敵将に拾われた声なき令嬢、異国の屋敷で静かに愛されていく
「触ってもいいか?」
「特別にな」
ラスは手袋を外すと、小粒ながらも存在感のある宝石がついた指輪を手に取る。ほかにも大きな石はあったが、なぜ、彼はそれを選んだのか。ラスの審美眼に舌を巻くように、バルドがヒューと口笛を吹く。
その宝石は、赤紫の色をしていた。その神秘的な色を目の当たりにして、ティナも見入ってしまう。ラスはじろりとバルドを見た後、ふたたび、じっくりと指輪を眺め見る。
「どうやって手に入れた?」
「いくつか宝石を売りに来た男が持ってた中に入ってたんだよ。そいつはこれの価値を知らねぇ、ど素人だったがな」
「かなりの年代物に見える」
「さすがは、ラス様だ。これは百年以上前、ルヴェラン王が所有していたアレキサンドライトだ。これ以上のお宝を市井で見るのはもう二度とないかもしれないぜ。そのぐらい貴重な逸品さ」
「これの出どころを、ゲレール侯が探してるんだな?」
「だから、俺は何も知らねぇよ。知りたきゃ、あの男を探すしかねぇ」
バルドはティナが何も知らないと思っているのだ。盗品だとわかっていて、おそらく安く買い上げた。それすら、ラスにもゲレールにも話す気はないらしい。
セレバルから追手が来ているかもしれない。少なくとも、商人に扮した兵士が、このルヴェランに出入りしている。そんな、ゲレールさえつかんでいない情報をラスに与えた男と同じ人物とは思えないほど、バルドは息を吐くように嘘をつく男のようだ。
ティナはラスのそばへ移動し、寄り添うようにしてつま先をあげた。ラスはほんの少し驚いたように間近に近づいたティナを見るが、すぐに指輪に関心があると気づいて、リングをつまんでいる手をさげた。
「この石は今は赤いが、太陽に照らすと緑色に変わるはずだ」
物珍しいものを見るような目で、ティナが両手のひらを差し出すと、ラスがそこへ乗せてくれる。ティナはすぐに外を指差す。
「色が変わるところを見たいらしい」
ラスがバルドに言うと、彼はうしろ頭をかいた。
「少しだけだぜ」
ティナは指輪を持って、窓際へ移動した。わずかに入ってくる光に指輪をかざす。すると、赤紫だった宝石が、次第に薄緑色へと移り変わっていく。
(間違いない。これは……本物のアレキサンドライト。アンナさんの指輪だわ……っ)
ティナはすぐにラスのもとへ駆け寄り、キラキラと光る目で彼を見つめた。
「……気に入ったのか?」
ラスは困り顔をした。ティナはアンナの指輪がまだ売られずに残っていたのがうれしくて、うなずく。
「仕方ない」
ラスはつぶやくと、バルドへと目を移す。
「これはいくらだ?」
「へっ……買う気か? おまえが買えねぇ値段じゃねーが、いやぁ……」
横暴な高値でラスに売りつけることを躊躇しているのか、バルドはあからさまな困り顔をした。旧知の仲であるラスを騙すことには抵抗を感じるぐらいの良心はあるらしい。
すぐさまティナは羊皮紙を取り出すと、小さな文字を書き込む。
(わかってくれるかしら……。でも、ラスフォード様なら、きっと)
バルドに見えないように、ティナは羊皮紙を手のひらに乗せ、ラスにこっそり差し出す。
『これは盗品。持ち主、パン屋のアンナさん。返したい』
それを見るなり、ラスは小さく息を吐き、カウンターに手をつく。
「値段を言え」
「しょうがねぇーな。少し負けてやるよ。銀貨三十枚だ」
「高いな」
「値切る気か? 王家なら百枚でも買うぜ」
「なら、王家に売るといい。そうできない理由があるなら、聞かせてもらおうか」
じっとラスとバルドはにらみ合う。
(銀貨三十枚だなんて、大丈夫かしら……)
セルヴァラン国が分裂して以降、セレバルとルヴェランは、それぞれ独自の通貨を育んできた。いまでは、ルヴェラン銀貨の価値は、セレバルの三倍にのぼるという。
セレバルで銀貨三十枚といえば、宮殿で開かれた夜会に、セレスが初めて出席したときに着たドレスにかけた値段と同じ。カタリーナが「王太子妃になるセレスは、誰よりも華やかでなければならない」と話していたのを覚えている。たしかに、あのときのドレスはひときわ豪奢だった。
だとすれば、ルヴェラン銀貨十枚で、あのドレスと同じものが一着手に入る計算になる。三十枚あれば、数着──いや、さらに質の良い布地で仕立てたドレスを用意することもできるだろう。
そんな高価な買い物をラスがしようとしている。ティナはハラハラしながら見守った。どちらも折れる気配がなく、ともすれば、剣を抜いての争いになるかのような気迫が満ちていく。
(どうしようかしら。私にも何かできることは……)
ティナがそわそわとラスの腕に触れたとき、彼は安心させるかのように手のひらを重ねてくると、ふと意味ありげに口を開く。
「聖ルヴェラン騎士団が近々、検問を強化するらしい。王都に出入りする密輸人は困るだろうな」
「なんだって? ……チッ、しょうがねえ。銀貨十五枚で手を打とうじゃねぇか」
「いや、十枚だ。ゲレール侯はこの件の追求をやめる。それで、手を打て」
「……クッソ。言っておくが、俺の儲けはねぇからな」
バルドがカウンターを叩いて天井を仰ぐと、ラスはにやりと笑った。
「特別にな」
ラスは手袋を外すと、小粒ながらも存在感のある宝石がついた指輪を手に取る。ほかにも大きな石はあったが、なぜ、彼はそれを選んだのか。ラスの審美眼に舌を巻くように、バルドがヒューと口笛を吹く。
その宝石は、赤紫の色をしていた。その神秘的な色を目の当たりにして、ティナも見入ってしまう。ラスはじろりとバルドを見た後、ふたたび、じっくりと指輪を眺め見る。
「どうやって手に入れた?」
「いくつか宝石を売りに来た男が持ってた中に入ってたんだよ。そいつはこれの価値を知らねぇ、ど素人だったがな」
「かなりの年代物に見える」
「さすがは、ラス様だ。これは百年以上前、ルヴェラン王が所有していたアレキサンドライトだ。これ以上のお宝を市井で見るのはもう二度とないかもしれないぜ。そのぐらい貴重な逸品さ」
「これの出どころを、ゲレール侯が探してるんだな?」
「だから、俺は何も知らねぇよ。知りたきゃ、あの男を探すしかねぇ」
バルドはティナが何も知らないと思っているのだ。盗品だとわかっていて、おそらく安く買い上げた。それすら、ラスにもゲレールにも話す気はないらしい。
セレバルから追手が来ているかもしれない。少なくとも、商人に扮した兵士が、このルヴェランに出入りしている。そんな、ゲレールさえつかんでいない情報をラスに与えた男と同じ人物とは思えないほど、バルドは息を吐くように嘘をつく男のようだ。
ティナはラスのそばへ移動し、寄り添うようにしてつま先をあげた。ラスはほんの少し驚いたように間近に近づいたティナを見るが、すぐに指輪に関心があると気づいて、リングをつまんでいる手をさげた。
「この石は今は赤いが、太陽に照らすと緑色に変わるはずだ」
物珍しいものを見るような目で、ティナが両手のひらを差し出すと、ラスがそこへ乗せてくれる。ティナはすぐに外を指差す。
「色が変わるところを見たいらしい」
ラスがバルドに言うと、彼はうしろ頭をかいた。
「少しだけだぜ」
ティナは指輪を持って、窓際へ移動した。わずかに入ってくる光に指輪をかざす。すると、赤紫だった宝石が、次第に薄緑色へと移り変わっていく。
(間違いない。これは……本物のアレキサンドライト。アンナさんの指輪だわ……っ)
ティナはすぐにラスのもとへ駆け寄り、キラキラと光る目で彼を見つめた。
「……気に入ったのか?」
ラスは困り顔をした。ティナはアンナの指輪がまだ売られずに残っていたのがうれしくて、うなずく。
「仕方ない」
ラスはつぶやくと、バルドへと目を移す。
「これはいくらだ?」
「へっ……買う気か? おまえが買えねぇ値段じゃねーが、いやぁ……」
横暴な高値でラスに売りつけることを躊躇しているのか、バルドはあからさまな困り顔をした。旧知の仲であるラスを騙すことには抵抗を感じるぐらいの良心はあるらしい。
すぐさまティナは羊皮紙を取り出すと、小さな文字を書き込む。
(わかってくれるかしら……。でも、ラスフォード様なら、きっと)
バルドに見えないように、ティナは羊皮紙を手のひらに乗せ、ラスにこっそり差し出す。
『これは盗品。持ち主、パン屋のアンナさん。返したい』
それを見るなり、ラスは小さく息を吐き、カウンターに手をつく。
「値段を言え」
「しょうがねぇーな。少し負けてやるよ。銀貨三十枚だ」
「高いな」
「値切る気か? 王家なら百枚でも買うぜ」
「なら、王家に売るといい。そうできない理由があるなら、聞かせてもらおうか」
じっとラスとバルドはにらみ合う。
(銀貨三十枚だなんて、大丈夫かしら……)
セルヴァラン国が分裂して以降、セレバルとルヴェランは、それぞれ独自の通貨を育んできた。いまでは、ルヴェラン銀貨の価値は、セレバルの三倍にのぼるという。
セレバルで銀貨三十枚といえば、宮殿で開かれた夜会に、セレスが初めて出席したときに着たドレスにかけた値段と同じ。カタリーナが「王太子妃になるセレスは、誰よりも華やかでなければならない」と話していたのを覚えている。たしかに、あのときのドレスはひときわ豪奢だった。
だとすれば、ルヴェラン銀貨十枚で、あのドレスと同じものが一着手に入る計算になる。三十枚あれば、数着──いや、さらに質の良い布地で仕立てたドレスを用意することもできるだろう。
そんな高価な買い物をラスがしようとしている。ティナはハラハラしながら見守った。どちらも折れる気配がなく、ともすれば、剣を抜いての争いになるかのような気迫が満ちていく。
(どうしようかしら。私にも何かできることは……)
ティナがそわそわとラスの腕に触れたとき、彼は安心させるかのように手のひらを重ねてくると、ふと意味ありげに口を開く。
「聖ルヴェラン騎士団が近々、検問を強化するらしい。王都に出入りする密輸人は困るだろうな」
「なんだって? ……チッ、しょうがねえ。銀貨十五枚で手を打とうじゃねぇか」
「いや、十枚だ。ゲレール侯はこの件の追求をやめる。それで、手を打て」
「……クッソ。言っておくが、俺の儲けはねぇからな」
バルドがカウンターを叩いて天井を仰ぐと、ラスはにやりと笑った。