後にする。ふたたび、マギーと並んで石畳の道を歩いていくうちに、どこからか漂う、鼻をくすぐるバターの香ばしい匂いがふたりの足を止めさせた。
「パン屋はあちらですよ」
マギーの指し示す先に、石造りの店がある。窓の内側には焼きたてのパンが並ぶ木製の棚が見える。
その窓の下に、ひとりの子どもが立っていた。ぼさぼさの茶色い髪の、五つか六つほどの小さな女の子。パンが並ぶガラス窓の向こうを、じっと見上げている。
(……お腹、すいてるのかしら)
ティナがそう思ったとき、店の横手にある路地から少年が駆け出てくる。年のころは十二、三だろうか。やせて小柄だが、腕には細長い板材の束を抱えている。木くずのついた作業着姿の少年は、辺りをきょろきょろと見まわし、少女を見つけると素早く駆け寄り、手を引いた。
「ナナ……、行こう」
途端、少女がぶんぶんとあたまを左右に振る。
「……にいちゃん、いやだっ」
「ナナ、わがまま言ったらだめだよ」
困り顔で、少年はちらちらとこちらを見る。警戒心を隠さないままの目が、落ち着きなく揺れている。
(ご両親は近くにいないのかしら……)
ティナが心配したとき、マギーがふたりに向かって歩いていく。
「パン、買いに来たの?」
「違うんです。ごめんなさい。買うつもりはなくて……見てただけです」
そう言ってうつむいた少年は、ひどくおびえているように見える。
「……お仕事してるの?」
マギーは少年が抱える木材に目をとめる。
「配達してて……。時間までに届けないと、親方に……叱られるんだ」
少年はたどたどしく答えると、ナナの手をしっかり握り、軽く頭をさげてから走り出す。ナナもまた、名残惜しそうに振り返りながらも、引きずられるようにして駆けていった。